お迎え 後編
ずっと体調が悪かった、ある年のお盆のことだ。
墓参りに来ていた親戚たちが帰った後に、家族はよその家に夕食を食べに行った。珍しい酒が手に入ったので飲みに来い、と近所の家から電話がかかってきたのだ。
私も一緒に行くように言われたが、その日は、目覚めた時から体調が悪く、食欲もなかったので断った。酔っ払いに絡まれて、余計に体調が悪くなるのが、目に見えているからだ。
——暗くなったら風呂に入って、今日は早く寝よう。
そんなことを考えながら、誰もいない静かな家で、寝転がって漫画を読む。すると突然、バシッ、という大きなラップ音が聞こえた。
「えっ。何?」
驚いた私が漫画から目を離すと、いつの間にか、部屋の中は真っ暗になっていた。電気がついていないので、時計の針も見えない。
——どれだけ集中して、漫画を読んでいたんだ。
私は自分に驚いた。真っ暗な中で、よく漫画が読めたものだ。しかし、一度暗いことに気が付いてしまうと、そのまま漫画を読む気にはなれなかった。
今はお盆で、家の中にはいつもと違う気配を感じる。何かが視えてしまうのは嫌なので、電気をつけようと身体を起こす。
するとまた、バンっ! と大きな音がした。
それは、プラスチック製のものを叩いたような音で、ラップ音とは違う。違和感を覚えた私が、音がした方に目をやると、今度は火災報知器が鳴り出した。
しんとした家の中に、ピーピーピーと、けたたましい音が鳴り響く。驚いて身体がびくんと
毎日のように怪奇現象が起こる家で、お盆の夜に1人でいるところに、火災報知器が鳴り出したら、他の人は恐怖を感じるかも知れない。
しかし私は、恐ろしいとは感じていなかった。
それどころか、なんだか懐かしい感じがして、涙が込み上げてくる。とても優しい気配を感じて、覚えのあるタバコの匂いがした。メンソール系の甘い匂いのタバコを吸うのは、私の周りには1人しかいない。
火災報知器を鳴らしたものの正体が知りたくなった私は、暗闇に目を凝らした。
家の中には、いくつかの白っぽい影が視えるが、それはいつも家の中にいる影だ。
私は、火災報知器がある天井を見上げた。さっきの何かを叩いたような音は、天井から聞こえてきたような気がする。
私は真っ暗な天井を、じっと見つめた。
なんでもいいから、火災報知器を鳴らしたものの正体を掴む、手がかりが欲しい。
私が探しているのは、友人の姿だ——。
お盆の2ヶ月前に亡くなった、年上の友人は、とても優しい人だった。感じが悪い人に皮肉を言われても、嫌な顔ひとつせずに、笑顔で対応するような人で、怒っているのは見たことがない。
釣りに行って、自分だけ何も釣れなくても
しかし、亡くなる前の半年間はとても忙しくて、釣りどころか連絡も取っておらず、彼が何をしていたのかは分からない。
久しぶりに友人の、コウさんの名前を聞いたのは、彼が亡くなった。という知らせだった。彼は、病気や事故ではなく、自殺だったらしい。
連絡を受けた時は、すぐには理解ができなくて、それなのに、涙は溢れてきた。誰かが『亡くなった』なんて、悪趣味な冗談を言う人はいないと分かっているが、信じたくない。
——絶対に、何かの間違いだよ……。
そう思いながら、葬式へ足を運んだ。
白い箱の中を
その時にやっと、彼がもうこの世にはいないんだ、と認めることができた。
そして、悲しむよりも先に後悔した。
自分に出来ることなんて、何もなかったかも知れないが、無理をしてでも私が、遊びに行こうと誘っていたら、何かが変わっていたかも知れない。それが気分転換になって、彼は自殺なんかしなかったかも知れない。どうして、もっと早く連絡を取らなかったんだろう——。
葬式の日から2ヶ月経って、お盆になっても、後悔の念が呪いの呪文のようになって、何度も何度も頭の中で繰り返された。
火災報知器が鳴り出した時に、ふと、笑っている彼の顔が脳裏に浮かんだのは、私が罪悪感を抱いているからなのだろうか。それとも本当に、彼が近くにいるのだろうか。
私が何もせずに、座ったまま音を聞いていると、火災報知器は、勝手に鳴り止んだ。
——結局、何も視えなかったな……。
天井を見上げていた私は、顔を正面に戻した。
すると私の近くには、いつの間にか、白い
息を吹きかけただけでも、散ってしまいそうな白い靄を、私はじっと見つめ続けた。本当は友人の名前を呼んで確かめたかったが、泣き声を出さないようにするのが精一杯で、口を開くことができない。
言葉もなく、ただ涙を流す私のそばに、白い靄は留まっていた。
白い靄はたまに、ふわりと揺れる。何も聞こえないが、何かを言ってるのだろうか。
ずっと後悔している私の、勝手な解釈かも知れないが、優しい笑顔の彼が「いい加減に、元気を出せよ」とでも、言っているような気がした。
しばらくすると、白い靄は薄くなり始めて、もう行ってしまうのだろうと思った私は、なんとか口を開いた。
「来年は、コウさんの好きなタバコを買っておくからさ、また、帰ってきてよ」
声が震えて、自分でも何を言っているのか分からなかったが、私が言い終わると、白い靄は視えなくなってしまった。
あの白い靄が、本当にコウさんだったのかは分からないが、甘いタバコの匂いが、コウさんが大好きだったタバコと、同じ匂いだったことは確かだ。
コウさんは、本当に優しい人で、いつも私の話を笑顔で聞いてくれていた。きっと、いつまで経っても立ち直れない私を心配して、様子を見に来てくれたのだろう、と思っている。
お盆の『お迎え』の作法は、地域によって違うらしいが、私は毎年、自分は吸わないタバコを買って、飾っておこうと思う。
お盆になって、友人があの世から戻ってきた時に、また私に、会いにきてくれるように——。
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