一億総青春計画

@me_kara_uroko

本文

 「説明は以上です。それでは皆さん、少年少女の気持ちで頑張ってください」

人事の女性がマイクを置くと、大会議室内はどよめきに包まれる。


「上原……、どうするよ?」

 振り返ると、石橋の姿がそこにあった。

「どうもこうも……。この歳で『青春』って言われてもな」

「そうだよな。俺たちもう55だぜ? ホント、この国も何考えてんだか……」


二週間前のことだ。

缶ビールをお供にTVを眺めていると、画面の上部に白い文字が現われた。


『緊急速報 安田総理が『一億総青春計画』を閣議決定』


――ん?何だこの昭和風の名前は……


心の中でこぼしていると、画面が切り替わる。

スーツに身を包んだ、肉食動物の様な顔つきの男が現われた。

画面の右端には、『安田総理緊急記者会見 LIVE』のテロップ。


「えー……、先ほど新しい政策が閣議で決定しました。その名も『一億総青春計画』です。この国に今一番足りないのは、経済力でも、軍事力でもなく、活力です。

将来に対して不安や心配ばかりで、夢や希望を持てなくなっている。

これは由々しき事態で、放置すれば、この国は衰退していく一方です。

だからこそ、今回の政策で、国民の皆さんに“青春”を取り戻していただきます!

