おひなさま 3

 パキッ、と細い枝が折れるような音がして、目が覚めた。


 視線の先には、随分と高い場所にある天井が見える。どうやら、階段の下にいるようだ。夢と同じように階段の下にいるなんて、何かがおかしい気がする。


 とりあえず起きあがろうと、私は少しだけ身体を動かした。


 すると、どこが痛いのか分からないくらいに全身から痛みを感じ、座ることもできない。


 ——もしかすると、あれは夢じゃないのかも知れない……。


 私を見下ろす女雛の顔が、脳裏に浮かんだ。


 私が寝ぼけて階段から転げ落ちたのかも知れないが、一緒に転がり落ちた女雛の着物のざらりとした感触も、防虫剤の独特な匂いも、はっきりと覚えている。


 普通の夢ではないと感じたが、女雛に聞かれているような気がして、誰にも言えなかった。


 それからも何度か、女雛は夢の中に現れ、同じように私を苦しめる。段々と、眠ることに恐怖を感じるようになったが——雛祭りが過ぎ、人形たちが押し入れの中に片付けられると、大きな女雛に追いかけられる夢は、見なくなった。



 それから2年経った、ある日のこと。


 いつもは強気な態度の妹が、珍しく不安げな顔で私に寄って来た。


「あのね……。何度も、同じ怖い夢を見ることって、ある?」


「まぁ、あるけど……」


「なんか、その夢おかしいんだ……。雛人形がね……。大きなお雛様が追いかけてきて、階段から突き落とされるの。それから、お雛様に潰されて……」


 私が2年前に見ていた夢と、全く同じ夢だった。


 ——やっぱり、あれは夢じゃないんだ。


 全く同じ現象が何度も起こるのは、もう偶然とは言えない。おそらく、何かの原因がある。災いが起こるきっかけがあったはずだ。私と妹が同じ夢を見て、苦しめられる理由は、一体何なのか。


 色々と考えを巡らせていると、私が感じた最初の異変は、段飾りの下に落ちた女雛を、拾った時だったことを思い出した。


「ねぇ。追いかけられる夢を見始める前に、お雛様が床に落ちていて、それを拾わなかった?」


 私がそう訊くと、妹は前のめりになって、


「拾った! その時に、お雛様がいつもと違う気がしたの。重くて、冷たくて、嫌な感じがしたから、誰にも言っちゃいけない気がして……」


 と涙目になった。


 妹が私に相談してくるのは珍しいことだ。よほど困り果てているに違いない。私は、恐ろしい夢を見なくなる方法を、教えてあげた。


「大丈夫だよ。雛人形を押し入れの中に戻せば、夢を見なくなるよ」


 私が言い終わると、妹はすぐに、台所にいる母の元へ走って行った。妹は雛人形を片付けたいと、必死に訴える。雛人形は、妹の為に飾っているものなので、妹が片付けたいと言うなら、別に構わないはずだ。しかし母は、


「ダメよ。雛祭りの当日までは、待ちなさい」


 と、強い口調で返した。いつもなら妹に対しては優しい母だが、全く聞く耳を持たない。その後も、妹は諦めずに母を説得していたが、最後まで受け入れてもらえず、久しぶりに泣いていた。母は涙を流す妹に、


「夢を見るだけなんだから、それくらい我慢しなさい」


 と言い放ち、食事の準備に取りかかる。


 私は母の言葉を聞いて、もしかすると母自身も、子供の頃に同じ夢を見たのではないか、と思った。私は2人のそばでやりとりを見ていたが、妹は母に『雛人形が怖いから、片付けたい』と言っただけで、夢のことは話していなかったからだ。

 

 結局、妹は雛祭りの当日まで待ち、両親が用意したケーキを食べ終わると「手伝って」と、私の手を引いた。いつもは大人と一緒に片付けるが、今回は2人で雛人形を片付ける。


 ただ、女雛だけは、どちらが片付けるかで少し揉めた。私だって、もう女雛には関わりたくない。


 私と妹は、大急ぎで人形たちを白い紙で包み、段ボールに入れた後、押し入れの奥に押し込んだ。




 そして次の日の朝、妹は明るい顔で私に話しかけてきた。


「昨夜は、怖い夢は見なかったよ」


 嬉しそうに報告をする妹を見ていると、恐怖を抑えて女雛を片付けて、良かったなと思う。女雛をどちらが片付けるかでめた後、じゃんけんで負けた私が、女雛を白い紙に包んだのだ。


 ——でも、なんで女雛は、あんな夢を見せるのだろう。


 私は考えた。


 私も、妹も、ちょうど10歳になる年に同じ夢を見ている。それは女雛にとって、何かの意味があることなのだろうか。



 これは、本当のことかどうかは分からないが、大昔の人々は、自分たちの願いを叶えるために、生きている人間を生贄にするという残酷なことを、当然のこととしてやっていたそうだ。


 そして『座敷童は家を繁栄させる』という話は、現代でもよく聞く話だと思う。


 その座敷童を、身分の高い家の人間たちは、人の手で強制的に作り出そうとしたらしい。もちろん、自分の家を豊かにするためだ。


 幼い子供に、たくさんの贈り物をして機嫌をとり、そのまま座敷に閉じ込めて座敷童を作った、という話を聞いたことがある。大きな屋敷に開かずの間があったのは、そういう理由だと、お寺の住職さんが言っていた。


 閉じ込められた幼い子供がどうなったのかは、自分で想像してみて欲しい。


 私の家の家紋は比較的、位の高い家についている家紋なので、なんとなく、そのことが脳裏を過ぎった。


 家を繁栄させるために、座敷童にされた子供たち。


 本当に、座敷童になったのだろうか。


 孤独と空腹に苦しんだ子供たちは、平和に暮らしている今の時代の私たちを見て、どう思っただろう。私がその子たちの立場だったら、こんな風に思うかもしれない。



『私の苦しいのを、半分あげる。


 こっちの世界へおいで、一緒に遊ぼう』


 

 

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