第19話 鈴の音(ね)(ホラー)1

「すみません」背後から声が聞こえた。


 もちろん気付いてはいたが、聞こえないふりをして歩き続ける。


 遠く後ろの方からは、まだ「すみません」と声が聞こえているが、立ち止まる人は誰もいない。


 その様子をチラリと確認した私は、ほっと胸をで下ろす。


 ———良かった……。間違えなかった。


 あの声は、私にしか聞こえない声だ。


 友人の家に向かって歩きながら、私はぼんやりと考える。


 もし、自分にしか聞こえない音があったら、人はどんな反応をするのだろうか———。




 新しいバイトを始めてから仲良くなった友人は、2階建ての古い木造アパートに住んでいる。


 そこは、同じような木造アパートが何棟も並んだ場所で、周りを見ても、いつ建てられたか分からないような、古い家ばかりだ。


 友人の部屋に行くには、両側を高いブロック塀に囲まれて、暗くて人けの無い、細い路地を通らなければならない。


 外灯がないので、夜になると真っ暗になり、自分が砂を踏む、ジャリ、ジャリ、という音だけが響く。


 何となく、薄気味悪い場所だ。


 路地の周りには、もう誰も住んでいない家も多いので、しんと静まり返っている。小さな物音が聞こえただけでも、思わず振り返ってしまう。


 路地の奥へ進むと、右側には、元は大きな会社の社員寮だった建物があった。そこは、今はもう誰も住んでおらず、手入れがされていない敷地内は草だらけだ。窓ガラスは全て割られていて、壁はスプレーで落書きがしてある。


「あの廃墟って、幽霊が出るらしいよ」


 なんて友人が言うものだから、ますます不気味に見えた。


 ただ、その噂はおそらく本当のことだ。夜に廃墟の前を歩いていると、何かの視線を感じて背筋が寒くなる。私は廃墟を見ないようにして、足早に通り過ぎた。



 夜にその道を通る時は、いつも鈴の音が聞こえてくる。


 まるで私の足音に合わせるかのように、チリン、チリン、と鈴の音が聞こえて、何かついて来ているのかと思い振り返るが———何もいない。


 私が立ち止まると、鈴の音も止まる。


 ———まぁ、野良猫でもいるのだろう。


 姿は見えないが、私はたいして気にはしていなかった。もしかしたら、ブロック塀の向こう側にいるのかも知れない。という思いもあったからだ。


 


 そして、夏の暑い日のことだった。


 友人と外食をした後、そのまま彼の部屋に行って、ゲームをしようという話になった。どこかへ遊びに行こうか、とも考えたが、どこへ行っても暑いので、やはりクーラーが効いた部屋が良い。


 冷たい飲み物を買い、友人と一緒に路地を歩いて、アパートへ向かう。


 するとまた、チリン、チリン、と鈴の音がついて来た。私はすぐに周囲を見まわしたが、真っ暗なので、何も見えない。


 どうせ探したところで、今まで一度も姿が見えたことはないが、何故かとても気になった。鈴の音は、自分のすぐ近くから聞こえている。

 

「ここって、猫かなんかが、いるのかな。いつも鈴の音がするんだよな」


 毎日路地を通る友人なら、鈴の音を鳴らすものの正体を見たことがあるかも知れないと思い、訊いた。すると———。


「本当? 毎日通るけど、聞いた事はないよ。まぁ、この辺りは猫がたくさんいるし、飼い猫だったら鈴をつけているかも知れないな」


 友人は音を探すこともなく、まっすぐ前を向いたまま話す。


 ———あれ? 何かがおかしい。


 今も耳の奥に響く、高い音をした鈴の音は聞こえているのに、友人は気付いていないように見える。


 それに今、「聞いたことがない」と言った。


 ———今もずっと、鈴の音は聞こえるのに。なんで……。


 私は困惑したが、もう一度確かめてみることにした。本当はずっと鈴が鳴っているが、私は友人に変に思われないように、今、音が聞こえたかのように言う。


「ほら、今音が鳴ったでしょ。聞こえた?」


 ちゃんと意識を集中すれば、友人にも鈴の音が聞こえるだろう、と思ったのだ。すると友人は、少し目を大きくして、


「え? 全然聞こえなかったよ。お前は耳がいいんだな」と、関心した様子で返した。


 ———本当に、何も聞こえてないんだ……。


 私は息を呑んだ。自分にしか聞こえないという事は、生きているものが出している音ではないという事だ。霊感がある人間にしか聞こえない音。


 一気に全身から汗が吹き出す。なぜ今までは、そのことに気付かなかったのだろう。


 そういった事はたまにあるが、あまりにもはっきりと聞こえていたので、当然、生きている猫がいるのだと思っていた。思い込みとは、本当に恐ろしいものだ。


 私が考えを巡らせている間も、チリン、チリン、と音が聞こえる。


 今までは軽快に感じていた音も、生きている猫が出している音ではないと分かると、何となく不気味に感じる。


 一度意識してしまうと、音が歪んでいるような気もした。




 

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