第31話 救いを求める者よ
「何故なら──何かを信じることでしか救われない人々がいるからです」
シスターの言っていることの意味が分からず、俺たちは首を傾げた。
「それはどういう意味だ?」
「そのままの意味です」
平行線。質問を変える必要があった。
「例えばだが、金がなくて困ってるやつには金をやればいいだろう」
「それはそのとおりですね。その人ならば、信仰心がなくとも救われるでしょう」
「ならお前の言う、何かを信じることでしか救われない人々、とは一体誰のことだ?」
シスターの目線が下を向く。しばし間が空いたのちに彼女が続きを話し始めた。
「例えば夫婦仲の悪い夫婦がいたとしましょう。どうやって救いますか?」
「間に入り、互いの見解の相違とやらを洗い出せばいい。すり合わせられるのならそうして、不可能なら別れればいい」
「それは現実的に可能ですか?」
質問の意図が理解できず俺たちは答えに詰まる。それほど不可能なことだろうか。
「可能に思うが」
「では、別れなくてはならないという結論になった場合は?」
「さっき言っただろう。そうすればいい」
「多くの場合、夫が収入の殆どを賄っていることでしょう。別れた後、女は働かなくてはなりませんね」
「そうなるな」
シスターの言葉に同意する。まだこいつの言いたいことが分からない。
「それを嫌っていたとしたら、どうしますか?」
「……は?」
「つまり、女は夫と別れたい。ですが離婚して働くのは嫌。そう思って板挟みに遭っていたとしたら?」
「そんなもの、どちらかを取るしかないだろう」
板挟みに遭っているとしても両者を天秤にかけて現状を変える他ない。現状が嫌なのだとしたら他にできることなどない。
「それは理屈です。二つのものを天秤にかけ、どちらかの方がマシだからそうしよう……などと考えられる人ばかりではありません。人によっては、どちらも地獄だと思う人もいるのです」
「……っ」
絶句、せざるを得なかった。目の前にある選択肢のうち、マシな方を選んだからといってそれを常に良しと思えるなどと、どうして思ったのか。どうして、よりにもよって我らがそう思ってしまったのか。
言葉を失った俺たちに向かってシスターが続ける。
「行くも地獄、戻るも地獄。それどころか立ち止まっていることさえ地獄だという人たちがいます。どうしようもない人々、どこへも行けない人々、選ぶことさえできない人々。そんな方を救うには、何も行動せずにすむ手段を用意してあげる他ないのです」
「……それが、お前の言う信仰心だというのか」
「はい。そういうことです。祈っていればいつかいい事がある。あるいは現状は神が与えた試練だ。そう思うことができれば現状の苦痛を緩和することができます。それしかできない人々がいるのです」
何も返す言葉が思いつかなかった。そんな方法、視点は考えたことがなかった。
シスターの示す手段は少なくとも俺たちに否定できるものではない。何故なら、それは打ち捨てられ、抗う術のない人々を救う手立てでもある。
だが。
「……それでも、欺瞞は欺瞞だ。彼らが本当に救われるわけではない」
俺たちが肯定することもまた、できなかった。彼らを救う現実的な手立てこそ、この手、この身の中にあるのだから。
「それはそのとおりですね。ですが、私にできることといえばこれぐらいなものです」
俺たちの言葉程度で、シスターの信仰心は揺るがなかった。「それで」と彼女はさらに続けた。
「あなたのお悩みは? まだ、答えていただけていませんが」
「それは……」
言うべきか否か、俺たちは答えあぐねる。言ったところで現実は何も変わらない。あの少女が死んだ事実は変わらないし我らの在り方も変わらない。ここで何に悩んでいるか話すなど、過去にも現在にも未来にも影響しない完全に無意味な行動だ。
ただ。
無意味だからと、それそのものを否定する必要はあるだろうか。そんな考えが脳裏に浮かんだ。
「……ある、子供を殺した」
俺たちはいきさつを話した。救いたかった、救わねばならなかった子供を、憎んでいた相手こそが救い、自分たちは何を与えることもできずに殺してしまったことを。まさしく懺悔するように話した。
シスターは最後まで静かに聞き、俺たちが話し終えると悲しげに目を伏せた。
「それは、辛いことでしたね」
「同情がほしいわけじゃない。ずっと考えているんだ、一体どうすれば良かったのかを」
「あなたは、何故その子供を救いたかったのですか?」
理由を問われてまた言葉が止まる。何故救いたいか、言葉で答えようとするなら答え方はひとつしかなかった。
「何故って。そんなの救いたいに決まってるだろ。誰も救わないんだから」
俺の答えの何に驚いたか知らないが、シスターは目を少し見開いていた。それから何故か、微笑みを浮かべる。
「優しいのね、あなた」
「普通だと思うが」
「そうでしょうか。だって誰も救わないのなら、救わないのが普通では?」
む、と口ごもる。言われてみれば確かにそうだ。だがそんなことは俺たちにはどうでもいいことだ。
「どっちでもいい、そんなことは」
「そうでしょうね」
やっぱり何故かシスターは微笑んでいた。変なやつだ。
「そのお悩みの答えを出すのは私には難しそうです。申し訳ありませんが」
「いい。初めから期待していない。それに俺たちが出さねばならない答えだ」
「俺たち?」
シスターが首を傾げる。面倒だから見せるか。
腕を掲げると合わせて影から触手が現れ、シスターに巻き付く。
「……ここはそういうプレイをする場所ではないのですが」
「説明が面倒だから見せるだけだ。じっとしていろ」
触手がシスターの体内を透過するように入り込む。蒼麻にもやった半同化だが、今回は害を与えないようにかなり同化具合を下げる。無数の意識が混在しているのが分かればいい。
「……これは」
「これが俺たちだ。理解できたか」
触手を戻す。シスターはぽかんとした表情で口を半開きにしていた。さて、怯えるかどうか。
「あなた、いえ、あなたたちは噂のリヴァイアサン、というやつですか?」
「そのとおりだ。一国を滅ぼして街を壊滅させているあのリヴァイアサンだ」
答えた後に何故分かったのだろうか、という疑問が浮かんだ。しかしそれもすぐに解消された。同化具合を下げたとはいえ一部は共有したのだから、そのときに記憶なりなんなりが読まれたのだろう。
俺たちの正体を知ったシスターは──。
「そうですか。案外、普通の見た目なのですね。もっと化け物じみてるのかと」
と、平然と言ってきた。
「怖がらんのか」
「ええ。今の私にとってあなたはただの迷い人。害意がないのも分かっていますし」
「何故、そう言える」
「先ほど、害意を感じなかったので」
先ほど、というのは同化したときのことだろう。そこまで感じ取っていたのか。
「だとしてもよくそれを信じる気になれるな」
「害意があるならとっくに私は死んでいますので」
「それでも」
話していたらばたん、と音がした。シスターの方を見るとぶっ倒れていた。
「は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます