第3話 手を差し伸ばした彼

 街の終りまで3日になっていた。今日も私は朝早くから夜遅くまで作業した。もう何も考えられなかった。


(どうせこの街は死ぬのだ。この心と同じように・・)


 もう投げやりな気持ちだった。私はもう救われることはないだろう・・・


 そんな私を彼だけは待っていた。私は昨日と同じようにそのまま無視して行こうとした。だが彼は私を逃すまいと立ちふさがった。


「どいて! 私に構わないで!」


 私は乱暴に言った。だが彼は私の肩をしっかりつかまえていた。


「何があったんだ! 何もかも僕に話してくれ! 君の力になりたいんだ!」


 それで私の感情を閉じ込めた殻が崩れ落ち、今までこらえていたものが急に流れ出した。私は泣きながら彼の胸に飛び込んだ。


「わかっている。君の辛さはわかる。」


 彼はそっと声をかけてくれた。



 夜の公園は私と彼の2人きりだった。


「話してくれ。話すだけでも君の気持は軽くなるはずだ。何があっても僕は君の味方だ。」


 彼の目は優しかった。私はどうにもならないと思いつつも彼に何もかも打ち明けた。


「私は会社の人に脅されて、アメリカ宇宙軍のコンピューターにハッキングしてプログラムを書き換えているの。それはカーツという軍事用人工衛星を動かしているの。」

「カーツ・・・そうか・・・。」


 彼は驚く様子を見せなかった。


「そう、カーツよ。今、世間を騒がしている。それを軌道から外して落下させようとしている。あと3日で。それがこの街に落ちてここは壊滅するのよ。」


 私の目からまた涙が流れ出た。強い罪悪感に胸が潰されそうだった。


「かわいそうに・・・。君にこんなことをさせるなんて・・・。」


 彼は私を非難するどころか、同情してくれた。


「私のせいなの。でもどうすることもできなかった・・・」

「君のせいじゃない。奴らはテロリストだ。こんなことは朝飯前にやってのける連中だ! あの人工衛星には大きな原子炉を積んでいる。もし落下したらこの街が破壊されるどころか、大量の核物質で汚染され、悲惨な状況になる。」

「えっ! どうしよう・・・私・・・。」


 私は事の重大さに震えていた。彼は私の震える手をじっと握って、私の目を見た。


「僕が何とかする。君のために・・・。だから君も力を貸してくれ!」


 私は思わずうなずいていた。それを見て彼はスマホを取り出して何やら操作し始めた。


「それではまず、君がまずハッキングしている場所のことから聞かせてくれ。それから・・・」


 彼は職場の場所やセキュリティーなどについての情報を詳しく私から聞き出した。もしかしたら彼は私を奴らから助け出して・・・いやこの街を救ってくれるのかもしれない。

 だが。それは儚い夢だ・・・。一介の普通の会社員がテロリスト相手に何とかすることはできないだろう。だが私の心は満たされていた。



 ◇


 街の終りまであと2日となった。その日も私は地下の職場で作業を続けていた。今頃になって軍事衛星カーツのコントロールを取り戻そうと、米軍のサイバー部隊がこちらのコンピューターにハッキングを仕掛けてきた。だが今となってはいくらサイバー部隊でもどうにもならないはずだ。もう私以外、カーツを止めることはできないのだ。

 土橋局長も清水主任も満足そうな顔をしていた。他の人たちもやり切った顔をしていた。


「もうこれで我々を邪魔する者はいない。計画は9割9分終わった。政府の奴らに目にもの見せてやる。ダークアーミー万歳!」

「ダークアーミー万歳!」


 周りの人たちは立ち上がって拍手をしていた。私は一人、椅子に座ってその光景を呆然と見ていた。


「ではこれで解散だ。後は地下で落ち合おう。集合場所は・・・」


 その日は早く仕事が終わった。私もすぐに帰された。仕事が終わったがまだ利用価値があると踏んだのだろう・・・私は奴らに始末されることはなかった。

 私は帰るふりをして、辺りを警戒しながら公園に向かった。そこではバッグを持った彼が待ってくれていた。


「どうだった?」

「仕事が終わって解散したわ。もうあの場所に集まらないみたい。」

「そうか、それは好都合だ。じゃあ、今からそこに行こう。」


 私と彼は密かに雑居ビルに入り、地下2階まで下りた。すると目の前には頑丈な鋼鉄の扉が立ちはだかっていた。そこは網膜認証システムもある。出勤時間が終わった私が侵入できるはずもない。彼はその扉を調べていたが、これを開けることはできないだろう。


