遊び場 後編

 大きな板の前に立つと、やはりとても重そうに見えた。


 最初は手前に倒そうとしたが、どうやら板は下の方が分厚くなっているようで、びくともしない。

 

 次に、それなら転がしてみようと考え、横から体当たりをしていたら、少しだけ板が動いた。


 ——あっ、動いた。何度も同じことをやれば、中に入れるかも知れない。


 そして何度も体当たりをしていると、大きな板が転がり、横に置いてあった農機具にぶつかって倒れた。


 ガタン! と大きな音がしたので、また見つかるかも知れないと思ったが、しばらく待っても誰かが来る気配はない。


 ——あぁ、良かった。


 一安心した私が穴の中を覗くとそこには——夢と同じように、男の子がいた。


 男の子は穴の中にうずくまって、両手で顔を隠している。着ている薄茶色の着物は、夢の中と同じものだ。


 私は、男の子が本当にいたので嬉しくなった。


「みーつけた! 遊ぼう!」


 私が声をかけると、男の子は顔を上げて嬉しそうに微笑んだが、すぐに視線を下へ向けた。


「でも、ここからは出られないんだよ……」


 穴が塞がれていたということは、男の子はずっと閉じ込められていたのだろう。私が穴に近づいてはいけない、と言われていたのと同じように、男の子は穴から出てはいけない、と言われているのかも知れない、と思った。


「じゃあ、中で遊ぶ?」


 私が言うと、男の子は首を傾げた。

 

「ここへ入るの?」


「うん。それなら一緒に遊べるでしょ?」


「いいけど……。でも、ここは狭いよ?」


 男の子は戸惑いの表情を浮かべて、穴の中を見まわしている。


 夢の中では何度も穴の中で遊んでいるのに、なぜ男の子が戸惑っているのかが、私にはよく分からなかった。狭くても男の子と遊べるなら、私は別に構わないのだ。


 それに、こんな話をしている時間も勿体ないと思った。せっかく会えたのだから、早く一緒に遊びたい。


「ねぇ。狭いんだったらさ、やっぱり外で遊ぼうよ。他の人に見つからないように遊べば大丈夫でしょ?」


「でも……。僕は、ここから出ちゃダメなんだ」


「見つからないようにしても、ダメなの?」


「うん。自分でここから出ることができないんだよ……」


 そう言って、男の子は俯いてしまった。


『自分で出ることができない』という言葉を不思議に思った。たしかに私の膝までくらいの段差はあるが、そんなに深い穴ではない。私でも簡単に出ることができるだろう。


 どうして、出ることができない、と言っているのかはよく分からなかったが、それなら、私が外に出るのを手伝えばいいのだと考えた。


「じゃあ、引っ張ってあげるよ」


 私が手を差し出すと、男の子は目を大きくして私を見た。


「出してくれるの?」


「うん。大丈夫だから、出ておいでよ」


 私が言うと男の子は立ち上がり、不安げな顔で穴の外を見まわした。そして遠慮がちに私の手を掴んだ。


 やっと男の子と遊べる。私が手を引くと、男の子は外へ出てきた。そして——。



 私の記憶は、そこで途切れている。



 大人達によると、私は高熱を出して、小屋の前に倒れていたらしい。


 そして寝込んでいた間には、色々とよくないことが起こり、騒がしかったのを覚えている。

 

 梅雨の時期でもないのに大雨が降り、道路に面している裏山が大きく崩れてしまった。


 道路は1ヶ月も通行止めになり、そうなると、我が家の近くを通りたい車は、舗装されていない農道を通らなければならなくなる。そして、私有地から出た土砂は所有者の責任になるので、撤去費用はかなりの金額になったようだ。


 それに、山が崩れた時に、家の裏にある水場も壊れたので、その修理代も必要になったと聞いた。


 その後も悪いことは続き、父と母の車が家の近くでぶつかってしまった。慣れている道で、見通しもいい場所だ。その話を聞いた人は全員が首を傾げ、残念ながら詐欺を疑われて、車両保険は使えなかった。

 

 お金が出て行くことばかり起こっていたのは、偶然なのだろうか。


 荒神様として祀られていた場所から、男の子を出した私が、高熱を出して寝込んでいたことを考えると、何かの災いのような気もする。


 しかし、小学生になったばかりの私には、そんなことは分からないので、熱が下がり元気になった私は、また男の子に会いに行った。


 小屋の中に入ると、いつもとは雰囲気が違っていて、元防空壕の穴の前には、板も紙垂もない。不思議に思いながら私が穴の中を覗くと、前は大人が3人ほど入れるくらいの深さだった穴は、大人1人が蹲ってやっと入れるくらいの、浅く小さな穴になっていた。


 そして、何度穴の中を覗いても、小屋の周りを探しても、男の子を見つけることはできなかった。


 もう会えないと分かった時はとても悲しかったが、人間の子供が暗い穴の中で、飲まず食わずで長い間生きていられるはずがない。あの男の子は、生きている人間ではなかったようだ。


 それに、私が男の子と遊んでいた深い穴は、今の姿とは違っていた。私が視た穴は、周りに石が積まれていたが、今はそんなものはないのだ。ただ硬い土の表面に、穴があいているような状態だ。


 防空壕はなぜ、荒神様として祀られることになったのだろうか。祖父に訊けば教えてくれたのかも知れないが、それはいい話でないような気がしたので、私は訊かなかった。


 荒神様として祀られている場所に、人間の姿をしたものがいるということは、おそらくそこは、誰かが亡くなった場所なのだと思う。


 あの日以来、男の子と遊ぶ夢は見なくなってしまったが、ずっと暗い穴の中に閉じ込められていた男の子が、今は明るい場所で、自分の好きなように過ごして、笑っていると信じたい——。

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