呪うもの(後編)

 支度部屋の中には、子供には動かせないような大きなタンスしかない。危ないのなんて、上から殺気を出している奴しかいないので、


 ———やっぱり危ないと分かってるじゃないか。


 と少しいらついた。


 母はその危険なものがいる部屋に、私たちを入らせているのだ。幼い頃からずっと。


 親戚の子供は可哀想だが、自分の子供たちはどうなっても良いとでも言うのだろうか。本当に、気に入らない。


 そして、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、お坊さんがやってきて、法事が始まった。


 法事の最中は、支度部屋との間の扉は閉められていたが、それでも部屋の中からは、こちらを睨んでいる視線を感じる。目を閉じると、あの暗闇の中の細い目が脳裏に浮かんだ。


 法事には親族が大勢集まっていたが、その視線はなぜか私へ向けられている気がした。


 私がそちらへ目をやると、扉は閉まっていて何も視えてはいないのに、目と目が合っているのが分かる。


 あの暗闇の何かが見ているのは、常に私なのだ。

 私が一体、何をしたというのだろうか。

 


 ———その時、ふと思った。


 前に友達が遊びに来た時、友達は何も感じていなかった。


 この家の血筋ではない父さんも、何も感じていない。


 でも、他の家族はこの家の血を継いでいるからなのか、たまに気配を感じているように見える。


 あの暗闇にいるものは、あの場所から一切動かない。


 他の、人ならざるものたちとは、少し違う気がする———。


 私がたまに視るものは、人なら人の形をしていて、そこに立っている事が多いが、支度部屋にいるものは、真っ暗な暗闇が本体のように思えた。何となく、暗闇自体がもう家の一部になっているようにも感じる。どちらにしろ、離れる気はないのだろう。


 そして、この家の血筋の人間に対して恨みがあるような気がしたので、私はご先祖様のことを調べたくなった。そうしないと、被害に遭うのは私なのだ。


 どうせ母に訊いても何も教えてくれないので、私は祖父にたずねた。


「支度部屋って、前に誰かが使っていた事があるの?」


 本当は、誰かがあの部屋で亡くなったことに気が付いていたが、そう訊いた。


 すると、祖父はしばらく考えてから、


「家はワシが若い頃に建て直して、それからは誰も使ってないが……。今の家は、完全に壊して新しく作ったわけじゃないんだ。古い家の太くて立派な柱は残して、間取りもそのままで、リフォームしたような感じだな。


 それで……、古い家の時には、あの場所には不治の病を患った人が、ずっと寝ていたんだ」と言った。


「不治の病? その人、死んだの?」


「あぁ。10年以上寝たきりのままでな。最後はバケツいっぱいに血を吐いて、死んでしまったよ」


「そう……なんだ。でも、10年以上も生きてたんだよね? それなら、誰かを恨んだりなんて、しないよね……?」


 暗闇の中の目が脳裏に浮かぶ。


 すると祖父は、

「うーん……。どうだろうなぁ……」


 と怪訝けげんそうな顔をした。


「家の人間は仕事があるから忙しくてな。世話は全部よその人に任せて、家族はあまり面倒を見ていなかったからな……。それに、ずっと狭い部屋に押し込められたままで、死んだんだ。……恨んでいても、おかしくはないかもな……」


 祖父から聞いた話では、世話をするのが楽な場所だから。という理由で、あの陽の当たらない小さな暗い部屋で、女性は十数年寝たきりの状態で放置されたようだ。


 最後は大量に血を吐いて亡くなったそうだが、まだ医療が発達していない時代だったので、何の病気だったのかも分からない。


 ただ、あんな陽の光も入らない狭い部屋に閉じ込められていたら、健康な人でも病気になりそうな気がする。窓がないので、換気をすることもできないのだ。


 たしかに暗闇の中から視えた手は、とても細かった気がするので、女性なのかも知れない。


 あの悪意を持った暗闇の正体は、小さな支度部屋の中に押し込められたまま死んだ、その女性で間違いないと思った。


 その女性が亡くなってからは、病気になる親族が増え、産まれたばかりの赤ちゃんも亡くなったりした。男は体が弱くなり、親族の中で戦争に召集された人はいないらしい。


 祖父も5人兄弟だったらしいが、祖父以外は皆早くに亡くなったそうだ。


 祖父はかなり運の強い人だったので、生き残っているのだと思うが、もしかしたら亡くなった兄弟たちが、祖父を守っていてくれたのかも知れない。


 そう思うのには理由があり、祖父には、とても大きくて強そうな守護霊が憑いている。はっきりとは視えないが、男性のようだ。その強い守護霊が、ご先祖様の呪いを全て跳ね返してきたのだろう。



 ———私は、祖父の話を聞きながら、自分も幼い頃に何度か死にかけた事を思い出していた。


 崖から落ちたり、2階から鉄の外階段を転がり落ちてコンクリートに叩きつけられたり、車にね飛ばされてかれた事もある。ただ、毎回奇跡的に、ほぼ無傷だったらしい。


 私が死にかけた時の話を聞いていると、『偶然』という言葉が何度も出てくるが、そんなに都合よく、偶然なんて何度も起きるものだろうか。


 霊感が弱い親族たちは、あの部屋にいるご先祖様のことを知らない。


 私が生きているのは、『偶然』ではなく、強い守護霊か何かが憑いているおかげだ。自分でも気付く程、何度も助けてもらっている。そうでなければ、とっくに死んでいる気がする。


 支度部屋の暗闇にいるご先祖様は、幼い私を殺し損ったのが気に入らなくて、いつも睨んでくるのだろうか。そしてこれからもずっと、私を呪い続けるのだろうか。


 本当は、何代前のご先祖様か分かっているが、それは心の中に留めておいた方が良い気がする。母がいつも言っているように、これは「誰にも言ってはいけない」ことなのだと思う。


『言霊』という言葉がある通り、口に出すと何かが近寄ってくる気がするのは確かだ。



 今は就職して、実家にはしばらく戻っていない。


 それでも、目をつむってあの小さな部屋を思い浮かべると、暗闇の中からこちらを向く細い目が、すぐ近くにある気がして、押さえつけるような威圧感を感じ出す。


 それは、ただの思い過ごしなのか。それとも———


 

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