第32話 居場所

 急にシスターが倒れた。服には血が滲み表情には苦痛が浮かぶ。


「おい、どうした」

「じ、びょうの……ような……もの、です……お気に、なさら、ず……」


 当人がそう言うなら、とは思ったものの目の前で血だらけになられると、理由が気になる。俺たちはシスターを抱えて奥の部屋へと移動した。

 部屋には都合のいいことに──というより常備してあるのだろう、包帯や薬が置いてあった。


「脱がせるぞ」


 返事も聞かずにシスターの服を脱がせる。修道衣を一枚取っただけで下着姿が露わとなる。身体つきは悪くないがそんな感想が吹き飛ぶ状態になっていた。


「なんだこれ」


 俺たちは少し驚いた声を出す。シスターの身体はそこかしこが包帯だらけになっていた。奇妙なのは包帯が巻かれていない箇所に裂傷ができていて、そこからも出血しているという部分だ。

 俺たちと会話している最中に傷ができたとしか思えなかった。しかも背中や腹部、太ももといった複数箇所に傷ができている。


「沁みるぞ、耐えろよ」

「慣れて、ます、から」


 布に消毒液を染み込ませて傷口にあてる。「っ」と声にならない苦鳴がシスターの口から漏れる。辛そうにしているのは完全に無視して俺たちは淡々と手当てを行った。藤原悠司に手当ての経験も知識もないが、リヴァイアサンの中のいくつかには医者もいれば看護師もいる。処置することに問題はなかった。


 手当てが終わって俺たちは修道衣を手渡してやる。シスターが「ありがとうございます」と言ってそれを着た。


「で、なんなんだ?」

「ですから、持病だ、と」


 まだ傷口が痛んでいるシスターは途切れ途切れに答えていた。気遣う理由もないので質問を続ける。


「いきなり皮膚に裂傷ができるのが、か?」

「ええ、そうです」


 リヴァイアサン内部の知識にもそんな症例はない。既に街をいくつも沈めて人々を同化してきたために、この世界の基本的な知識は全て内部にあるはずだった。にも関わらず症例がないということは、シスターはかなりの特殊体質だということになる。


 というか、いきなり前触れなく皮膚が裂けて大量出血するのは普通に考えてやばすぎる。


「どういう理屈なんだ」

「なんでも、私の中では魔力が、反発、しあっているとか、で。それが、ぶつかりあって、たまにこうなるの、です」


 説明するシスターだったが内容は理解不能だった。そうなのか? と表層意識である藤原悠司が思い、やや遅れて納得のいく情報が統合意識から返ってきた。


「体内で魔力のバランスが崩れると体外に出ようとしてそうなるのか」

「ええ、合ってます」

「なるほど」


 治療法はないか、引き続き統合意識に対して情報を検索。即座に解決策の提案がなされた。


「根治はできないが、調子を直すことぐらいならできるぞ」

「……そうなの、ですか?」


 口で説明するのが面倒だったので、シスターの身体に手を突っ込む。「あっ」と小さく驚いた声をシスターがあげたが無視。蒼麻にしたように、リヴァイアサンの力で半同化状態にする。蒼麻のときは精神を弄ったが、今度は肉体の魔力を調整してやる。


 調整は──意外と難航した。行なっていることはこの世界の魔術師なら誰でもできる魔力操作を、リヴァイアサンの力を使って無理やり人間の体内で行う、というものだ。

 簡単にできそうだというのが統合意識の見解だったが、シスターの体内を巡る二種類の魔力のうち、片方を調整した際にもう片方がどう変化するかの具合が予想よりも遥かに分かりにくかった。


 施術中、試行錯誤のせいでシスターの魔力バランスが何度も変わり、彼女は何度も苦鳴をあげていたが、最終的には成功した。


「どうだ」

「なんだか調子がいい気がします」


 手を引き抜いて様子を聞くと、マッサージした後みたいな返事だった。


「あなた、いえ、あなたたち、そんなこともできるんですね」

「この世界の知識と技能は大体持ってるからな。できないことの方が少ないとは思う」

「ありがとうございます。手当ても含めてとても助かりました」


 俺たちは何か嫌味を言われていないか、と疑った。シスターが素直に礼を言うタイプに見えないせいだ。


「なんですかその顔は」

「いや、皮肉や嫌味じゃないか、と」

「失礼な。私だってお礼ぐらい言います。言ってほしければ嫌味や皮肉も言いますが?」

「そういう趣味はないので結構」


 本音だと確認がとれて納得する俺たちにシスターが「そうですか」と言い終える。


「お礼をしなくてはいけませんね」


 今度こそ俺たちは身構えた。気配を察したのかシスターがむっとした表情となる。


「だからなんですかその顔は」

「いや、つい」

「ついとはなんですか、ついとは。お礼をすると言っているのですから受け取りなさい」


 礼をする側の態度ではないような気がするが、今回も裏はないようなのでもらえるものはもらっておくことにした。


「何してくれるんだ?」

「私にできることならなんなりと」

「なんでも?」

「ええ、なんでも」


 なんでも、と言われて俺たちは答えに困ることとなった。欲するものは何もないし、シスターにできることなどたかがしれている。

 しばし考え──思いついたことはひとつだけだった。


「なら、しばらくここで悩ませてくれ」

「……それだけでいいのですか?」

「ああ。むしろ、他に今、必要とするものがない。お前ができそうな範囲だとな」

「まぁ、あなたたちがそう言うのであれば、私は構いませんが」


 俺たちは考える場所を──答えを得るための手段を必要としていた。

 場所なんてどこでもいいようにも思えたが、この静かな教会は邪魔が入らなくて好都合だった。近くにいる人間がせいぜいシスターぐらいだというのも条件が良かった。

 下手に他人が近くにいると、その人間を殺したくなったりして思考が邪魔されそうだからだ。


 そういうわけで俺たちはしばらく教会に居着くことになった。

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