どんとこい吉野除霊代行所

夜船

第1話 寄ってこい新人バイト

『東京は日本一霊が多い街です』


 僕がそのポスターに目を止めたのは、そんなキャッチコピーに目を引かれたからではない。

 ポスターのポニテ美女と目が合った気がしたからだ。



「志望動機は以上です」

「お帰りください」


 面接官の男は、にこやかに僕を一蹴いっしゅうした。


「ポニテ美女とお会いするまで帰りません」

「ポスターのモデルは私です。諦めてください」


 僕は冷えたパイプ椅子に掴まり、不動たる姿勢を示した。面接官は黒縁眼鏡をくい、と上げて、眉間に皺を寄せた。


「僕はポスターのポニテ美女と、文京区の情緒ある日本家屋でバイトをしたいんです!」

「ここはポスターの二十四歳男と、北区の歴史ある雑居ビルでバイトをするところです」


 僕はどうしても認めたくなかった。ポスターの中でクールに微笑んでいたポニテ美女が、男だっただなんて。



 東京都北区某所のとあるビル。僕は『吉野除霊代行所』という看板が下げられた一室に、バイトの面接に来ていた。


「森みなとさん、と仰いましたか。業務内容を今一度確認しましょう」


 面接官の男――吉野伊吹いぶきと名乗った――は、眉間の皺をほぐすと僕を正面から見据えた。


「ここは名の通り、心霊現象に関する相談を受け付け、除霊を代行するところです。霊は人間の思念が強い場所に集まり、現実世界に干渉します。除霊の際には特殊な技術が必要なため、こうした代行業が成立する、というわけです」


 例えば最近で言うと本川越ほんかわごえ玉突き事故がわかりやすいでしょうか、と吉野さんは言った。


 本川越玉突き事故。

 二週間前に埼玉県川越市にある本川越駅の前で起きた、原因不明の事故だ。ネットでオカルト界隈が騒いで、大学のオカルトサークルが号外新聞を配っていたのを覚えている。


「アレに巻き込まれた運転手は、みな口をそろえて言いました――」


 吉野さんはミステリアスな笑みを浮かべて言った。


「野良猫が交差点の真ん中で、子供に乳をやっていた、と」

「最近は猫も人間慣れしてきてますもんね」

「……ここが動物愛護団体ならそうめていたところでしょうね」


 遠回しに的外れだと言われた。


「ですがその野良猫を目撃したのは、玉突き事故に巻き込まれた自動車の運転手だけだったのです。信号待ちしていた車も、歩道にいた歩行者も、みな交差点に異常はなかったと言いました」


 ちなみに歩車ほしゃ分離式信号なので、進行方向が同じ歩行者の証言は得られていません。吉野さんは律儀にそう付け足した。


「つまり吉野さんが言いたいのは、原因不明の事故の陰には心霊現象が隠れている可能性がある……ということでしょうか」

「理解が早くて助かります」

「あとポスターのポニテ美女は、本当に吉野さんのご親族ではないのでしょうか」

「吉野伊吹、正真正銘本人です。そちらの理解も早いと助かります」


 ちら、と吉野さんの背後にある、例のポスターを見やる。線の細い顔立ちが似ている気がしなくもないが、僕の脳が理解を拒んでいる。

 同じ黒髪ポニーテールというだけで性別の壁を越えられるほど、僕は勇敢ではなかった。


「あの求人ポスター経由でバイト面接に来られたのは、森さんが初めてです」


 僕が思い出せる限りでは、あのポスターは貼ってからかなり時間が経っているように見えた。もしかしたら除霊界隈はかなり不人気なのかもしれない。


 吉野さんは席から一度立って、棚の引き出しから何かを取り出した。


「私としてはできるだけ採用したい所存ですので、適性検査をしましょう」


 黒ずんだ血がべったりと染みこんだ、桜の柄の便箋びんせんだった。


「この便箋を見て思ったことを、お聞かせください」


 吉野さんの訊き方に違和感を覚えながらも、僕は今見えているものをそのまま述べた。


「便箋に……血が付いてますね」


 彼は僕の答えを聞くと、相好そうごうを崩した。


「素晴らしい。合格です」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか?」


「この便箋には血は付着していません」


 吉野さんはきっぱりと言い放った。その笑顔は嘘を吐いているようには見えない。


「これは昭和四十五年三月十五日、女子高生が赤信号の横断歩道を渡り轢死れきしした事故の現場から、私の祖父が回収したものです。寸前まで熱中して読んでいたそうですよ」


 彼はゆっくりと口を開く。


「『あんな手紙読まなきゃよかった』――森さんはそんな被害者の思いに無意識下で共鳴することで、物理的には存在しない血痕が見えるようになったのです」


 そして笑顔のまま、椅子に座る僕へ手を差し出してきた。おそるおそるその手を握り返す。


「この血痕が視認できれば除霊は可能です。これからよろしくお願いしますね」

「除霊未経験なうえ志望動機が不純百パーセントなんですが、それは」

「人員不足ゆえ、贅沢を言える身ではありませんから」


 じゃあなんで面接なんて真似をしたんだろう。志望者自体僕が初めてで、やってみたかっただけだったら嫌だなあ、と思った。


「ご安心ください。ここには意地悪な先輩も、マウントを取ってくる正社員もいません。除霊に関することは、所長である私が一からお教えします」


 吉野さんの言葉で、それが確信に変わった。


 怪しいし怖いし正直乗り気ではないそのバイトを引き受けたのは、心霊現象へのちょっとした好奇心と、若干の憐憫ゆえのことだ。

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