河童の淵 後編

 私は学校から自転車で帰る時には、車の交通量が多い、広い道を通る。


 それは学校から指定されている道だ。しかし、夜に目の前で消えたバイクがどうしても気になった私は、河童の淵がある道を通って帰ることにした。


 ちょうどバイクが曲がった辺りで自転車を止め、川をのぞき込んでみたが何の異常もなく、川は静かだった。特に事故が起きたような形跡けいせきもない。何事もなかったのなら、それが1番良いはずだ。


 ただ、私はバイクが消えたのを確実に見ている。


 事故が起きていないのを確信しても、まだ納得ができなかったので、少し遠回りにはなるが、その後も同じ道で帰ることにした。何故そんなにあのバイクにこだわるのかは、自分でもよく分からない。


 それでも、バイクがどこに消えたのか、が知りたかった。


 毎回、帰る時は河童の淵で自転車を止めるが、変わったことは、何も起こらない日々が続く。


  


 そして、ある日の帰り道、霧みたいな小雨が降っていた日だった。


 雨が降る日はバスで通学していたが、その日の朝は晴れていたので、自転車で学校へ行っていた。帰る時も少し迷ったが、歩いている人達も傘を差さないくらいの小雨だ。私は、そのまま自転車で帰ることにした。


 ——少し制服が濡れるくらいなら、明日の朝までには乾くだろう。


 自転車を走らせ、河童の淵でいつも通りに止まると、何故か川の中に男性が立っているのが見えた。道路とは反対側の、川の深い方を向いている。


 黒っぽい上下の服に、白いヘルメット。


 服を着たままで、太ももの辺りまで水に浸かっている。


 最初は何かを探しているのかと思ったが、その男性は立ち尽くしたままで、動く気配がない。


 ——今は小雨だからいいけど、川が増水したら危ないのにな。


 と思いながら、その男性を見つめていた。


 河童の淵は、普段は穏やかな流れだが、川幅が広く、雨が降り出すと濁流と化すのを知っていたからだ。


 そして、私の横を大きなトラックが通り過ぎたので、一度そちらに目をやり、再び川の方を向いた私は思わず「え……」と声を漏らした。


 数秒前までいたはずの男性の姿が、どこにもないのだ。


 一瞬でいなくなってしまったので、もしかして、生きている人ではなかったのかも知れない。と思ったが、それよりも男性の格好が気になった。


 黒っぽい上下の服は制服のようにも見えて、白いヘルメットを被っている人。よく見かけるような気がするが、いくら考えても、その時は思い出すことができなかった——。




 数日経ったある日。学校帰りに信号待ちをしていると、目の前で郵便配達の人がポストを開けて、郵便物を取り出し始めた。その光景に視線が釘付けになり、一瞬周りの音が遠ざかる。


 白いヘルメットに、黒っぽい制服。

 最近、似たようなものを見た気がする。


 ——川の中に立っていた人だ! 


 その時やっと、郵便配達の人の服装だと気が付いた。


 ただ、郵便配達の人が仕事中に、制服を着たまま川の中に立っていたとは考えられない。やはりあの男性は、もう亡くなっている人だったのだろう。生きている人間が、一瞬で跡形もなく消えることはできない。


 そして、なんとなく、河童の淵の真実が見えた気がした——。



 

 バイトが休みだった土曜日、久々に、河童の淵の話をしてくれた友人の家へ行った。遊ぶのではなく、彼のおばあさんに会うためだ。


 おばあさんとは前にも何度か話をしたことがあったので、河童の淵の話を直接訊けば、何か分かるかも知れないと思い、会いにきたのだ。


「ねぇ、おばあちゃんは昔、河童の淵に郵便配達の人が落ちたとか、聞いたことある?」


 私は単刀直入に訊いた。すると、


「そうそう。雨の日にバイクが滑って落ちてね、亡くなったんだよ。可哀想にね……」


 おばあさんは意外にも、あっさりと教えてくれた。


 普段は秘密にしていることでも、相手がある程度のことを把握していると分かると、結構簡単に口が軽くなってしまうものだ。


「郵便配達の人が亡くなった後、同じ場所で泳いでいた人が溺れたり、亡くなったりが続いてね。それが、祟りなんじゃないかって噂が広がったんだよ」


 と、おばあさんは言う。


 そこで、この地域の大人達は『河童に川に引きずり込まれて殺される』という恐ろしい話を作って、子供達が近付かないようにしたらしい。


 そうやって、伝説や怪談話は生まれていくのだろう。


 なぜ、夜に何度かすれ違っただけのバイクの人が、そんなに気になったのかは分からない。


 何度も訪れた河童の淵で、初めて川の中に立っている男性が視えたのが、彼が亡くなった日と同じ雨の日だったのは、偶然なのかも知れない。


 河童の淵の水難事故もただ、深いから。それだけかも知れない。


 実際に自分の目で見なければ、何が真実かは分からないのだ。


 私は、たまに亡くなっている人が視えた時、もしかしたらこの人は、自分が死んだことを分かっていないのかも知れないな。と思うことがある。


 おそらく、亡くなる直前にしていたと思われる行動を、何度も何度も繰り返しているのを視たことがあるからだ。


「川に引きずり込まれて殺される」


 なんて聞いたら恐ろしいが、溺れて苦しくて、助けて欲しいとしがみついたのかも知れない。と見方を変えると、なんだかやるせない気持ちが込み上げた。


 ——そんな恐ろしい伝説ではなく、川の入り口に小さな朱の鳥居を建て、


『神様が眠る神聖な場所だから、立ち入ってはいけない』


 そんな言い伝えでも良かったのではないか、と雨の日に視た男性の後ろ姿を思い浮かべた——。



(河童の淵という名称は、近所の人達が名付けただけで、実際は異なります)


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