第10話 河童の淵(不思議)前編

 中学校の夏休み、私は友人の家へ遊びに行った。


 その友人の家では金魚の養殖をしていて、夏になると祭りの夜店へ出すための小さな金魚がたくさんいた。


 広い池の中は紅白、赤、橙色の金魚で埋め尽くされていて、物珍しさに見ているだけで胸が高鳴る。


 私がじっと池の中をながめていると、


「金魚を傷つけないようにするなら、すくってもいいぞ」


 と彼の父がえさいて、金魚を近くに集めてくれた。


 そして、友人は家の中から祭りの時に見かけるポイを取ってきて、「破るなよ」と私に手渡す。


「何でこんなものが家にあるんだよ」


 驚いた私が笑うと、


「だって祭りで金魚すくいをしたら、高いじゃん。だから家でやるんだよ」


 友人もポイをくるくると回しながら笑った。


 そこから約1時間程、私たちは夢中で金魚すくいをして遊んだ。


 友人の家に置いてあったポイは祭りで使うものよりも丈夫で、10匹ほどすくった程度ではやぶれない。まるで金魚すくいの達人にでもなったようで、楽しかった。


 しかし、金魚たちは冷たい水の中で泳いでいるが、私と友人は陽炎かげろうが見えるような暑い場所で金魚すくいをしているので、しばらくすると、2人共汗だくになった。下を向いていると汗が流れてきて、目にしみる。


 夏休みの中間辺り、8月なので当然だが、とても暑い日だった。


「あっついなー。これ以上続けてたら、熱中症になりそうだよ」


「本当だな、もう汗だくだよ。俺も泳ぎたくなってきた」


「良いねぇ。この近くにどこか泳げる所ってあったっけ?」


「キャンプ場の川が良いんじゃない? 広いし、着替える所もあるし」


「そうだな! 早く行こう!」


 私たちが行こうとしているキャンプ場は、友人の家からは自転車で15分程の距離にあり、テントを張って寝泊まりをする人達は有料だが、ただ川で泳ぐだけの場合は無料で入れる場所だ。


 暑いので、のろのろと自転車を走らせていると、途中で泳ぐのにちょうど良さそうな、川が広くなっている場所があるのを見つけた。そこは少し深そうだが、流れは穏やかだ。


 辺りを見まわすと誰もいないし、川まで下りられる坂道もある。


 キャンプ場まではまだまだ距離があったので、


「ここで泳げばいいんじゃない?」


 と友人を呼び止めた。


 すると友人は止まって川を見たが、すぐに顔をしかめて、


「ここは絶対にダメ。怒られるんだ」


 と首を横に振った。


 そこは、周辺の年配の人達には『河童のふち』と呼ばれている場所で、子供たちは泳いではいけないし、近付くのも駄目だと教えられているそうだ。そして、


『ここで泳ぐと河童が現れて、川の中へ引きずり込まれて殺される』


という恐ろしい伝説まであるらしい。


 実際におぼれる人が相次いで、泳いでいる人が河童に引きずり込まれているのを目撃した人もいるというのだから、もしかすると、伝説は本当のことなのかも知れない。


 普通なら怖がるところなのかも知れないが、妖怪の話が好きな私は、期待に胸を膨らませた。


「えっ? お前は河童見たことあるの?」


 私は前のめりになって友人にたずねる。


「いや、俺はないけど……」


「河童ってさぁ、テレビとかで見るのと同じなのかな? 本当に、頭に皿が乗ってるのかな?」


「知らないけどさ……。河童に会いたいの?」


「うん、見てみたい!」


 私が声を大きくして言うと、友人は怪訝けげんな顔を私に向けた。中学生になったのに、まだ妖怪を信じているのか、なんて思われているのだろうか。別に信じるのは自由だと思う。


 地元には、自殺の名所が何ヶ所もあり、幽霊が出るなどの怪談話はたくさんあったが、妖怪が出てくる話は珍しかったので、不謹慎ふきんしんだが、少しワクワクした。


 とはいえ、大人に見つかると怒られるらしいので、結局キャンプ場まで行って、夕方まで泳いだ。河童は気になるが、やはり怒られるのは嫌だ。


 夏休みの間、その友人とは何度か遊んだが、河童についてそれ以上の情報を聞くことはできなかった。最初は、なんとしても探し出してやろう、などと思っていた河童の話だが、夏休みが終わる頃にはもう忘れていたように思う。


 +

 

 そして数年後。私は高校生になり、アルバイトを始めた。


 遅い時は夜10時まで働くので、その時は父が車で迎えに来てくれる。


 別に、誘拐されるから危ないとかそんな話ではなく、夜になると猪や熊が出るような、山に囲まれた道を通らないといけないからだ。


 親戚は夜に車を走らせていて、飛び出してきた熊にぶつかられ、熊は元気に逃げていったが、親戚の車は前が大きく潰れて廃車になった。


 そんな事が当たり前のように起こる道だ。


 放任主義ほうにんしゅぎの家でも、子供が熊や猪に食われるのは、流石さすがに気が引けたのだろう。


 そして、自転車の時は広い道を通るが、父は信号待ちが嫌いなので、抜け道を通って帰っていた。それは河童の淵がある道だった。


 田舎道なので外灯も少なく、夜遅くに通ると家の明かりもないので真っ暗だ。車もほとんどすれ違うことはなく、アルバイトで疲れていた私は、ただぼーっと外の暗闇を眺めていた。


 すると、前から小型のバイクが1台走ってきた。


 特に珍しくもないバイクで、注視したわけでもない。


 それなのにすれ違った後、その小型バイク特有の高い排気音が、何故か頭の奥の方に残った感じがした。とても不思議な感覚だ。




 また別の日の夜遅くに通った時も、1台のバイクとすれ違い、今度はそのバイクに目が行った。


 暗くてはっきりとは見えないが、運転手は白っぽいヘルメットを被っていて、前にすれ違った時と同じ音に聞こえる。出会う場所もほぼ一緒だったので、前にすれ違ったのと同じバイクだなと思った。


 父が迎えにくれば同じ道を通るので、2度出会うくらい不思議ではないが、その後も何度か同じ場所で、同じバイクに出会う。


 私は、乗り物にはそんなに興味はなかったが、毎回同じバイクだったので、よくすれ違うな、と思い次第に気になり始めた。あのバイクに乗っている人も自分と同じように、夜遅くまで働いて、この時間に帰るのかも知れない、と妙な親近感を感じていたのだ。




 そしてある夜、いつものように前から走ってきたバイクは、車の手前で急に曲がって、川の方に消えていった。


 道路はだいぶ先まで真っ直ぐで、川の方へ曲がる道はない。


 ——え……? 落ちた?


 私は驚いて父に、


「ねぇ、今バイクが川の方に突っ込んでいかなかった?」


 と訊いた。


 すると、父から帰ってきたのは、意外な言葉だった。


「バイクなんかいたか? 気付かなかった」


 父は運転しているので、もちろん前を向いている。


 目の前で曲がったバイクに、気が付かないわけがない。


 父の言葉が信じられなくて頭が混乱したが、何かがおかしいと感じたので、それ以上は訊かなかった。


「あぁ……、気のせいだったかも」


 そう言って誤魔化ごまかした。


『私が何かを言って、相手が不思議そうな顔をしたら、それ以上はもう何も言わない』


 それが私の中のルールだったからだ。


 自分の見えているものが、他の人にも見えているとは限らない。

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