第44話 邂逅

「お上手ですよ」


 俺たちの膝の上に乗ってシスターは極楽気分だった。すっかり翼の手入れが俺たちの日課となっていた。


「なんでわざわざ膝の上なんだ」

「立ちっぱなしは辛いですから。天使を膝に乗せられるなんて光栄なことですよ」

「分かったから翼を動かすなって。やりにくいだろ」


 こいつは何かにつけて翼をばさばさするようになってしまった。これじゃ天使というより鳥だ。

 そう思ったら羽毛も羽根も天使じゃなくてアヒルのものに見えてきた。


「何か失礼なことを考えていませんか」

「いない。むしろ現実的なことを考えている」


 思考を読まれてどきっとした。実はまだこいつと俺たちは繋がっていたりするのか、と疑いたくなる。

 それともこれが噂に聞く女の勘ってやつだろうか。だとしたら怖すぎる。


「何について考えているのですか?」

「んー? そうだなあ……」


 俺たちは適当な答えを言っておいた。そうすると大体こいつは突っかかってくるか小馬鹿にしてくる。ひねくれてるにもほどがあるが、俺たちはそんなやり取りが嫌いじゃなかった。

 この教会にきて随分と経つが、平穏という言葉を実感できる日が来るとは思っていなかった。本当にこの場所とこいつは俺たちに優しい──優しすぎる。


 そう、優しすぎるんだ。

 だから、きっともう出ていかなくてはならない。答えを見つけるために。


「……今度は、何を?」


 シスターがまた尋ねてくる。声色に少しだけ寂寞さがあった。きっと気づいているのだろう。


「そろそろ、答えを探しにいかないとな。ここじゃきっと、見つけられない」


 翼の手入れをしながら俺たちは答える。教会に、静寂が訪れた。

 十秒ほど。あまりに長い沈黙の後で、シスターが言葉を返してきた。


「ここは来るもの拒まず、去るもの追わずの場所です」


 答えはそれだけだった。


「そうだな」


 俺たちの──俺の答えもこれだけ。にはそれだけで十分だった。


「まぁすぐ出ていくわけじゃない。あと少しだけいるよ」

「ええ。ご自由に」


 ブラッシングが終わった。次は身体の調子を見てやらないとな。



§§§§



 夜。エヴァンジェリンは教会の掃除をしていた。

 悠司はというと、台所で調理をしている。「たまには俺たちが作ってやる」なんて悠司から言い出したからだ。

 彼曰く、彼らの中には料理人もいるので食事を作ることもできるらしい。多才なことだ、とエヴァは少し感心していた。


 そろそろ教会を閉める時間だとエヴァが気づいたとき、扉を開いて入ってくる者たちがいた。

 時間遅れの客を見た瞬間、エヴァの表情から感情が消えた。


「申し訳ありませんが、教会を閉める時間です。お引き取りを」

「悪いねシスター。ちょっと聞きたいことがあるだけなんだ」


 先頭を鎧姿の男が進み、背後には女魔法使いと和装の女剣士が続く。


「……本当にここなの?」

「あぁ。確かに反応はここにある」


 蒼麻の質問に桜は手に持った水晶を見ながら答えた。紫色の水晶は強く光り輝いている。


「このへんで、俺みたいな黒髪に茶色の瞳の男を見なかった?」

「見てません営業時間外ですお引き取りを」


 エヴァが早口で答える。奇妙な状況に怜司は怪訝な顔となっていた。


「本当にこの教会にいるのか? あいつがなんで潜伏なんてする必要があるんだ」

「分からん。だが相当近くでないとここまで反応は出ないはずだ」

「シスターさん、ちょっといい?」


 蒼麻に杖を向けられたエヴァが身構えて睨みつける。


「強盗ならよそでやってください。ここは貧乏教会なのでお金はありませんよ」

「いや、説明が難しいんだけど、もしかしたらシスターさんは洗脳とかその手の魔法を受けちゃってるかもしれないんだよね。だから解除しようとしてるだけ。危なくないよ」


 蒼麻が前触れなく飛び退く。一瞬前まで彼女がいた場所に電撃が走り床を黒く焦がした。


「営業時間外だと言っているのに退店しないような、主に逆らう不埒者には罰が下りますよ」

「あっぶないなあ。っていうかここお店じゃないでしょ。それとも実はシスタープレイができるえっちなお店なの?」

「比喩だろ、真に受けるな。いや、シスターなのに営業時間っていうのは俺も違和感すごいが」


 暢気な会話をしている怜司、蒼麻とは対称的にエヴァは睥睨する表情を崩さない。


「もう一度だけ勧告します。今すぐに出ていきなさい。そうすれば地獄に落ちずに済みますよ」

「どっちかっていうと俺たちが、シスターが地獄に落ちるのを止めにきてるんだけどな。念のため、教会の中を探るしかないか。蒼麻?」