以上!」


よどみなく言い切ると、彼は出口へと向かう。

その潔さに、画面内は一瞬、静寂に包まれる。

記者達が騒がしさを取り戻し始めた頃には、映像は切り替わっていた。


――何なんだ、“青春”を取り戻すって。


よくわからなかったが、社会に揉まれ鍛え上げられた勘が、警鐘を鳴らしていた。


 数日後、その勘の正しさを再認識する。

管理職だけが出席する、本部内定例会議の最中、本部長が重そうに口を開いた。


「……連日騒がれている『一億総青春計画』だが、当社も協力することになった。

今夜プレスリリースもするらしい」


「……すいません」

 同期の石橋が挙手する。


「石橋、どうした?」


「そもそも、『一億総青春計画』がよくわからないんですけど、

具体的に何するんですか?」

 他の参加者達は頷き、本部長に視線を集める。


「……俺も同じことを役員に聞いたよ。でも、未定らしい。

近日中に人事が説明会を開くらしいから、それを待ってくれ……」

 ため息混じりで話す本部長。


僕の心にも暗雲が立ち込めていた。


 そして、迎えた今日の説明会。

人事の話は大きく二つ、『一億総青春計画』に協力する趣旨と、

具体的な実施内容だ。

「会社の存在感を高める」といった無味乾燥な趣旨は、予想の範疇だった。

問題だったのは、実施内容の方。

それは、「管理職が青春時代の気持ちで仕事に取組む」というもの。

政府が開発した謎のワクチンを投与して。

“青春ワクチン”なるものは、試験段階の為、接種は希望者のみとのこと。

だが、個人の“青春”レベルが賞与の基準になるらしく、選択肢は無いも同然だ。

「ワクチン接種以外に、青春を取り戻す方法は無いか」という質問への答えは、「学生時代を振り返る」、「昔の夢を思い出す」など、取るに足らない精神論だけ。

あまりの突拍子の無さに、皆困惑していた。


『今夜久々に飲みに行かないか?』


部屋を出て程なく、石橋からチャットが届いた。


――あいつも、モヤモヤしてるんだろうな……。


二つ返事で返した。

早めに退社しようとしたが、本部長や部下に捕まり、気付くと21時を回っていた。


 会社近くの飲み屋街、見覚えの無い店が散らばっているが、流れる空気は昔のままだ。自然と馴染んだ居酒屋へと吸い込まれていく。


「……よしっ! じゃあ、お疲れ!」

 グラスの衝突音が店内に響く。


「ふぅ、やっぱ一口目のビールは格別だな」


「あぁ……。一瞬だけど現実を忘れられるよ」

 僕の言葉に、石橋は顔を強張らせる。


「……三十年間、辛いことの方が多かったな」


「どうした? 急に悟っちゃって」


「大企業に就職すれば全て安泰だと思ってたんだよ。

でも、全然だったな。給与は減るわ、早期退職は募るわ……。

何とか潜り抜けたと思ったら、今回のお達しだもんな」


「……確かにな。石橋はどうするんだ? “青春ワクチン”の接種」


「……接種するしか、ないだろうな。ボーナスに響くんじゃどうしようもね……」

 グラスを勢いよく口元に注ぐ石橋。


「……そうだよな」


ぼやきを繰り返すうちに、時間は溶けていき、家に着く頃には日が変わっていた。


 一週間後。僕はワクチン接種の列に並んでいる。

少し前の方には石橋の姿が見える。

散々愚痴はこぼしたものの、この様だ。

会社に脳死で従ってしまう自分に嫌気が差す。

接種方法はいたって普通で、デスクに戻った後も、身体に変化はない。


――きっとビタミン剤か何かだろう……。


帰宅する頃には、接種したことすら忘れかけていた。


 翌朝、5時にパッと目が覚める。

節々にあった痛みは消え、異様に身体が軽い。

しかも、胸の下辺りで何かが滾っていて、身体全体が熱を帯びている。

そのせいか、何かをせずにはいられず、気が付くと、自宅周辺を走り回っていた。

汗をかいて自宅に戻ると、丁度妻が起きてきたところだった。


「……どうしたの?こんな朝早くに」


「早く目が覚めてさ、近くを走ってきた」


「ふーん……。もう若くないんだから、あまり無理しないでねー」

 話し終えると同時に、大きな欠伸をする妻。


シャワーを浴びたが、衝動は収まらない。

