神ではないもの 後編

 父が私の方を向いて「何かいい物あったか」と訊いてきたので、


「何もなかった、つまらなかった」


 と生意気に返していると、ふと小屋の中に気配を感じた。


 小屋の中は窓がないので真っ暗だ。しかし、犬小屋にも窓はないけれど中は見える。それに、どう見ても素人が建てたであろう小屋は、壁の板も斜めになっていて隙間だらけだ。トタンの屋根も、曲がって浮いている部分がある。光が差し込む場所はたくさんあるはずだ。


 しかし、昼間で明るいはずなのに何故か、小屋の中は入り口のところから、プツっと違う世界のように、真っ暗だ。今まで感じたことがないような、異様な空気が漂っている。


 真っ暗な小屋の中を見ていると、ふと、「荒神様があるので物置小屋には近づいてはいけない」と、祖父に何度も言われていたことを思い出した。


 畑までは来たことがあっても、小屋の中は一度も見たことがなかったのだ。


 ——その時、小屋の方側になっていた左耳に、冷たい風がふわりと当たった。


 氷のように冷たくて、驚くと同時に顔が少しだけ左を向くと、左目だけに小屋の中が見えた。


 ——え……?


 私はあることに気が付き、動きを止めた。目の端に、何かが映っている。


 ただ、それ以上そちらを向いてはいけない気がした。


 一気に、全身に痛いほどの鳥肌が立つ。


 モスキート音のような耳鳴りはどんどん強くなり、眩暈がする程になった。


 自分が考えるよりも先に、身体が危険だと警告しているようだ。


 見てはいけない、と私の中の何かが言っているが、左目の端に全神経が集中する。顔は動かさずに、目だけを小屋の中へ向けた。すると、


 真っ暗な小屋の中には、誰かが立っていた——。


 私の嫌な予感は、普段からよく当たる。


 関わってはいけない気がしたので、必死に気付いていない振りをした。


 真っ暗な小屋の中は何も見えないのに、立っている人だけが見えるのはおかしい。子供の私でも分かることだ。


 恐怖で冷や汗はかいていたが、横目で何度も確認するうちに少し冷静になり、頭が働くようになった。


 ——もし、少しでもこっちへ来たら、すぐに逃げないと。


 と身構える。小屋の中にいるものは、それまであまり感じたことがないような、とても嫌な気配だ。


 父と話をしながら、ジリジリと小屋から距離をとるが、身体はどんどん冷たくなって、重くなっていくような感じがする。それは、寒さで身体が重いというよりは、冷たいものが上から押しつぶしてきているような感じだ。


 そして小屋の方側になっている左半身は、ずっと何かに刺されているかのように痛みを感じてたが、反応すれば、きっと気付いていることがバレてしまうと思ったので、我慢していた。


 まるで、身体中にナイフを突きつけられているようだ。


 明らかな殺気を感じる。


 ——怖い……足が動かない……!


 どうしたらいいか分からずにパニックになりかけた時、突然後ろから、ドンっと押された感じがして、勢いよく畑に転がり落ちた。


「おい! 大丈夫か?」


 何も知らない父の驚いたような声が聞こえたが、急に動けるようになった私は、急いで家の方へ走った。途中で一度も振り向かなかったので、父がどんな顔をしていたのかは分からない。




 しばらくしても震えは止まらなかった。


 まるで高熱が出た時のように身体は力を失って、先ほど見たものが普通の霊ではないことが分かる。小屋の中にいたものには関わらない方が良いと感じたので、誰にも話さず、探検の後で興奮していたから何かいる気がした。と自分に言い聞かせた。


 あまりにも恐ろしかったので、全部気のせいだったことにしようと思ったのだ。


 小屋の中にいたものは、荒神様なんてまともなものではない。


 親戚が何人も怪我をしたり、病気になり、亡くなる人も出たのがよく分かる。


 あれは、絶対に関わってはいけないものだと思った。



 

 大人になった今でもあの時のことを、たまに思い出す。


 そして祖父は何故、荒神様として祀られていた黒い岩ではなく「小屋へ近づいてはいけない」と、言っていたのだろうと考える。


 もしかすると霊感がある祖父は、何かを知っていたのかも知れない。小屋に近づいていいのは祖父と、血の繋がりがない父だけだった。


 もし、あの時畑にいたのが父ではなく祖父だったら、私が小屋の入口の前に立つのを許さなかったかも知れない。



 人間という生き物は、楽しかったことや、嬉しかった気持ちよりも、嫌だったり辛かった記憶の方が残りやすい。とテレビで特集されていた。


 そして私は、生きているものを目にした時よりも、人ならざるものが視えてしまった時の方が、記憶に残りやすい。忘れたくても、おそらく永遠に消すことができない記憶だ。


 子供の頃は恐ろしさもあって、あの小屋で視た何かは気のせいだ。と自分に思い込ませたが、大人になってあの時のことを思い出す度に、ふと思う。


 気のせいならば何故、白っぽいベージュの着物を羽織った若い男性が、うとましいと言わんばかりの表情かおで私の方を見つめていた、と詳細に覚えているのだろうと。


 記憶はまるで写真のように、脳裏によみがえる。

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