第2話 地獄に落ちる

 私は窓から星を見ながら、アパートの部屋で幸せの余韻に浸っていた。こんなことができるのもあと4日だ。後はどうなるかわからない。それまでは・・・。

 そこにあいつらが土足で踏みこんできた。土橋局長と清水主任だ。合鍵でドアを乱暴に開けると、逃げられないように私を部屋の隅に追い込んだ。そしていきなり清水主任が私の耳元で怒鳴った。


「どこに行っていたんだ! おまえ!」


 土橋局長も眼鏡を上げながら不機嫌そうに言った。


「困りますね。勝手に休んで。計画が狂ったらどうします?」


 土橋局長の口調はやさしいが、何を考えているかわからないその目は笑っていなかった。2人に追い詰められ私はおとなしく泣いて謝るしかなかった。


「ごめんなさい・・・。」

「ごめんなさいで済むか! どう責任を取るんだ!


 清水主任はまた怒鳴り散らした。私は土下座して頭を床にこすりつけるようにして謝った。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい。」


 清水主任はさらに怒鳴りつけようとしたが、それを土橋局長が止めた。


「清水。これぐらいでいいだろう。あまり騒ぎになるとまずい。」

「はい。じゃあ、新田。幸い計画は順調だから、今度ばかりは見逃してやる。今度サボったらどんな目に会うか覚悟しておけ!」


 清水主任は怒りがまだ収まらないようだった。土橋局長は神経質そうに眼鏡を上げながら静かに私に言った。


「とにかく何もないようなので安心しました。明日はきっと出て来てください。いつもより早くですよ。わかりましたね。」


 私はもう声も出ず、ただうなずいていた。


「逃げようとしても無駄だ。わかっているな!」


 清水主任は私の胸ぐらをつかむと、顔を近づけて睨みつけてから突き放した。そして2人は帰って行った。私は恐ろしさで部屋の隅で震えていた。目から涙がぽろぽろと落ちていた。


         ―――――――――――――――


 1年前、私はプログラマーとしての腕を見込まれてヘッドハンティングされ、都会の一流IT会社に勤めるようになった。田舎から都会に出て来た時、何もかもが新鮮だった。私はうれしくて有頂天になり、遊び回っていい気になっていた。そこがいけなかった。

 ある合コンで知り合ったイケメンの男性に私は惹かれた。その男性も私に気があるようだった。いやそのふりをしていたのだ。その男性に好かれようと私はがんばり、田舎者と思われないようにできるだけおしゃれして、都会に染まろうとした。そんな私にその男性はうまいこと言って高額な宝石やら着物やらを売りつけた。私は少しでもその男性の気を引こうと言われるがままにローンを組んだ。全くの世間知らずだった。その後は借金の山・・・気づいたころにはもうどうにもならなくなっていた。

 そうなると毎日のように借金取りがアパートまで押しかけて来た。


「金を返せさんかい! もう期限を過ぎとるやないか!」

「お金はありません・・・。もう少し待ってください。」

「もう待てへんで! もし返せないなら稼げるところに売り飛ばしたるわ!」

「お願いです。もう少し・・・もう少し・・・」


 私は土下座までして何とか待ってもらった。もう後は逃げるか、首をくくるしかない・・・。そんな時、あいつらがアパートを訪ねて来たのだ。


「新田さんでしたね。あなたにいい話を持って来ました。あなたの借金をこちらで肩代わりしましょう。」

「えっ? でもどうして?」

「あなたが優秀なプログラマーだからです。私のところに移って下されば借金は消えます。どうです?」

「でも・・・。そんなことをしていただいて・・・私は何をすればいいのでしょうか?」

「ちょっとした入力業務です。少し専門的な技術が必要ですが、あなたなら大丈夫です。」

「ええ、でも・・・。」

「大丈夫です。一緒に頑張りましょう。」


 土橋局長も清水主任も優しい言葉で私を勧誘した。困っていた私は藁をもつかむ気持ちでこの話に飛びついた。でもこんな話には裏がある・・・私はそれにうすうす感じていたのかもしれない。でもどうしようもなかった。

 作業は簡単な入力だと言われていたが、実はそうではなかった。私はいろんなところにハッキングしてプログラムを書き換えるように命じられた。一流の腕を持つ私には簡単なことだったが、その計画を知って愕然とした。こんな恐ろしいことに手を貸していたなんて・・・。気づいたころにはもう抜けられないところまで来ていた。

 そうやって私は無理やり奴らの計画に加担させられたのだ。彼らはテロリストともスパイとも言えるような、とにかく怪しげな連中だった。もしかしたらあのイケメンの男性も奴らが仕込んでいたのかもしれない。

 もう私は昔の自分でなくなった。以前は素晴らしく思えた街は急に魅力を失ったように色あせて見えた。いや、それどころか、そこはまるで牢獄だった。私は自由もなく、ただそこで日々をあがいて生きているだけだった。この街の終りまで・・・。

          ーーーーーーーーーーーーーーーー


 ◇


 街の終りまで4日になっていた。私は朝早く電車に乗った。もちろんその時間では彼には出会わない。がらんとした電車は虚ろな私の心そのものだった。なにもかも失って空っぽになった・・・。

 電車の窓からはこの街が見渡せた。この街は私を魅了して誘い込み、逃げられなくなったところで苦しみを与え続けた。私にとって悪魔そのものだった。だが皮肉にも私の手でそれを破壊しようとしている。

 私は人のまばらな駅で降り、地下に潜り込んで鋼鉄のドアを開けた。そこは地獄そのものだ。この街を破壊するための作業が粛々と進行している。私はただいつものようにハッキングを繰り返していた。辛さでもう何も考えられない。だが空っぽのはずの私に彼のことだけは鮮明に思い出された。

 夢見ていたような素敵な彼・・・何もかも忘れて夢中になれたのにあと少しで終わってしまう。私のせいで・・・。


(彼に会いたい。)


 だがそれはもう叶わないかもしれない。いや、叶わない方がいいのかもしれない。これ以上、付き合ったところですぐに終わりが来る。私は何もかもを失うのだ。彼を含めて・・・。後は悲しみだけしか残らないだろう。私の心はもう耐えられないかもしれない。


(彼にはもう会わない。)


 私はそう決意したのだ。


 ◇


 その日の作業が夜遅く終わった。街はがらんとして静まり返っていた。だが彼は改札の前で私をじっと待っていた。こんな遅い時間まで。彼は私を見つけてうれしそうに微笑んだ。だが私は彼を無視するように通り過ぎた。


「どうしたんだ?」

「もう構わないで! 一人にして!」


 彼は追いかけてきたが、私は振り返らなかった。


「何かあったのか?」


 彼はそれでもと私の手をつかんだ。だが私はそれを乱暴に振り払った。彼への未練を断ち切るかのように・・・。その時、彼の顔が見えた。彼はそんな私をやさしい目で見ていた。


「僕はすべてを受け入れる。君のすべてを・・・」


 すると急に私の目から涙があふれだしてきた。うれしいはずなのに私は彼を受け入れられない・・・その自分のかたくなさがやるせなかった。


(もうこの場にいられない。)


 涙をふかずに私は走り去った。彼は涙に驚いたのか、そんな私の背中をただ見送っていた。

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