第18話 呪うもの(ホラー)前編
小さな部屋の天井から、何かが私を見ている。
ゆっくりと上に目をやると、突き刺さるような視線を感じた。
睨んでいるのか、見下しているのかは、分からない。
視線はずっと、ついてくる。
暗闇の中から覗く細い目が、私をどこまでも追いかける。
私が一体、何をしたというのだろうか。
古い日本家屋の一角にある、小さな部屋。
今はタンスが置かれ、物置部屋として使われている小さな部屋は、着物を着替えるための支度部屋だ。
都会に住んでいる人には馴染みがないと思うが、田舎では、葬式や法事を個人宅で行う事が多い。そしてその際に、女性は着物の喪服を着ていたので、その人達が着替えや準備をする為に使われる部屋だ。
男性が5歩しか歩けないくらいの小さな支度部屋は、壁の一面は全て押し入れになっていて、窓がないので、年中陽が入らない。
私が支度部屋の扉を開けると、ひんやりとした空気が流れ出てくる。
———入りたくないな……。
毎回そう思いながら、中へ足を踏み入れる。
薄暗い部屋の中が涼しいのは、陽が当たらないせいだ、と思いたかったが、部屋の中へ入ると、ずしっ、と押しつぶされるような感じがして、全身の皮膚が
部屋の上の方から、何かが私を見ている。
突き刺すような視線を感じるのだ。
目の前に血だらけのナイフを持っている人が立っていて、その人が自分の方を睨んだとしたら、大半の人は心臓が苦しくなるほどの早鐘を打ち、全身の毛が痛いほど逆立って、呼吸も苦しくなるだろう。
そんな風に感じる、悪意
———やっぱりまた、見てるよね……。
恐る恐る右上を見上げると、真っ暗な隙間のようなものが視える。周りは黒い
そして目を
こちらを睨み付ける細い目と、手だ。
目と手があるということは、元は人間の形をしていたのだろうか。
不思議なのは、目が視えることだ。私は人ならざるものが視えたとしても、顔のパーツが分からない。それなのに、暗闇の中には目が視える。
それはもしかすると、向こうが私に姿を視せたいからなのかも知れないが、目と手しか無いなんて、そんな状態のものは他ではあまり視た事がない。目が視える度に、私は息を呑む。
もちろんそんな部屋には行きたくなかったが、タンスが置いてあって、自分の服もそこに入っていたので、行くしかなかった。なるべく暗闇を視ないようにしていても、部屋に入る度に殺気を感じ、恐ろしくなる。
———もしかしたら、あれが暗い穴から
私は急いでタンスの中にある服を取り出し、逃げるように部屋を出た。
幼い頃に一度だけ母に、あの部屋に入るのが怖い、と相談した事があるが、
「口に出すと寄ってくる、誰にも言ってはいけない」
とだけ言われ、理由は教えてくれなかった。
———なんで何かがいると分かっているのに、部屋に行かせるんだろう……。
そう思ったが、母の有無を言わせぬ態度に、私はどうすることもできなかった。私の家では、母の言うことは絶対なのだ。それに、私にしか視えないもののことを、他の誰かに相談することもできない。ただ恐ろしいのを我慢して、誰にも話さずに過ごしていた。
そんな状況に変化が現れたのは、ある年のお盆だった。
お盆の墓参りに来ていた従兄弟が、支度部屋の右上を指差し、
「この部屋に入るの、怖くないの?」
と訊いてきたのだ。
従兄弟は霊感はなく、初めて嫌な気配を感じたと言ったので、おそらく我が家の支度部屋でだけ、何かを感じたのだろう。
霊感がない人間は、人ならざるものを認識できないので怖がることはなく、そもそも、いるとも思っていない。たとえ気配を感じても、何かがいるかも知れない、と理解するには時間がかかる。繋がってこないと分からないからだ。
従兄弟のように初めて体感して、「あそこに何かいるよね?」なんて明確に言い当てる事はない。
支度部屋にいる何かは、それ程存在感が強いのだ。仏壇の間にも強力なのがいるが、従兄弟はそちらには気付いていなかったので、やはり霊感があるわけではないのだと思う。
私からすれば、仏壇の間にいる男の子の方が、よほど存在感が強いような気がする。ただ、彼が私にしか興味がないので、他の人は感じる事ができないのかも知れない。
なぜ我が家には、力が強い化け物たちが集まるのだろう。
そして、なぜ私ばかりが被害に遭うのだろう。
その謎は解けないが、従兄弟が嫌な気配に気が付いてくれたことが嬉しかった。『自分だけじゃない』と分かって、それだけで、心が救われた気がしたのだ。
おそらく母も、あの部屋に何かがいると気が付いているが、母は何事もないかのように過ごしていた。
どうせ訊いても、何も教えてくれない。
私はもう、母に期待するのはやめたのだ。
ある年の秋に法事があり、親戚が大勢集まった。
早く来た親戚の幼い男の子は、支度部屋の中にボールを投げて遊ぶ。最初は小さな部屋の壁にボールがぶつかり跳ね返ってくるので、楽しそうにしていたが、しばらくすると、突然泣き出した。
———あぁ。小さな子供は視える子も多いから、気付いたんだろうな。
あの部屋に何かがいることを知っている私は、そう思いながら男の子を見つめる。
すると母が、スッとその子に近寄って、「あの部屋には入っちゃダメよ、危ないからね」と、言った。
部屋の右上を見ながら———。
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