何をしてても居心地が悪く、普段より早く会社に向かうことにした。


電車に乗り込むと、スーツや小奇麗な格好のサラリーマン達が視界に入る。

席に座り眠るもの、立ちながらスマホを眺めたり、呆然とするもの。

年齢や行動は様々だが、皆揃って覇気がない。

目に光は無く、憐れみすら覚えてしまう。

以前の自分もそうだったのだろうが、さながら“生ける屍”だった。


執務エリアのドアに近付くと、中の明かりが点いていることに気付く。


――珍しいな。いつも、こんな時間には誰も出社してないはずだけど……。


ドアを開けると、直ぐに謎は解けた。

数名の管理職達がデスクでPCを叩いている。その中には、石橋の姿もあった。

PCを立ち上げながら、何をするかを考えていると、彼が近づいてきた。


「……上原おはよう。やっぱりお前も来たか」


「おはよう。目が覚めてから何か変なんだよ……、妙に熱い感じがして」


「俺もだ。きっとワクチンの効果だろうよ」


「……そうなのか?」


「他に来ている人達も同じだからな、個人差はあるみたいだけど。

ま、折角だしこの青春を謳歌してやろうぜ」

 僕の肩をポンと叩くと、石橋はデスクへと戻っていく。


その日は、嘗てないほど充実していた。

異様な集中力で定常タスクは高速で無くなり、悩んでいた案件には、次々とアイデアが浮かんできた。

会議でも、積極的に発言や提案をして議論をリードすることができた。

事情を知らない部下達からは不審がられたが、本部長始め管理職達からの反応は良かった。彼らも、僕と同じ様に滾っていたからだ。

管理職同士の打合せは白熱し、「あるべき姿」、「ゼロベース」など、今まで聞くことがない、青臭い言葉が飛び交っていた。

熱意と充実感に支配された体は疲れることを知らず、あっという間に一週間が過ぎ去った。

途中で失速する者も現れるなか、ひと際調子の良い男がいた。

石橋だ。

経理部長として、既存のタスクをテキパキと進めるだけでなく、オペレーションや組織の改善などの新規プロジェクトを次々と提案し、推し進めていた。

財務部長の僕が関わる案件も多く、同席する会議では、進行からアフターケアまで、惚れ惚れする働きだった。


ある日の会議終了後、石橋からチャットが届いた。


『気分転換に、コーヒーでもどうだ?』


エントランス階のエレベータ―ホールで待つこと数分、彼が現われた。


「すまんすまん、区切りが良いところまでやってたら時間掛かっちまった!」


「いいよ、俺も隙間時間で考えごとできたからさー。随分調子良さそうじゃないか」

 カフェに入り、コーヒーを注文する。


「まぁなー会社入ってから、こんなの初めてだよ。毎日精一杯“生きてる”って感じ」


「ワクチン様様だな、部の様子はどうだ?良い感じに回ってる?」


「人によるかな。やる気を出してる奴もいれば、仕事はそこそこって奴もいて。どうやったら焚き付けられるか、考え中だよ」


「なるほどな。まぁハードルは沢山あるけど、一個ずつ乗り越えてこうぜ!」

 コーヒーを受け取り、乾杯の真似事をする。


石橋は満面の笑顔を浮かべていた。

それが、僕の見た彼の最後の笑顔だった。


 二週間後、石橋を会社を辞めた。

表向きの理由は自己都合退職だったが、実態はパワハラ。

ある部下から「情熱を持つことを強要された」と訴えがあったのことだ。

僕は心配になり、彼を訪ねることにした。


 石橋の家の最寄りにある喫茶店、席を取って暫くすると、

彼は背後からヌッと現われた。

記憶の中にあった溌剌さは無く、一気に老け込んでいた。

それは、気のせいでは済まないもので、少なくとも五歳は老けたように見えた。


「……よぉ、よく来てくれたな」


「大丈夫か?それにその姿は……」


「……今は少し落ち着いたよ」


「な、何があったか聞かせてくれないか?」


「……そうだな、お前には話しておこう」

 大きく咳き込む石橋。


「……何もかも順調だったんだよ、一週間ぐらいまでは。

いや、順調だと思い込んでいたんだな。仕事が大人にとっての“青春”なんだって」

 僕はコーヒーを一口含み、無言で頷く。


「……でも、俺は間違っていた。うちの部の内村は知ってるだろ?

