第7話 幸運の名前

【天使の名前】

 コイツ、マジなんなん?

 こんな「人間」初めて見た。

魔の者まのもの」でも、こんなヤツ見たことがない。

 めっちゃ可愛くて、むちゃくちゃいやされる。

「ヒト」みたいに歌も上手いし、ホント最高なんだけど。

 それに、アーロンがこんなに表情豊かなの、初めて見たかも。

 以前のアーロンは、いつも寂しそうな顔しててさ。

 人間のことを心底恨しんそこうらんでいた。

 暗い影を宿やどしていて、近寄りがたい雰囲気ふんいきすらただよっていた。

 でも今は、楽しそうに笑っている。

 そっか、可愛い天使がいるから。

 名前のない天使は、うちらに笑顔をもたらす為に舞い降りたんだ。

 でも、いつまでも「名前のない天使」じゃ、可哀想だ。

 なんか、天使に似合う名前を付けてやりたい。

 そうだ、ピッタリの名前があった。

「Felix(フェリックス)!」

 俺がその名前を口に出すと、天使は驚いたようにビクッとなった。

 まんまるに見開かれた目が、めっちゃ可愛い。

「なぁ、『フェリックス・ブロック』って、良い名前だと思わねぇ?」

「フェリックス? 何よそれ?」

 アーロンは、不思議そうな顔で首を傾げた。

「何? お前、知らねぇのかっ? フェリックス・ブロックは、俺が唯一尊敬していた『ヒト』の名前だぞっ! 作詞の言葉選びも素晴らしくて、歌唱力も凄かったんだ! 後世に残る、偉大な作曲家なんだぜっ!」

「いや、知らねぇよ」

「音楽」に興味のないアーロンは、本当に知らないようだ。

 それに「フェリックス」は「幸運」という意味を持つ。

「フェリックス」は、著名人ちょめいじんにも多い。

 ローマ教皇、王族、皇族、貴族、大統領、政治家、俳優、歌手、作曲家、作家、画家、学者、スポーツ選手……などなど。

 アーロンに向かって力説りきせつ(強く伝わるよう語る)していると、天使がボロボロと泣き出した。

 泣いた理由が分からず、うちらはオロオロするばかり。

「どうしたっ? 『フェリックス』はイヤだったかっ?」

「ごめん! もっと良い名前考えてやるから、泣かないでくれっ!」

 天使が泣くと、罪悪感ざいあくかんでこっちまで泣きたくなってしまう。

 天使の涙が、ポツリポツリと魔獣の頭に落ちて、魔獣が目を覚ました。

 目覚めた魔獣は、天使が泣いていると気付くと、「泣かないで」とばかりに天使の顔を舐める。

 顔を舐められて落ち着いたのか、天使がたどたどしくしゃべり始めた。

「……ボクね、ずっとね、名前呼んでもらえなかったから、嬉しくて……」

 そうか、名前を呼んで欲しかったのか。

 名前は本来、親が「こんな子になって欲しい」と、願いを込めて子に与える贈り物。

 呼び続けられることによって、その子を特定とくていする名前として定着ていちゃくする。

 うちらが名前を呼び合っているのも、うらやましかったに違いない。

 知らなかったとはいえ、無神経むしんけいだったと反省はんせいする。

 俺はしゃがんで、天使と目線を合わせ、よしよしと頭を撫でる。

「よしっ、今日からお前の名前は『フェリックス』だ!」

「うん! ぼく、フェリックシュでしゅっ!」

 天使、いやフェリックスは、泣き笑いの顔で明るく答えた。

 アーロンはにっこりと微笑んで、フェリックスの名前を呼ぶ。

「フェリックスちゃ~ん」

「はぁ~い!」

 フェリックスは、嬉しそうに手を上げて、良い子の返事をした。

 あ~もぅっ、なんでこんなに可愛いのさっ! 可愛すぎ! 大好きっ!


