第45話 光と影の衝突

 全員が現れた悠司に釘付けとなっていた。張り詰めた空気が一瞬で教会に充満する。


「ずいぶんと暴れたものだな」


 静寂を最初に破ったのは悠司だった。重々しい声が聖堂に響く。そこかしこが炭化している様を一瞥して悠司は歩き始めた。


「やっぱりここにいたのか、悠司!」


 怒り混じりの声で怜司が叫び剣を引き抜く。聖剣には魔力の青い輝き。威嚇するように切っ先が悠司へと向けられるが、それを横目に見るだけで悠司はなんの反応もしなかった。

 杖を構える蒼麻にも悠司の視線が向けられるが、ただ様子を確かめるように一瞬だけだった。


 悠司はそのままエヴァの元へと歩き続け、彼女の身体を桜から受け取った。


「何をしてるんだ、お前は」

「……珍客の、相手、です」


 悠司がエヴァを床に寝かせて彼女の頭を自分の膝に乗せる。


「こんなになるまでか?」

「ええ……ここを守るのが、私の役目、ですから」


 いつもの要領で悠司はエヴァの魔力を調整しながら回復魔法をかけ、怪我を治す。荒かったエヴァの息が次第に整っていった。


「張り切りすぎだろ、これは。いくらなんでも」

「……いけません、か」

「まあな」


 エヴァを見る悠司の瞳には慈愛があった。エヴァもまた同じような瞳となっていた。短いやり取りの真意は他者には分からない。ただにはそれで十分だった。

 怜司たちは誰も口を開くことができなかった。このときになって初めて三人は、エヴァが洗脳などされていないことに気がついた。


「もう立てるか?」

「はい、なんとか」


 エヴァの手を取って悠司が彼女の身体を引き起こす。


「魔法の反動は調整して治しておいた。食事はもう用意してある。食って寝ておけ」

「……分かりました」


 悠司の言うことにエヴァが首肯。もう一度だけエヴァは怜司たちを見る。怜司、蒼麻、そして桜を。

 彼女はそのまま何も言わず、悠司が出てきた扉の奥へと消えていった。

 それを見送ってから、悠司が怜司たちへと向き直る。もう表情に怒りはなかった。


「街の外に出ろ。中で振り回したい武器でもないだろう」


 落ち着き払った声で言うと悠司は聖堂の外へと歩き出す。呆気にとられた怜司たちは困惑するままに、彼の後をついていった。


 街の門を通り過ぎて十分ほどさらに歩き続け、丘の上の平原に辿り着く。強力な魔法を放ったとしても、街に被害が出ないような位置だった。


「さて。勝算を携えてきたようだな」


 悠司が初めに切り出した。


「あのシスターは、一体なんだ?」

「関係ないだろ、そんなこと」


 怜司の質問を悠司が即座に切って捨てる。


「恋人でも作ったの? 世界を壊す君が?」

「黙れ。踏み込むな」


 蒼麻が軽蔑と共に放った酷薄な一言を悠司が短い言葉で打ち払う。


「ぐだぐだ抜かしにきたわけじゃないだろ。とっとと始めろ」


 気迫のない悠司。その変貌ぶりに怜司たちは違和感を抑えきれなかった。今までとは明らかに様子が違っている。彼らにはそう見えていた。


「悠司」


 桜の呼びかけに悠司が視線を向ける。


「まだ、続けるつもりなのか。あの子供を死なせたことを後悔して、あのシスターがいても、まだ」


 もっとも重たい問いかけが投げかけられた。悠司が必ず答えを出さなくてはならない問いに、答えるときがきた。

 沈黙。悠司は考えていた。何故──何故続けるのか、と。


 あまりにも巨大な後悔を背負った。救うと誓った者を犠牲にするという、償いきれない罪を犯してしまった。安寧の場所さえ手に入れた。全てをやり直して償いの道を辿っていいはずなのに、何故続けるのか。


 やめてしまえばいい。世界を破壊するなどという復讐はやめて、死なせてしまった子供の償いをエヴァと一緒にいながらすればいい。


 ──と、悠司は微塵も思うことができなかった。何故ならば。


「やめることは、できない」

「どうしてだ」

「やめてしまえば、全てが無駄になるからだ。あの子供の死も、皆の苦しみも、全てがなかったことのようになってしまう。そんなことを、は選ぶことはできない」


 初めから、藤原悠司という男が決めたことはたったひとつだった。自分も含めた悲しき人々の悲しみを消させないこと。忘れさせないこと。なかったことにさせないこと。

 それだけが、彼の見出した自身の存在意義だった。この世界で、地獄に突き落とされた人々のために、彼らのことを知らない人間たちにその存在を知らしめようとしたのも、全ては悲しみをなかったことにさせないためだ。


 だから、やめることなどできるはずがなかった。たとえ自分が罪の意識に苛まされようとも、安らげるただひとつの居場所から離れることになったとしても。


「理解不能だ。一体、何が無駄になるっていうんだ。お前がやってきたことはただ無闇に人を殺し続けただけだろうが!! 無駄も何もあるはずがない!!」


 引き抜いた聖剣の切っ先を向けて怜司が怒りの咆哮をあげる。怜司の脳裏に浮かんでいたのは怜司を慕っていた少女たちの笑顔だった。


「単なる見解の相違だ。俺にとって──俺たちにとって重要なものはお前とは違う」

「馬鹿げたことを繰り返して、またあの子みたいな犠牲が出てもいいっていうのか!? あのとき、あの子の死を後悔したのだけは間違いないだろうが!!」

「ああ、そのとおりだ。あの子を救ってやりたかった。お前じゃなくて、俺たちがな……だが!!」


 悠司が、リヴァイアサンが決意を叫ぶ。


「俺たちでしか救えない者たちがいる! 俺たちのやり方でしか救えない者たちがいる! 見捨てられた彼らを救うために、一度の失敗でくじけるわけにはいかないんだよ!!」

「失敗、失敗だと!? あの可哀想な子を殺したことを、失敗の一言で片付けるのか!?」

「俺たちは──そうだ、俺たちは神様じゃない。救おうとしたって助けようとしたって、全員を救いきれるほど全能じゃないんだ。俺たちはすっかりそのことを忘れて、何もかもを思いどおりにできると勘違いしていた」


 悠司の言葉。それは告解そのものだった。

 悠司の視線が怜司を射抜き、問いが投げつけられる。


「お前はどうなんだ、怜司。お前だってここに来るまでに幾多の戦い、数多の命を助けてきたんだろう。その中でたったひとつも取りこぼさなかったと、本当に言えるのか!?」


 怜司の纏う気配の変化を悠司も気がついていた。自分の元に辿り着くまでに多くの旅路を経たことを、その変化が物語っていた。

 だからこそ、助けられなかった者がいるはずだと理解していた。世界はそれほど甘くはない。たとえ、怜司が物語における主役の位置にいるのだとしても。


「それは……あの子供も含めて、助けられなかったことだってたくさんある。だが、お前がやろうとしていることはそもそも命を救うことじゃないだろうが!!」

「言っただろう。それはただの見解の相違だ、と」

「だったら!」

「そうだ」


 怜司の聖剣から膨大な魔力が純白の光となって溢れ出し、悠司の全身が漆黒の魔力を纏う。


「これ以上の問答は無意味。俺たちを罰したいというのなら、力でもって裁いてみせろ──!」


 両者が同時に駆け出し颶風ぐふうとなって直進。光の剣と影の拳が激突して魔力の暴風が吹き荒れた。

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