物静かで何考えてるのかわからない感じの」


「……あぁ。今5年目くらいの」


「彼に、大人の“青春”を説いたんだが、強く反論されてね。俺もムキになってやってたら、パワハラになっちまったって訳さ」


「……なるほど。でも、なら、わざわざ退職しなくても。異動させてもらうとかさ」

 ゆっくりとコーヒーを一口飲む石橋。


「……内村はさ、元から“青春”を過ごしてたんだよ。仕事以外のもので」


「?」


「彼は絵を描いてたんだ、人生を掛けてな」


「そ、そうだったのか……」


「半端な覚悟じゃなかったよ。絵を描けなくなるなら、仕事は辞めるってさ……」


「……意外だ。そんなタイプだったとは」

 大きく咳き込む石橋。


「それで気付いたんだよ。俺は、好きでもない仕事に熱中しようと無理してたって。

そしたらワクチンの効果も消えてって、一気に老け込んじまった。

きっと、副作用か何かだろうな……」


「……そんなまさか」


「上原、お前はまだ間に合う。本当の“青春”を探せ、心から夢中になれるものを」


「……んなこと、いきなり言われても……」


「そろそろ病院の時間なんだ、じゃあな……」

 石橋は立ち上がると、金を置いて去っていく。


僕は、彼の小さい後ろ姿を見つめていた。


 しこりを残しながらリビングで寛いでいると、直人が降りてきた。


「あ、帰ってたんだ」


「あぁ、さっきな」


直人は妻に似て、昔から意志の強い子だった。

進路など重要な決断は、親の意見に関係なく自分で判断し、今年の春にベンチャー企業に就職した。


「……なぁ直人。ちょっといいか?」


「ん? 別にいいけど。何?」

 彼はコップに水を注ぎながら、僕の方を見る。


「……直人は、何で今の会社に就職したんだ?」


「経験を積むためだよ、将来起業したいから」


「……何で、起業したいんだ?」

 直人は腕組みをして考える素振りを見せる。


「うーん、何て言えばいんだろ。起業が最高の“暇つぶし”だからかな」


「ん? どういう意味だ?」


「いや、人生って長いじゃん?八十歳まで生きるにしてもあと五十年以上あるでしょ。昔から熱中できるものを探してたんだよ、退屈しないように。

色々考えて、一番面白そうだなって思えたのが、起業だっただけ」


「……なるほどな」


「珍しいじゃん、俺のことを聞くなんて。何かあったの?」


「いや…、何でもない」


不思議そうな顔で、彼は部屋へと戻っていく。


――本当の“青春”か……。


思いつくまま書斎へと赴く。

書棚の上に積み上げられた缶箱、それらを床に下ろして無心で開いていく。


「……ここじゃない、どこにしまったんだ」

 半ば諦めかけながら最後の箱を開けると、アルバムが。


「こ、これだ!」


開くと四十数年前の思い出が蘇る。

中には、嘗ての級友達の写真が並ぶ。

思いを馳せていると、探していた見開きページに辿り着く。

『6年2組将来の夢』と大きく書かれた文字を、生徒たちの似顔絵が取り囲む。

僕の欄には、『漫画家』と書かれている。


――漫画家か。そういや目指してたな……


アルバムをどかすと、自由帳が姿を現した。

開いたページには、当時空想していた主人公や悪役の絵が敷き詰められている。

ページを捲るうちに、目頭は熱くなっていき、終いには湿り気さえ帯びていた。

気付くと僕は、スマホのメモアプリを起動し、無心で漫画の構想を書き出していた。


 二週間後。僕は日没前に会社から帰宅した。


「……ただいま」


「あら、早かったのね。直人はまだよ」

 鞄を置き、リビングのソファに腰を下ろす。


「話したいことがあるんだけど、いいかな?」


「え? ……いいわよ」

 何かを察したらしく、妻の表情が引き締まる。


「……会社を辞めてきた」


「え、どうしたのいきなり?」


「本当の“青春”を、心からやりたいことを見つけたんだ!

俺は……漫画家になりたい」


「……知ってたわ、あなたが最近遅くまで何か描いていたのを……。本気なの?」


「あぁ。命を賭けるぐらいの覚悟だ」


「……わかった。そんなに真剣なあなたを見るの、いつぶりかしらね」

 表情を緩める妻。


「あ、ありがとう! あ、お金のことは心配しないで。

丁度、早期退職者を募集してて、退職金はそれなりに貰えるから」

 妻は無言で頷く。


「漫画の方も可能性はあるんだ! 試しに出版社に送ったら編集の人が興味を持ってくれてさ。次のコンテストに応募してみようって」

 鞄から原稿を取り出し、妻の方に向ける。


「……よかった。あなたも“青春”を取り戻せたのね。

これで、気掛かりが無くなった……」

 妻はスマホを僕に手渡す。

 画面には『小説新人賞結果発表』の見出しと共に妻の名前が表示されている。


「え! これ、ホント? すごい! 大賞だなんて……」


「ふふっ。あなたにお願いがあるんだけど」


「な、何だい?」

 妻は振り返り、書類らしきものを手に取る。


「この書類に……サインしてほしいの」


妻の背後から現れたのは、離婚届だった。

片側には妻の名前が記入されている


「……わたしも、集中したいのよ。全てを捨てて、ね……」

 呆然とする僕の視線は泳ぎ、テーブルの上の紙に留まる。


その紙には、『“青春ワクチン”接種済書』と書かれていた。(了)

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