「認証システムがあるのよ。もうこの時間では入れっこないわ。」

「大丈夫だ。僕に任せて。」


 彼はバッグから何かの機器を取り出し、慣れた手つきで取り付けた。すると滑らかに扉が開いた。


「開いた。さあ行こう!」


 彼は扉から部屋の中を見渡してから慎重に入って行った。どうして彼がそんな物を持っていたのかを聞くにも聞けず、私はただ彼の後に続いた。


「君のデスクは?」

「あそこよ。」


 私は端末のおいてあるデスクを指差した。


「じゃあ、早速頼むよ。僕は見張っているから。」


 私は端末を操作して軍事衛星カーツのプログラムに侵入した。彼は扉の方へ行き、外を見張っていた。


 私は懸命にキーボードを叩いていた。余計なことは何も考えないようにと・・・。だがそんな私に様々な疑問が浮かんできていた。


(一体、彼は何なの?・・・。普通の会社員では絶対にない。こんなところに侵入して軍事衛星カーツの落下を防ごうとする・・・あの網膜認証を破ることなんか、普通の人ではできっこない。でも・・・。いえ、彼はただ私を助けるためだけにここに来たのよ。)


 彼を信じたい私とそれを否定する私がいた。だから思い切って聞いてみた。


「あなたは本当は誰なの? 」

「えっ? Y商社の社員だよ。」

「嘘! 普通の人がこんなことはしないわ。このために私に近づいたのね。」


 冷静になればなるほど悲しい現実が見えてきそうだった。キーボードを叩く音だけが冷たく部屋に響いていた。


「そんなことはない。僕は君を助けたいんだ!」

「気にしないで。私ってそういう人なの。昔から人に利用されているばかりなの。でも束の間の恋人を演じてくれて楽しかったわ。」


 開き直ったように私は彼を見た。その言葉に彼も私に顔を向けた。


「それは違う。確かに僕は公安警察の潜入捜査官だ。嘘をついていて悪かった。君に接近してカーツの落下プログラムを解除させるのが任務だ。でも信じてくれ。きっかけはそうだったが、僕は君を好きになった。だから仲間を呼ばずにこんな方法を取った。それは嘘じゃない。」


 だが私は心の底から信じられなかった。


「もういいの。楽しかったから。こんな彼氏がいたらいいなと思っていたから・・・。」


 私はできるだけ平静を装って言った。


「僕だって同じさ。君とずっと一緒にいたい。もしカーツが落下してしまったら、多分、二度と会えなくなるだろう。」


 彼は真剣なまなざしで私を見ていた。私はそんな彼を見て、その言葉を無理に信じ込もうとした。


「本当? もし街が救われたらずっと恋人でいられるの?」

「もちろんだ。僕は今の君が好きだ。君を心から愛している。」


 私は生きる希望の光が見えてきた。これが終われば私は彼と結ばれる。この街で死にかけた私の心が蘇るだろう。・・・。

 だがその時、天井の赤色灯が回って警報音が鳴り響いた。


「奴らに気付かれたみたいだ。応援を呼ぶ。君はこのまま作業を続けてくれ。僕は奴らを阻止する。」

「あと少しだから。気をつけてね。」

「ああ、この街のために頑張るよ。」


 彼は小型無線機で通信しながら、右手に拳銃を持って扉の外に出て行った。私は彼が「私のため」とは言わず、「この街のため」と言ったことが気にかかっていたが・・・。

 それからすぐに銃声が鳴り響いた。それも何発も・・・。明らかに外で撃ち合いをしていた。私は自分に言い聞かせるようにしゃべっていた。


「もう少し時間を稼いで。あと少しで完成する。それでカーツの落下は防げる。」


 しばらくして銃声は止み、急に静かになった。公安警察の応援が来て、奴らを追い払ったようだ。私は最後の作業に入った。するとカーツは正常に動き出し、元の軌道に戻っていった。私はほっとして彼に知らせに行った。


「成功したわ! これでこの街は大丈夫よ!」


 私は喜びながら扉の外にいるはずの彼に声をかけた。だが返事はなかった。悪い予感がして私は思い切って扉の外に出てみた。


「・・・」


 そこに彼は血まみれで倒れていた。何発も撃たれて・・・。目の前が真っ暗になっていくように感じて、私はその場に崩れるように座り込んだ。


「嘘つきね。本当の恋人になると言っていたのに・・・。また私を裏切るのね。」


 私は呟いた。彼のそばには上着から外れたボタンが一つ、ポツンと寂しそうに転がっていた。


 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏切りの街 広之新 @hironosin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