第23話 黒い手(ホラー)前編

 小学4年生の初夏。


 学校が休校になる程の、大雨が降り続いた。


 家の窓から見える田んぼには水が溜まって、プールのようになっている。道路も、川の中のように水が流れていて、木の枝や落ち葉が流されて行く。


 学校が休みになり、何もすることがなかった私は、窓から外をながめていた。


 すると、私の胴体と同じくらいの丸太が、転がりながら流されて行く。家の前は坂になっているので、私が走るよりも随分と速いように思えた。


 ——あんな大きなものが、流されるなんて……ちょっと、怖いな。


 不安にられた私は、新聞を読んでいる祖父の横に座った。


「ねぇ、じいちゃん……。すごい雨だけどさ、家が流されたりしないかな」


「んん? 縁起でもないことを言うな。お前が言うと、本当にそうなりそうな気がする」


「雨が降るの、当たったもんね」


「だから縁起でもないことを言うな、と言ってるんだ」


 私は幼い頃から、雨を言い当てるのが得意だった。雨が降る前の日は、空が暗く見える。それに、雨の匂いがするのだ。しかし、私の周りの人たちには、それが分からないようだ。


 普段は、特に胸を張れることが何もない私だが、雨の時だけは役に立つ。家は古い日本家屋なので、雨漏りがする場所があるのだ。雨が降りそうになると、裏山に一番近い窓のそばに、バケツを置く。


 そして雨が降り出すと、バケツに半分くらい水がまったところで、誰かが捨てに行かなければならない。今、どのくらいまで水が溜まっているのか気になった私は、バケツの中をのぞき込んだ。すると——。


 水が小刻みに揺れている。それは私が立ち止まっても変わらなかったので、私が歩いた振動ではない。しかも、揺れは大きくなって行く。


 ——もしかして、地震?


 私が耳を澄ますと、雨の音とは別の、ゴロゴロという音が聞こえる。それは今まで聞いたことがない、地の底から響いてくるような、不気味な音だ。今から何か、恐ろしいものが現れるのではないか。そんな、嫌な予感がした。


「じいちゃん。なんか、変な音がする……」


 私がそう言った瞬間、祖父は勢いよく立ち上がり、叫んだ。


「玄関へ走れ!」


 何がなんだか分からないが、急に怖くなった私は、きびすを返して走り出した。すると祖父は玄関ではなく、なぜか私の方へ走ってくる。まるで化け物でも見たかのような、鬼気迫る形相だ。祖父が私に手を伸ばす。


 その時、私の後ろが、フッと暗くなった。


 ——えっ? 何……? 


 振り向くと、真っ黒な窓が目に入った。

 さっきは明るかったはずなのに——。


 ドォン!


 考える間もなく、大きな音が響き渡る。

 私は思わず、目をつむった。


 ガラガラと、石がぶつかる音がする。

 家が、ギシギシときしむ。

 天井からは何かが、ぱらぱらと降ってきた。


 壁が割れる音がしたら、私は死ぬのだろう。

 目を瞑ったまま、耳を澄ませる。


 しばらくすると、また雨の音しか聞こえなくなり、私はゆっくりと目を開けた。家の中は真っ暗で、裏口の扉の隙間からは、泥が入ってきている。天井からは、バケツでは足りない程の雨水がしたたり落ちていた。地震ではなく、裏山が崩れたのだ。


「ほらみろ……。お前が、縁起でもないことを言うからだぞ……」


 すぐ横で、祖父がぼそりとつぶやいたが、流石に今回は、私のせいではないと思う。1週間降り続いた雨のせいだ。


 土砂に押されて、今にも割れそうな窓を見つめていると、祖父が私をぎゅっと抱きしめた。窓の下にはバケツが転がっている。もし、あの窓が割れていたら、私は生きていなかったのかも知れない。




 私は祖父と一緒に、玄関から外へ出た。

 道路もやはり、土砂に埋まっている。


「これは……大変なことになったな……」


 祖父がため息をついた。たしかに、土砂崩れで道路が使えなくなり、家も、いつ潰れるか分からない。大変なことになったとは思う。しかし、私は別のところに目が行った。


 私の足元には、大きな頭蓋骨ずがいこつがある。


 それは大人の頭よりも大きくて、長細い。人間の骨ではないことは確かだが、なぜここに骨が転がっているのか。


 それに、骨は1つだけではない。土砂の至る所に、頭蓋骨がある。1体分の骨ではないのだ。


「この骨、何……?」私は祖父を見上げた。


「あぁ……牛の骨だ。昔は牛舎があったからな。この辺りには、店がないだろ? 昔は車もなかったから、どの家でも家畜を飼ってたんだ。食った後は裏山に埋めていたから、山が崩れた拍子に出てきたんだろ」


「でも、数が多くない……?」


「そりゃあ、大昔からずっとだからな。数えきれないほど埋まっているとは思うが……。埋め直すのが大変だな、これは」


「……やっぱり、お墓は作らないの?」


「しきたりだからな。このまま埋め直すだけだ」


 私の家には、古くから伝わる、様々なしきたりがある。その1つは、人間は法に触れるので墓を作るが、動物は墓を作らず、高台になっている裏山へ埋めて、自然に還すというものだ。


 祖父が「昔からそうだ」と言うのだから、家が続いてきた200年以上の間、ずっと続けられているのだろう。祖父が言う通り、数えきれない程の骨が埋まっているはずだ。


 私も、死んでしまった犬や鳥を、父が裏山に埋めているのを見たことがある。墓は作ってはいけないので、父は大きな木の根元に埋めていた。


 幼い頃から、それが当たり前だとは思っていたが——。なぜかその時は、墓を作らないといけない気がした。

 

 崩れた山の斜面からは、がらん、と音を立てて、また大きな頭蓋骨が落ちてくる。泥が詰まった眼窩がんかが私の方を向くと、冷たいものが背筋をい上がった。

 

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