第40話 祖母の教え(不思議)前編
いつも使っているものが急に壊れてしまったら、しばらくの間は怪我に気をつけなさい——。
祖母は私が幼い頃から、何度もそう言っていた。その理由を聞いたことはないが、もしかすると祖母は、物に纏わる、奇妙な体験をしたことがあったのかも知れない。
私の実家は田舎で、鍵をかけるという習慣がなかった。
近所の人たちがチャイムも鳴らさずに、裏口から勝手に中へ入って来るのは普通のことだと思っていたが、それは都会ではあり得ないことなのだと、大人になってから知った。今考えると不用心だと思うが、田舎の家は、近所の店へ買い物に行くくらいの短い時間なら、鍵はかけないのだ。
そんな家で育った私は、一人暮らしを始めてから、初めて鍵というものを持った。
鍵はとても小さくて失くしそうだと思ったが、どうやって持っておくのがいいのかが、よく分からない。服のポケットに入れると落としそうなのでバッグに入れると、今度は見つけられなくて、大体、部屋の前で探すことになる。鍵は色も地味で厚みもないので、他の荷物に紛れてしまうのだ。
——他の人たちは、鍵をどうしてるんだろう……。
気になった私は、バイト先の人たちを観察した。すると、彼らは鍵に鈴や小さなぬいぐるみをつけている。それに、いろんな鍵を1つにまとめて、見つけやすくしている人もいるようだ。
——みんなも失くさないように、色々と工夫しているんだな。
やっと、どうすればいいのかが分かったので、帰ってすぐに部屋の中を探したが、私の部屋には、鍵につけておけるようなものは見当たらなかった。
そこで、実家に帰った時に、事務机の引き出しを開けてみた。引き出しの中には、使わなくなった文房具や、お土産でもらったキーホルダー、工具なども入っている。
——これって絶対に、いらないものだよな?
そんなことを考えながら引き出しの中を見ていると、家族が買って来たとは思えない感じの、黄色い人形が目に留まった。その小さな人形は人型で、毛糸で出来ている。
——見たことがない人形だな……。
誰のものなのか、いつからあるのかも分からないその人形は、手に握ると収まりが良い。少し色が派手なような気もするなと思いながら、私はそれを自分の鍵につけた。
毛糸で出来た黄色い人形は、黒いビーズが目の所に、ちょん、とついているだけで、なんだか間抜けな顔をしていたが、鍵を見つけやすくする為につけるだけなので、別になんでも良かった。
そして、間抜けな顔の黄色い人形は、思っていたよりも随分と役に立ってくれた。前は部屋に帰る度に、ドアの前で鍵を探していたが、バッグを開けばすぐに見つけることができる。
ただ目印になるものをつけるだけで、とても簡単なことなのに、なぜ今までは思いつかなかったのか。不思議に思ったが、実家の鍵は水場にある洗車道具の下に隠してあったので、私の中では、鍵に何かをつけるという概念がなかったのだ。
——育った環境って、怖いな……。
そう思った。他の人にとっては当たり前のことでも、見たことがなければ、思い付かないものなのだ。
私はその黄色い人形を長い間、鍵につけっぱなしにしていて、人形は毛糸なので、どんどん汚れていった。
友人たちは、私の鍵を見るたびに顔をしかめる。
「その人形、怖いんだよね。いい加減に変えたら?」
色んな人に何度も言われたが、私は特に気にしなかった。黄色い人形は見つけやすいし、私は別に、怖いとは思わなかったからだ。
私は、持ち物をそんなにポンポンと買う方ではないし、自分のものなので、誰かに迷惑をかけるわけでもない。たまに鍵を渡された友人が、嫌な顔をするだけだ。
「ねぇ。なんでこんなに顔が黒っぽくなってるの? 不気味なんだけど。呪われたりしないよね?」
友人たちは、人形を触らないようにして鍵を持つ。
人形の顔だけが妙に黒っぽくなっているのは、おそらく私が鍵を取り出すときに、人形を掴むからだ。私にとっては、ただの間抜けな顔の人形でも、友人たちから見ると、呪われた人形に見えるらしい。
黄色い人形を鍵につけてから4年ほど経った、冬のある朝のこと。
1月の寒い時期だが、道路に雪は積もっていない。それでも、部分的に凍結していることがあると分かっていたので、私はゆっくりと車を走らせた。
友人の家へ行くために、小さな川の上にかかった橋を渡る。カーブを曲がり切って、ハンドルを切ると——やけに、軽く感じた。
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