【再び与えられた名前】

「フェリックス」は、口に出してはいけない言葉だった。

 ボクの名前は「無能力の子」って、意味になったから。

 誰も、ボクの名前を呼んでくれなくなった。

 パパもママも、呼んでくれなくなった。

 でも、お兄さんとキースさんが、呼んでくれた。

「名前」って、みんなあるのが当たり前なんだと思ってたけど。

 呼ばれなくなったら、寂しかった。

 名前って、呼ばれるだけで、こんなに嬉しいものだったんだね。

 また名前を呼んでくれるのが、嬉しい。

 たぶん、お兄さん達は、ボクが「無能力の子」だって知らないんだ。

「無能の子」だと知ったら、呼んでくれなくなるのかな。

 こんなに優しいお兄さん達も、ボクが「無能力の子」だと知ったら、きっとボクを嫌いになる。

 ボクが「無能力の子」だと分かる前は、パパもママも優しかった。

 街の人達も、みんな優しかった。

 でも、「無能力の子」だって知ったら、みんなボクを嫌いになった。

 パパとママも、ボクを嫌いになって、捨てられた。

 また、嫌われる。

 また、捨てられる。

 ひとりぼっちは、寂しい。

 もう、ひとりぼっちは嫌だ。

 もっと良い子になるから。

 ワガママも言わないから。

 言われたことは、全部守るから。

 悪いところがあったら、全部直すから。

 苦手なことも、出来るように頑張るから。

 だからお願い、ボクを嫌わないで。


【ストライキ】

「ヤダヤダ、行きたくなぁ~いっ! ずっとフェリックスの側にいるぅうう~っ!」

「うるせぇ! ちゃっちゃと行って来いや、てめぇっ!」

 キースが、うちのフェリックスを抱っこして、ダダをこねていやがる。

 やめろや、フェリックスが、めっちゃ困ってんべや。

 前にも説明したけど、キースは「人間」として働いている。

 国王の相談役である「国王特別顧問こくおうとくべつこもん」として。

 内部からジワジワと腐らせて、国家そのものをブチ壊す。

 国が回らなくなれば、国民は不満ふまんつのらせ、暴動ぼうどうを起こす。

 デモンストレーション(demonstration=要求を通す為の集団行動)。

 ストライキ(Strike=社会人や学生が、仕事や授業をサボる)。

 一度暴動が起これば、簡単には収まらない。

 大勢の人間が働かなければ、経済も回らなくなる。

 インフレーション(imflation=通貨の価値が下がり、物価が上がる)も起こる。

 人間は金銭的きんせんてきに余裕がないと、心まで貧しくなる。

 国民は飢え、わずかな食料を求めて、うばい合い、殺し合う。

 やがて、人間は滅亡めつぼうする。

 ところが最近、キースはすっかりフェリックスのとりこ(ある事に熱中して逃げ出せない状態)になっちまってな。

 フェリックスは、「人間」

 人間を滅ぼせば、当然、フェリックスを産んだ親も死ぬ。

「フェリックスを捨てた毒親どくおやなんて、死んでどうぞ」って、思うけど。

 今も、フェリックスは両親の愛を求め続けている。

 どんな毒親であっても、親が死ねば、フェリックスが悲しむ。

 可愛いフェリックスを悲しませたくない気持ちは、オレも同じ。

 人間憎し。

 フェリックスは、愛おしい。

 憎悪と愛の板ばさみ状態になって、人間を滅ぼすことに、ためらいを感じ始めたんだってよ。

 やりがいを感じていた仕事が、急にしんどくなった。

 それに、フェリックスが可愛くて、離れがたい。

 で、仕事に行きたくなくなったってワケよ。

 オレはやれやれと、ため息を吐く。

「おい、キース。フェリックスを喜ばせる方法を、ひとつ教えてやる」

 そう言うと、キースはピタリと止まり、オレを問い詰めてくる。

「え? なになにっ?」

「フェリックスの服とオモチャ、買ってこいや」

「おぉっ、そうだな! ここには、フェリックスのもん、なんもないもんなっ!」

 途端とたんに、キースは明るい笑みを浮かべた。

 チョロい。

 キースはフェリックスに、デレデレのだらしない笑顔を向ける。

「フェリックス、なんか欲しいものあるか?」

「あのね、ボクね、お兄しゃん達とわんわんがいれば、何もいらにゃいよ」

 フェリックスは、首を小さく横に振った。

 けなげさに、胸の奥がキュンと音を立てた。

 舌っ足らずで、噛みっ噛みなところもめんこい(可愛い)。

 キースが、興奮した口調で訴えてくる。

「今の聞いたっ? うちらがいれば、なんもいらないってっ!」

「聞いた聞いた! マジで、どんだけめんこければ、気が済むのよっ!」

「ホント、良い子すぎて、マジ天使なんだけどっ!」

 キースは満面の笑みで、フェリックスの頭をわしゃわしゃ撫でまくる。

 フェリックスは、くすぐったそうに笑っている。

 なまらめんこくて、どこまでも果てしなく好きになるEndless Love(エンドレスラブ=終わりのない愛)。

 オレもフェリックスを抱っこしたくなり、キースから取り上げる。

「だったら、フェリックスの為に、いっぱい稼いでこいや」

「よっしゃ! 愛しい俺の天使ちゃんの為に、俺、頑張るっ!」

 キースは、見違みちがえるように、やる気を出した。

 手をブンブン振りながら、キースはオレん家から出て行く。

「お土産いっぱい買ってくるから、楽しみに待ってろよ~」

「キースしゃん、行ってらっちゃ~いっ!」

 フェリックスも、こまい(小さい)手を振り返して、キースを見送った。

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