Epilogue 卒業の日には……

 星牧学園を望む山々に分厚い雪が降りつもり、それがようやく溶け出したころ――三月十日、体育館の出入り口は華やかな袴姿の女子やスーツ姿の男子たちでにぎわっていた。在校生が作った花道を通り抜けていく卒業生たち。その出口で涙をのみながら出迎える保護者の列。三年間を過ごしたこの学校に二度と戻らないという寂しさと達成感が同居した感情を抱きながら、卒業生たちは教師陣にサインをもらったり、在校生と写真を撮ったりしていた。

 そんななか。


「後藤さん――いや、時恵さん。時恵!」


 人ごみを突き破るように大きく張り上げる声が響き渡り、周囲の者たちが何事かと振り返る。見ればスーツに身を包んだ足立拓斗が長い足を折り曲げて膝をついており、まっすぐ見上げる視線の先には、袴姿できょとんと立ちつくす時恵の姿があった。


「三年間、ずっと好きでした! ぼくと付き合ってください!」


「な、な、な……っ!」


 目を見開き、口をぱくぱくさせる時恵の頬は、日焼けしていてもわかるほど真っ赤に染まっていった。

 彼女の両親も驚いて足立を見下ろしている。父親のほうは血相を変えて膝をわななかせているが、母親はくすくす笑いながら優しく見守っていた。


 やがて時恵がぼそりと何事かささやき、次の瞬間、足立の「うおおおおおおよっっしゃあああああ!」という雄たけびがして、その場のだれもが彼らの門出を知ることとなった。


「すげーな。マジで告ったんや」


 少し離れた場所で見守っていた辰也は感心してつぶやいた。隣に立っていた純も涙ぐみながらうなずく。


「昨日の晩、寝ないでずっと『どーしよう、言い方が決まらない』って呻いてたよ。卒業式どころじゃなかったね」

「へー。あの人も人間らしいとこあるんやな」

「あはは、まあね。せっかく『打ち明け』で叫んだのに、結局聞かれてなかったみたいで落ち込んでたし……。明日は絶対言うんだってものすごい覚悟を決めてたよ」

「『打ち明け』か……」


 両手を上げて嬉しそうに跳ねまわっている足立と、真っ赤な顔で「ばか、落ち着け、喜びすぎだ!」と叱る時恵を眺めながら、辰也は小さくつぶやいた。


「そういや、悠はあの日、最後まで叫ばんかったな」

「ね。足立くんたちに脅されてもすかされても、意地でも参加しなかったよね」

「生徒会役員やから……ってわけじゃないよな。たぶん、あいつ――」

「僕が、なんだって?」


 突然低い声が割って入り、ふたりは同時に肩を飛び上がらせた。振り返ればいつの間にか背後に悠がぬっと立っている。


「うわこわっ! おまえいい加減気配殺して近づくんやめーや」

「ほんとうに失礼な奴だな。僕は普通に声をかけただけなのに」


 悠はじっと目を細め、遠くで跳ねまわる足立の姿を見つめていた。


「……僕はただ、ああいうところで叫んで逃げるなんて、卑怯なことをしたくなかっただけだ」

「は? ……卑怯?」

「あえて言葉を選んだだけだ。君たちがそうだと言いたいんじゃない。ただ僕が……僕自身が、あれに参加するのに気が引けたんだ。どうしても」


 そう締めくくった悠だったが、ふたりから注がれる奇妙な視線に気づき、訝しげに眉を寄せた。


「なんだ、どうしてそんな目で僕を見る」

「いやあ……えっと……」

「急にすげえ真面目なこと言い出すやん」

「真面目?」

「要は、伝えるなら直接目を見て言いたいってことやろ。めっちゃ男らしいやん。見直したわ」

「うんうん、僕もちょっと感動しちゃった」

「……はっ、こんな程度のことで感動なんかされても――」

「おーい、二年男子! そんなとこでこそこそ何やってるの?」


 いきなり真正面から万璃子の顔がぐっと近づき、三人は「うわっ」と仰天してのけぞった。


「君たち、卒業生もう行っちゃうよ? 記念撮影できたの?」

「俺らは昨日の晩も散々お祭りやったしなあ」

「そうそう。万璃子さんは?」

「あたしはこのとおり」


 万璃子はスマホの写真一覧を見せてにっと笑った。


「なーんか、しめっぽいの苦手なんだよね。だから写真撮ってかるーくさよならするだけでいいかなって」


 そう言いながら、万璃子はふと悠に視線を向けた。


「朧くん、意外とスーツ似合うよね」

「……な、え」

「ちょっと写真撮らせて? だいじょうぶ、資料は門外不出だから」

「や、やめろ、僕を撮ると守護霊が写るっ」

「あはは! ますますいい資料になるから全然ウェルカム! はいほら、こっち向いて!」

「おい、やめろ! レンズを向けるなこっちに来るな!」


 スマホを手に追いかける万璃子。阿鼻叫喚の悲鳴を上げて逃げ回る悠。大騒ぎするふたりを眺めながら、辰也は「なあ――」と純に向かって声をひそめた。


「悠ってやっぱり……」

「うん、僕もそうじゃないかなって思ってた」


 純もほほえましげな笑顔で悠を見守っている。


「普段はアナウンサーみたいに噛まずに早口でしゃべるのにさ、万璃子さんがいるときだけ明らかに詰まってるもんね」

「やんなあ。……あいつも言うんかな。いつか」

「どうだろう。僕はこっそり応援してるよ」


 純はにこやかな目を辰也に向けた。


「辰也のこともね」

「……は」

「あれ? ちがった? ほら、ユキさんのこと――」

「ばっ――アホ!」


 辰也が思わず純の口を両手でおさえた瞬間、


「ねえ、みんなで写真撮りましょう!」


 汐里が近くにいた三年生や下級生を連れてこちらにやってくる。後ろのほうにユキもいた。みんなで集まり、先生にスマホを手渡して撮影してもらった。走り回って血の気を失った顔の悠、はずかしそうにはにかむ時恵、にっこり笑う純の首に腕を回してピースサインしている足立、その横で不器用そうに口角を上げた辰也、顎の下にあざとく手を置いている万璃子、大人っぽくほほえむ汐里……一番端でひかえめな笑顔を作るユキの姿が、きれいに写真におさめられた。



