奇妙な焼肉店 後編
女性は、古いデザインの赤いワンピースを着ていて、髪は茶色で腰の辺りまである長い髪だ。
特に何かをしてくるわけではないが、少し歩いては立ち止まる。
私が手を洗う時には、必ず鏡に映り込む。
いると分かっていても、顔をあげて突然目に入れば、誰だって驚いて身体がびくんと
その女性は、ずっとトイレにいるわけではなく、通路に出ている時もあった。彼女は、1箇所に留まっているタイプではないようだ。
そしてそのせいで、大勢に目撃されてしまう。
このトイレの女性は、霊感がない人でも視えやすいらしく、目撃した人がパニックになるか、青い顔をして飛び出してきていた。テレビを見ていると、心霊現象に出会した人は大体叫びながら逃げるが、1人で恐怖体験をした人は、無言でその場から立ち去るようだ。
トイレで赤いワンピースの女性を視た人は皆、血の気が引いた顔で、唇はわずかに震え、充血して潤んだ目はキョロキョロと焦点が定まっていない。
そして、振り返りながら早足で歩いて、他の人に近寄り、
「女の人が……女の人が……」
と、小さな声で何度も繰り返す。
ほとんどの人が同じ反応だった。
そういうのを見てしまうと、テレビってやっぱり作ってあるものなのかな? と不信感を抱いてしまう。一度も、理解し
焼肉店の、赤いワンピースを着た女性の霊は
本当におかしな焼肉店だな、と思う。
⚪︎
そして、スタッフルームの前の廊下も、幽霊が出ることで有名だった。
廊下の隅に、店で使う備品のストックを置く場所があり、その横には、いつも男性が立っている。白い大きめのシャツに、黒い細身のパンツで、顔は分からないが、若い男性のようだ。
スタッフルームの入り口に近い場所に立っていたので、姿は視えなくても、何かがいると気付いている人が多かった。
男性は動かないが、従業員たちが部屋に出入りするのを観察するように立ち尽くす。
その姿は、たとえ生きている人間だったとしても、怖いような気もする。
私も、たまに人ならざるものが視えるといっても、この店の中のように、至る所に気配を感じたり、何かが視える場所はそうそうない。
やはりアルバイト先の焼肉屋は、少し特殊な場所だ。
あまりにもハッキリ視えて、見分けがつかないこともあった。
ある日の夕方、5時からシフトが入っていたのを忘れていて、ギリギリになってしまったことがあった。
店に着くと、従業員たちが入り口に集まっている。開店前のミーティングが行われるのだ。当然だが、店に入るなり店長にじろりと
すると運悪く、通路で誰かに追いついてしまった。
黒い短髪の男性。
着ている白いシャツと黒いエプロンは、働いている焼肉屋のユニフォームだ。
「おはようございます」
誰だか分からないが、とりあえず挨拶をした。
しかし、返事は帰ってこない。その人は、振り向きもしないで前を歩いていく。結構大きな声で言ったつもりだったが、気付かなかったのだろうか。
私は遅刻しそうで
そして廊下の角を曲がった瞬間——
私は足に、急ブレーキをかけた。
何故か、大扉が閉まっている。
——えっ?
わけが分からなくて、頭が混乱した。
私は急いでいるのを分かって欲しくて、前の人にかなりピッタリとくっついて歩いていたはずだ。
目の前を歩く人が曲がったのなら、進んだ先の扉は当然開いていないといけない。
それに、通路の扉は大きくて、引き戸なので動かすとゴロゴロと大きな音を立てる。でも、何の音もしていなかった。音を出さずに、閉まった扉を通り抜ける事ができるのは——
霊体だけだ。
間近で視て、人間と区別がつかない程ハッキリと視えるのは珍しい。普通なら恐怖を感じるはずだが、珍しさに思考がおかしくなった私は、本物かどうか確かめたくなった。
一度、開店前のミーティングをしている場に戻り、
「今、奥って誰かいますー?」
と叫ぶ。すると、
「お前が最後だよ! 気持ち悪いこと言うな!」
と店長が声を荒げた。
皆自分の周りをきょろきょろと見まわしている。従業員たちは、心霊現象を連想させる発言には、敏感だった。
それ程皆、何かしらの心霊体験をしていたからだ。
その日の閉店後、店の外で数人で集まって話をしていた。
そして、ふと気がつくと、誰もいないはずの店内で、何かが動いている。
私は店長と一緒に店を出て、店長が鍵をかけるのもそばで見ていたので、不思議に思った。そっと窓に近寄って、暗がりに目を凝らす。
すると、店の中にいたのは、白いシャツに黒いエプロンをした人だった。どうやら、メニュー表を運んでいるようだ。
——そういえば帰り際に、遅くなったからメニュー表を拭くのは明日にしよう、って誰かが言ってたな……。
歩いているのは短髪の男性のようなので、私が生きている人間と間違えた彼かも知れない、と思った。
従業員と同じユニフォームを着た彼は、私達が帰った後も、1人残って閉店作業をしてくれているようだ。
霊感がない人達でも、何かの気配を感じてしまう奇妙な焼肉店は、今日も営業中だ。
訪れる際は、相応の覚悟をしてから行ってほしい。
あなたが入ったその店が、私が働いていた焼肉店ではないことを祈ります。
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