「探査魔法はありませーん。シスターを無力化してくださーい」


 蒼麻が再び杖を向けて怜司が剣を引き抜く。


「──主の名のもとに、この愚者どもに裁きを」


 絶対零度の声でもってエヴァが宣言を行う。

 宙をいくつもの紫電が走る。怜司が剣を掲げて防御。いくつかがすり抜けて鎧に激突。鎧の防護魔法とぶつかり合って魔力の青い燐光が火花のように散る。


 紫電は蒼麻と桜にも襲いかかる。桜は連続跳躍で回避。蒼麻は強力な防護魔法を展開して防いでいた。


「やば。このシスター、ちょっと強いよ」


 魔法使いである蒼麻だけがエヴァの強さを即座に理解していた。直撃すれば人体を容赦無く破壊できるほどの雷を複数本放ち、同時に複数体を狙うなど上位の魔法使いでさえ難しい。膨大な魔力量と操作精度がなければ不可能な攻撃だった。


「シスターって回復とかじゃないのかよ、桜!」

「私が知るか。そもそも普通のシスターは魔法なんか使わん」


 元いた世界のイメージと、全く違う行動をしてくるシスターに困惑した怜司が、飛んでくる雷撃を剣で打ち払いながら叫ぶ。だがそんな怜司の事情は知らない桜は、なんでこっちに聞いてくるんだ、と言わんばかりの反応。


 エヴァの周囲から生じる紫電が、紫色の蛇のように空中を這い回り三人を追尾。回避されたり弾かれて軌道が逸れた死の一撃が椅子や壁にぶつかって表面を炭化させる。


(しぶといですね。時間が経っているせいで、彼らから知ったときよりも強くなっているようです)


 雷球が追加されて蒼麻へと襲いかかる。防護魔法に衝突して電気が弾ける耳障りな高音が響き渡った。

 次から次へと生まれる雷球が順番に防護魔法に激突。蒼麻の表情に苦痛が浮かぶ。


「何、これ、威力ありすぎでしょ! 防護が保たないから早くなんとかして!」

「こっちも忙しい!」


 なんとか接近したい怜司と桜だったが、高速で向かってくる紫電の光に対処するので精一杯だった。防御のない桜は掠っただけでも重傷。怜司こそ剣と鎧の二重防御で少しずつ距離を詰めていたが、そこに雷球が襲いかかり後方に跳躍。


 蒼麻の防護魔法にさえダメージを与える雷球には、鎧の防護魔法が意味をなさないのは明白だったために回避せざるを得なかった。

 回避したせいで縮めた距離を失い、また電流が襲いかかる。怜司たちからすれば、ただのシスターたったひとりに対して三人が圧倒されている状況だった。


「……仕方ない、な。桜!」

「なんだ!」

「俺を盾にしろ、突っ込むぞ!!」

「くっ、やむを得んか」


 桜が電撃を跳躍回避して怜司の背後に着地。ふたり同時に一気に前進する。


「くっ……!」


 エヴァの表情に苦痛が浮かぶ。脚から血が床に流れ始めていた。

 突撃してくるふたりに対して雷球を追加。蒼麻への攻撃を緩めて一気に仕留めにかかる。


「ここで──!」

「え」


 次の瞬間、エヴァが驚愕で凍りつく。

 怜司の剣が光り輝き一瞬だけ強烈な魔力を放出。雷球や紫電の全てが打ち消される。


「行け、桜!」

「おう!」


 桜が跳躍、怜司の肩を踏み台にして空中を突進。エヴァの目の前に着地して刀を首筋に当てる。


「動くな、終わりだ」


 額に苦痛の汗を浮かばせながらも、エヴァは不敵な笑みを浮かべてみせる。


「敵に情けをかけるだなんて、それでも傭兵なのかしら。それに、まだ終わっていないわ」

「やめろ。お前を殺したいわけじゃない」

「貴女の刀よりも私の魔法の方が、速いわ。試して、みる?」


 シスターの言葉が途切れ途切れであることに桜は違和感を抱いた。足元を見ると血溜まり。血の匂いも感じる。


「……やめておけ。それをしたら、お前も死ぬんだろう?」

「だからなんですか。たとえそうだとしても、貴女にだけは、負けられない、の……っ」


 エヴァの身体から一瞬だけ魔力の光が輝き、次の瞬間、収束。シスターの袖や裾から大量の血が流れ落ちて彼女の身体がくずおれる。


「おい、大丈夫か」


 エヴァを受け止めた桜を、手が押し除けようとする。


「あ、貴女、に、支え、られたくなど、ありませ、ん……支え、られなかった、くせ、に」

「一体、なんのことを言ってるんだ……?」


 怜司が剣を納めて蒼麻とふたりでエヴァに近寄ろうとしたとき、扉が開く音がした。全員が聖堂の奥側で開いた扉を見る。そこに立っていたのは──


「……何してやがる」


 惨状を見て、静かな怒りの形相を浮かべる悠司だった。

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