おかえり 後編
そう思いながら犬を見ていると、まるで「気付いて」と言わんばかりに、ものすごい速さで尻尾を振り出した。しばらくの間、私はメトロノームのように規則的に動く尻尾を見つめていたが、犬は振るのをやめる気配はない。
すると、だらりと舌を出して、勢いよく尻尾を振る姿が、何かのキャラクターに見えてきた。
———面白い顔のキャラクターの尻尾が、ものすごい速さで動いている……。
なぜだかツボにはまってしまった私は、耐えかねて、吹き出した。
「ん? 今の話の、何が面白かったんだよ」
タキは
「いや、違うんだよ。あの犬を見ていたら、なんか面白くなって」
私が笑いながら言うと、十数人いた運転手たちが、一斉に私を見た。
———えっ?
大勢いる怖そうなお兄さん達が一斉に私を見たので、驚くと同時に、何か気に触る事を言ってしまったのかも知れない、と頭の中が真っ白になった。
心臓の鼓動が頭の中に響き、手足の先が、一気に冷たくなって行く。すると———。
「その犬は、何色の犬だ?」
一番年配の運転手が、私の目を見ながら言った。
「えっ。あの、白い、犬が……」
こういう時は、余計なことは言わずに、適当に誤魔化した方がいい、と分かっているが、頭が真っ白になっていた私は、正直に答えてしまった。
———あっ。言ってしまった。どうしよう……。
他の人に見えていないということは、生きている犬ではない可能性がある。もしそうだとしたら、どんな反応が返ってくるか分からない。さらに頭が混乱し、冷たい汗が背中を流れて行く。
『何言ってんだよ、気持ち悪い』
『頭がおかしい奴とは、もう遊ばない』
子供の頃の嫌な記憶が、脳裏を巡る。
「そうか、そこにいるか!」
おじいさんが突然、大きな声で笑った。そして、私は『どこにいる』とは言っていないのに、おじいさんも他の運転手たちも、物置の方へ視線を移した。
「やっぱり、まだいるんだ」
「ここが好きなんだよ」
「いるなら、出てきてくれたらいいのにな」
皆優しい笑みを浮かべ、喜んでいるようだ。
運転手たちの話を聞いていると、やはりあの犬は死んでいるのだ、ということが分かった。それなのに、なぜか運転手たちは、犬を受け入れているように見える。
私が今まで見てきた人たちは、この世のものではないものがいると分かると、拒絶する人が多かった。おそらくそれが、『普通』なのだ。
———なんでこの人たちは、あの犬を受け入れているんだろう……。
私が戸惑いながら白い犬を見つめていると、金髪の運転手が、私のそばへ来た。
「なぁ! シロは今、何してる?」
そう訊かれて、私は正直に答えるかどうか迷った。『何かがいた気がする』程度なら誰にでもあることかも知れないが、具体的に話してしまうと、霊感があることがバレてしまう。
———どうしよう。もう、これ以上は……。
その時ふと、運転手の目が、先程のタキと同じように輝いている事に気が付いた。
彼は、本当に知りたいと思って、訊いているように見える。分からないと言うのは簡単だが、私がそう言ったら彼は、がっかりするに違いない———。
「えっと……。今は、みなさんの方を見ながら、ものすごい速さで尻尾を振っています」
私が正直に言うと、大きな笑いが起こった。
「なんだよ。生きてた頃と変わらないじゃないか」
「あぁ〜あ。俺にもシロの姿が視えたらいいのに」
視えない犬を撫でようとする人がいたり、笑いながら流れた涙を拭う人もいた。運転手たちは、そこに犬がいることを、心の底から喜んでいるように見える。
人間は、自分が理解できない事は、知ろうとせずに拒絶する生き物だ、と思っていた私は、ただただ呆然と立ち尽くした。
社会人になり、後輩もできて、なんでも分かっているような気になっていたが、私が知らないことは、まだまだたくさんあるようだ。
そして運転手たちは、白い犬との思い出話を聞かせてくれた。
白い犬は、ある運転手が拾ってきた犬で、会社の人たちに可愛がられながら長生きをし、3ヶ月前に亡くなったらしい。
以前は、物置の横に犬小屋があり、運転手たちが仕事を終えて戻ってくると、犬は千切れそうな程尻尾を振って、出迎えてくれたそうだ。
仕事が長引いて深夜になると、会社にはもう誰も残っていないが、白い犬だけは飛び起きて、おかえり! とでも言っているように、走ってきたのだという。
運転手たちにとって白い犬は、特別な存在だったのだ。
運転手たちに別れを告げた後、物置の方に目をやると、白い犬の姿はもう、視えなくなっていた。
あの世のものを、いつも視ることができるわけではない私が、その姿をはっきりと視ることができたのは、もしかすると白い犬が「ここにいるよ」と運転手たちに、伝えて欲しいと思っていたから、なのかも知れない。
運転手たちに可愛がられていた白い犬は、今もあの場所に座り、尻尾を振っているのだろう。
大好きな人たちを「おかえり」と出迎えるために———。
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