第20話 子供が泣く家(ホラー・人怖)1

 私は、先輩が住むマンションの前で立ち尽くしていた———。


「家の中にがいるので、見に来て欲しい」


 そう言われたが、マンションの前に立つと、すでに嫌な気配を感じる。何も聞いていなくても、ここには人ならざるものがいると分かった。


 空は眩しいほど青く晴れ渡っているはずなのに、マンションの周りは薄暗い。私の目には、まるで山の中の日陰になった場所みたいに、緑と茶色を混ぜたような色の空間が広がっているように視える。


 他の人たちには見えないその異様な空間は、心霊スポットや、禁足地きんそくちによく見られるものだ。生きている人間は近付いてはいけない場所。私だって、出来ることなら近寄りたくはない。

 

「やっぱり、帰ろうかな……」


 ぼそりとつぶやいてみたが、そんなことは許されない。たとえこのマンションがよくない場所だと分かっていても、私はもう、中に入るしかないのだ。


 先輩のお願いは『絶対』の意味で、私には何の拒否権もない。


 先輩に来いと言われた私は、覚悟を決めて、不気味なマンションへ足を踏み入れた———。




 高校時代にアルバイトをしていた先の、明るく活発な女性の先輩は、霊感が強い人だった。彼女は生きている人間と同じように、霊体がはっきりと視える。


 私も視えてしまう事があるが、それは一部の友人しか知らない事だ。知られてしまうとろくな事がないので、普段は自分からは絶対に言わないし、気付かれないようにしている。


 もちろん、怪奇現象が次々と起こるアルバイト先でも、それは秘密にしていたが、私は取り憑かれやすい体質なので、嫌な気配がする所へ突っ込んでいく訳にはいかない。その為、バイト中はそういった場所は避けて歩くようにしていた。


 すると、先輩は霊体がはっきりと視えているので、他の人達はぶつかるのに、私だけがそれを普通に避けながら歩いている、というおかしな状況が分かってしまう。先輩は私に霊感がある事を、すぐに気付いた。


 最初に「視えるんだね」と声をかけられた時、あまり人に知られたくないと説明したので、言いふらされたりはしなかった。しかし、それからというもの、彼女は会う度に何かを言ってくるようになる。私が嫌がるのを面白がっているのだ。


「店の近くにある貯水槽のふちには、いつも男の人が立ってるんだよ」とか、


「奥の部屋のお客さん、ヤバイ生霊連れてるから見て来なよ」とか、


「今日は、いつもトイレの通路にいる女の人が2人に増えてるんだけど、気付いた? ねぇ、掃除行ってきてよ」

 とか、


 いつも楽しそうに、ニヤニヤと笑みを浮かべながら言ってきた。


 私はまだ高校生で、車を持っていなかったので、大きな物を買いたい時には、車で連れて行ってくれるような優しい面もある人だ。しかし、帰りには、人ならざるものがいる交差点をわざわざ通って、いらない解説をしたり、心霊スポット巡りをされたりする。


 自分も人の事は言えないけれど、


 ———いい性格してるな。と思った。


 そして彼女は、私が実家の仏壇の間にいる、死神みたいな男の子に取り憑かれた時には、一瞬も悩まずに見捨てた人だ。あの男の子は、霊感が強い先輩の目で視ると、相当良くないものだったらしい。


 彼女の言い分としては、家族が巻き込まれたらどうするんだ、という事だったが、せめて心配くらいはしてくれてもいいと思う。バイト仲間には「仲が良いよね」などと言われたが、私はそんな事は1度も思ったことはない。

 私は彼女の玩具おもちゃでしかないのだ。



 

 そしてある日、先輩に肩を、がしっと掴まれた。

 

「ねぇ、お願いがあるんだけど」


 私は嫌な予感がして顔をしかめたが、彼女は一向に手を離す気配がない。笑顔で私の肩を掴む彼女の『お願い』は、おそらく私にしかできないことで、私が最もやりたくないことだ。


 私の嫌な予感は、よく当たる。彼女の顔を見れば、もう、聞かなくても分かるのだ。


「実は、うちの子が今1歳半なんだけど、最近よく泣くんだよね。何かに怯えて泣いてる感じがするし、たしかに気配は感じるんだけど、私には視えないの。だからちょっと、家の中を視てくれない?」


 ———やっぱり、そういう事か。


 私の予感は当たっていた。しかし、霊感が強い先輩が視えないのであれば、私に視える訳がない。それに、私はそういったことには、関わりたくない。


「いや、霊感が強い先輩に分からないなら、行っても無駄ですよ」


 私は首を横に振った。拒絶しているのも、はっきりと顔に出ていたはずだ。しかし、先輩も引き下がらずに話を続ける。


「でもねぇ、波長が合わないと、視えないこともあるんだよ。私と旦那だけならいいけどさ、子供に何かあったら、どうするの?」


 先輩は瞬きもせずに、私の目をじっと見つめる。まるで、私のせいだと言われているようだ。


 ———あぁ、もう逃げられないんだろうな。


 私は覚悟を決めた。彼女は相手が何を言おうが気にせず、自分の意思を通す人だ。それが私のような、何の発言権もないような後輩なら尚更で、私は何度も彼女の『お願い』に付き合わされていた。


 結局、大した抵抗もできず、私は小さな子供の為だと自分に言い聞かせて、先輩のマンションへ行くことになった。

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