第33話 労働
「少し仕事を手伝っていただけませんか?」
「この教会は客に仕事を頼むのか?」
ある日、シスターが突然俺たちに言い出してきた。
「いえ、暇そうだったので何かさせようかと思いまして」
「……こっちは真剣に悩んでいるからここにいるんだが」
「椅子に座って解決しない悩みは、椅子に座っていても解決しませんよ。日々の生活をこなすことで見えてくるものもあります。だから私たち聖職者は自分たちのことを自分たちでしているのです」
シスターが説教するように……いや、この場合実際に説教なのだろう。とにかくそんなことを言い始めた。
なるほど、と内心で納得がいく。言い回しが奇妙に思えるが、確かにじっとしていてばかりでも良い考えは浮かばないかもしれない。
俺たちは「分かった」と言って立ち上がり、シスターの後をついていくことにした。
ただ、一点だけ気になる部分があったので聞いておく。
「お前、さっき言ったこと自分で信じてるのか?」
「いいえ、全く。人を雇えない貧乏人の
がくっと肩を落とす。このシスターにしては妙にそれらしいことを言っているから疑ってみたら、やはり方便だった。
「じゃあ賃金は出るのか?」
「出ません。ボランティアでお願いします。あるいは滞在費とでも」
「いつからここはホテルになったんだ」
「それはこちらの台詞です。いつまであの椅子を占拠しているつもりなんですか」
「悩みが解決するまでだ」
「ではその悩みの解決をお手伝いいたしましょう。労働をしてもらうという形で」
口から深いため息が出る。シスターはああ言えばこう言うを体現していた。生臭坊主ならぬやさぐれシスターとでもいおうか。
労働自体は至極真っ当で花壇に水をやったり掃除をしたり洗濯物を干したり。
「……おい、お前の下着を干すことになるがいいのか」
「ええ、構いません。見られて恥ずかしいものは履いていないので」
洗濯物を裏庭で干す作業をやらされている最中、俺たちはシスターの下着を手に取っていた。レース入りの黒いショーツ。下着としてはやや派手ぐらいのものだろうが、シスターがつけていていい部類なんだろうか。
「シスターは衣服にも規則があると思っていたんだが違うのか」
「宗派によります。気に入ったからといって持っていかないように」
「……」
釘を刺されたがなんというか、この生意気なシスターにそういう気がいまいち起こらない。リヴァイアサンの統合意識で一応、決議を取ってみたが一対九の割合で不要と判断された。ウケが悪い。
これといって性的な欲求を刺激されるわけでもなく、俺たちは淡々と仕事をこなしたのだった。
§§§§
「労働、ご苦労様でした」
「本当にただ働かされただけだったな」
一通りのことを終えて教会を閉める時間となり、扉に鍵をかけるのが最後の業務となった。
これといって収穫はなかったが気分転換にはなった、ような気がする。元から大して効果に期待はしていなかったので、別にいいか、と思い定位置に戻ろうとすると、シスターに呼び止められた。
「労働の対価としてお食事などいかが?」
「宿泊代の対価として労働をして、さらにそれに対価を支払うのか?」
変だという言外の指摘にシスターが少しむくれる。非難するような目がこちらに向けられた。
「思ったより理屈っぽいのね、あなたたち」
「お前が先に言い出したことだろうが」
「そんな昔のことは忘れました。しつこい男は嫌われますよ」
生意気なシスターよりマシだと思うが。言うとうるさそうなので黙っておいた。
「せっかくのお誘いだが、俺たちは食事を必要としない」
「ですが人間の人格を持ち、人の言葉で話すのなら、食事という行動は取れるのでしょう? 食事は多くの人にとって楽しみでもありますから、良い娯楽にもなるのでは?」
ふむ、と言って少し考える。確かに一理ある。久しぶりに真似事をするのも悪くないかもしれない。
「ではご相伴に与ろう」
「ええ、ぜひとも」
俺たちとシスターは台所に移動。椅子に座って待っている間にパンとシチューの入った器が机に並べられた。
「意外と美味そうだ」
「一言余計です。どうぞ召し上がれ」
とりあえずパンを齧り咀嚼する。味覚はやはりちゃんと機能している。感覚は藤原悠司のものが使用される、というのも予想どおりだ。好き嫌いもそれに準ずるだろう。
次にシチューを口に運ぶ。熱い、という感覚がある程度したが、ある熱さを超えると感覚が消える。
当たり前の話として、この肉体に痛覚はない。そんなものがあっては身体が両断される度に精神崩壊を起こすはめになる。それに伴い、熱さが痛みに変わる一定のラインがあって、それを超えると痛覚判定となり消えるようだ。
「どうですか?」
「美味いと感じる」
「不思議な言い回しをしますね。それもあなたたちの流儀ですか?」
「まぁ、そうだな。味覚の良し悪しや好悪も、この表層意識に依存したものだ。だから厳密な表現をするならば、今の表層意識にとって美味いと感じられる味、となるな」
「なんて作り甲斐のないこと。次からは普通に表現してください」
文句を言われたが、まぁそうだろうなとも思う。別にどう表現したところで困ることもないので、作り手が喜ぶ表現にしておこう。
シスターは食事中には黙っているタイプらしく、静かに時間が進んでいった。藤原悠司も同じタイプなので心地よさを感じる。そういえば桜もそうだったな、などと思い出していた。あいつらは今頃、どうしているのだろうか。怜司と蒼麻はとりあえず何かで苦しんでいたらいいな、と思う。
「入浴の必要もないのですか?」
食事が終わり後片付けをしているシスターが聞いてきた。
「ないし、衣服の洗濯も必要ない。この肉体は服装も含めてこの状態を維持し続けるからな」
「そうですか。では私だけ入りますね」
シスターは風呂に入るらしい。普通のことだが、相手が普通ではないので疑問が浮かんだ。
「その傷だらけの身体で風呂に入れるのか?」
「清潔にしないと傷にも悪いですし、傷口のない時期などありませんから」
「面倒な身体だな」
「生まれつきですから慣れたものです」
平然と言うシスターに俺たちは憐憫の情がわいた。何故、こいつはこんなにも平気そうな顔をしていられるのだろうか。世を呪わず人を呪わず、どうして聖職者などという職についたのだろうか。
風呂へと向かうシスターの後ろ姿を見ながら、俺たちはそんなことを考えていた。
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