子供が泣く家 2

 川沿いにある、8階建てのマンションの5階に、先輩の家がある。


 マンションの前に立つと、霊感が強い先輩が選んだにしては、何となく暗い感じがした。すぐ横を流れる川は人工の川で、深い緑色をしている。あまり良くない雰囲気を感じるので、そのせいかなとも思った。


 そして、入り口にある集合ポストの横には、見えない何かが立っているのが分かる。先輩はもちろん知っているのだろうから、それならそうと、なぜ先に言ってくれないのか。


 私は人ならざるものに影響されると、体調不良を起こすのだが、それは先輩も知っている事だった。それなのに、私に何も告げずにマンションへ来させたのだ。まぁそんな事は、彼女にとってはどうでもいい事なのだろう。


 なんとなく分かってはいたが、私の扱いが雑すぎる気がする。


「やっぱり、帰ろうかな……。無理だよなぁ……」

 

 先輩に従うしかない私は、大きくため息をついた———。




 5階へ行く為、エレベーターに乗ると、すぐに耳鳴りがし始め、次第に音は大きくなって行った。


 ———あぁ、いるな。


 と、私は身構える。何かがいると分かっている場所へ行くのは、本当に気乗りしない。なんだか生贄いけにえにでもなったような気分だ。


 先輩の部屋に着き、一度、深呼吸をしてからチャイムを鳴らす。


 すると先輩はすぐに出てきて、笑顔で私を迎え入れた。急に泣き出すという1歳半の子供も一緒にいたが、機嫌が良さそうに先輩に抱かれている。


 ———泣いてないってことは、今はいないのかな?


 そう思ったが、一刻も早く帰りたくて、家の中を見てまわった。なんとなく気配はする。しかし、どれだけ探しても、人ならざるものを見つける事はできない。


「今は、何もいないみたいですけど……」


 私が言うと、先輩は「だろうね」とつぶやき、奥のリビングへ案内された。予想はしていたが、やはり見つけるまでは帰してもらえないようだ。少し待ってみようという事になり、先輩はお菓子やコーヒーを出してくれた。


 姿は見えないが、何かが近くにいるのは確かなので、小さな耳鳴りと頭痛は続いている。幼い頃からよく経験する事とはいえ、やはり慣れない。先輩のように、霊感が強くても、体調不良にならない人がうらやましい。


 そこから30分程、出されたお菓子を食べながら、アルバイト先の話をしていた。最近、従業員同士で付き合い始めた人がいるとか、全然バイト代が上がらないとか、なんでもない話だ。あまり興味がないので、飽きてくる。


 ———早く帰りたいんだけどな、そう思った時だった。


 急に、子供が大きな声で泣き始めた。


 驚いた私が子供の顔を見ると、先輩も眉間にしわを寄せて、子供を見ている。


 ———何かが、家の中に入ってきた……。


 私が身体にグッと力を入れると、廊下からは何かを スー…スー…、と引きずるような音が聞こえる。背中がぞくりとして、一気に全身に痛いくらいの鳥肌が立つ。


 廊下にいるものの気配は、玄関からというよりも、隣の部屋からそのまま入ってきたような感じだ。そして音が近付いてくると、ドアのすりガラスになっている部分に、黒い影が視えた。


「先輩、あれって……」


 私が言うと先輩は、人差し指を口元にあて、「しー」と口から息をらす。喋るな、という意味だと理解した私が口をつぐむと、黒い影は廊下の奥の方へ移動して行った。


 また何かを引きずっているような、スー…スー…、という音が続いた後、急に静かになったが、相変わらず廊下には妙な気配を感じる。すると先輩が、


「ほら、行ってきて」と、事もなげに言い放った。


「えっ?」間違いなく何かがいるので、正直行きたくない。


「いや、足を引きずるような音もしてたし、影も視えたんで、子供が泣くのはそのせいですよ」


 私は、行きたくない、という意味で言った。


「何がいるか分からなかったら、意味ないでしょ。ほら、早く!」

 

 先輩は私を無理やり立たせて、廊下の方へ押す。未成年に何かを無理強いするのは、罪にはならないのだろうか?


 私が仕方なくドアを開けて廊下に出ると、ひんやりとした空気を感じる。頭の奥の方が突き刺すように痛んだ。


 ———なんで、こんな事に……。


 後悔しても、もうどうにもならない。行きたくはないが、子供が目の前で泣いているのを放ってもおけず、大きく息を吸ってから、足を踏み出した。


 妙な気配を感じるのは、廊下の奥にあるトイレだ。

 そぉっと廊下を歩いて、トイレへ向かう。


 悪意があるものなのか、そうでないのかの判断がつかないので、できれば気付かれずに確認したい。

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