 ユキはその夜、自室のベッドに座って、何もない空間を眺めていた。本当に何もない。時恵が使っていた机もベッドもロッカーも、何もかもが新品みたいに空っぽだ。


「ゆっきー、入るよ」


 がらがらと引き戸が開いて、万璃子がひょっこり顔を出す。人差し指と中指のあいだに、ひらりと一枚、紙切れを挟んで。


「これ、今日の写真。プリントアウトしてもらったんだ。ゆっきーもどーぞ」


 そう言って写真を一枚、こちらに差し出してくる。ユキは「ありがとう」と受け取り、そこに映る光景を眺めた。最後に撮った集合写真だった。


「てか今日の足立さん、ヤバかったよね」万璃子が写真の足立を指して言った。「時恵さんもさ、OKしたってことは好きだったのかなあ」

「どうだろうね」

 

 本人たちがいなくなった今となっては、その真相もわからない。


「ああいうのってさ、見てるこっちは感動するけど、失敗したら普通に気まずいよね。でも毎年告白騒動あるっていうし……」


 そこで万璃子はにやりと笑って、わざとらしく声を潜めた。


「ゆっきーも告られたりして」

「な、なん――」

「あっははは、顔真っ赤じゃん! なになに~? 心当たりがあるのかな~?」

「な、ないない、ないから!」

「ふぅーん? ……あ、もしかして、ゆっきーが告る側だったりして?」

「へ、な、いや、えと……」


 必死に取り繕おうとすればするほど、視線が泳いでぼろを出してしまっている気がした。ユキは頭を振り、急いで口を開く。


「ま、まりこちゃん……あの、ずっと聞きたかったんだけど」

「あ、話逸らそうとしてる?」

「ちがうよ! ほんとに気になってたことがあって……あの、その……」


 ユキはごくりと唾をのみこんだ。


「わ、わたしとしおりちゃんのこと……ぜんぶわかって、フォローしてくれてた……よね?」


 言ってしまってから、おそるおそる目を上げる。万璃子は絵にかいたような無の表情になっていた。感情がまったく読み取れない。


「……なんの話かな?」

「あの、ほら、わたしたち、行き違いがあって……たぶんまりこちゃんはそれをわかってて……だからあの日、わざと間違えたんだよね? 作業の集合場所」

「あっはっは! ゆっきーってば考えすぎ。あたしがそんなスペシャルトリックスターなわけないじゃん」

「え、でも」

「その行き違いってやつを解決したのは、ゆっきーとしおりんの意志だよ」


 曇り一つない、あざとさ100%の笑みを浮かべてウインクする。ユキはなんだかわけがわからなくなり、「そ、そう……かな」と曖昧な笑みを返してしまった。


「そーそ。じゃ、あたし、もう行くね」


 万璃子が扉を開け、外に出て行く。……が、すぐにまた扉を開き、顔を覗かせてにやりとした。


「そーだ、ゆっきー、来年こそは絶対に、文化祭のステージ出てね?」

「……へっ⁉」


 自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出てしまった。

「文化祭」「ステージ」という単語を聞いただけで、瞬時に辰也の姿が脳内を駆け巡る。口をぱくぱくさせていると、万璃子は大げさに吹き出した。


「あはははっ! なにその顔、めっちゃウケるんですけど!」

「……っ」

「だってゆっきー、去年も今年も出てないじゃん。来年は三年生だよ? ラストチャンスだよ? 思い出つくんないと……って、言いたかっただけなんだけど」

「え、あ、そ、そうなの……」

「なになに~? なあんか他の意味でもあるの?」

「ない、ないから……も、もう行って! おやすみなさい!」


 ユキは強引に引き戸を閉め、すりガラスにかけていたカーテンもシャッと閉じた。くるりと背を向け、ふうと深く息をつく。


 ――やっぱり、まりこちゃんは怪しい。


 この考えが正しいなら、きちんとお礼を言いたかったのに。なんだか煙に巻かれてしまった気がする。


 ユキは部屋を暗くし、机の明かりだけをつけてベッドに腰かけた。そうしてもらったばかりの写真にもう一度目を落とす。

 視線はおのずと一か所に吸い寄せられていった。彼の浮かべた不器用な笑みを見つめているうちに、視界がくらくらするような奇妙な感覚におちいって、胸の鼓動がことことと速くなる。


 この感覚の正体には、なんとなく気づきはじめている。まだ完全に育ちきってはいないけれど、いつかは誤魔化しきれないほど大きくなってしまうだろう。

 そうなったら、自分は……


 ユキは思わず写真を胸に抱く。

 静かな部屋の暗がりで、ユキは一年後の今日の日を想った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

負け犬と噛ませ犬 シュリ @12sumire35

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