じべるばらいろひこうしん。

 は、日々増殖していった。


 初めは、おへその横だった。親指大の茶色いシミのようなものができた。痛くもないし、かゆみもない。特に気にならなかったので、その日は軟膏を塗って寝た。



 次の日だ。もう一つ増えていた。今度は、脇のちかく。それから、お腹や背中を中心に茶色のシミはじわじわと増えていった。



 増殖のスピード、消えない茶色いシミ。恐ろしくなって、私はスマホを手にした。なにか、よからぬ病気にかかってしまったのだろうか。



 まず候補にあがったのは、カビだ。カビならば、増えていくのも納得できる。けれども、カビによる皮膚炎は赤いものが多いようだ。



 私は夜な夜な、皮膚の病気を調べた。調べたが、どれも症状が一致するものはない。もやもやした気持ちを抱えたまま、一ヶ月が経ってしまった。




 ──いや、皮膚科行けよ。




 と思ったであろう。私もそう思う。

 本当に何故、皮膚科に行かなかったのか!


 茶色いシミは増えていく以外、無害であったため病院に行くという優先順位は低かった。市販薬で解決できるならそれでいいと、のんびりしていた。



 だが!



 私はある事実に気がついてしまう。








 夏がくる。







 このままでは、いかん。


 ようやく、私は皮膚科に行くことにした。



 ご近所の皮膚科は、少し(?)癖が強かった。



 旦那さんによれば「腹話術なんかなって思う病院」という評価である。



 この病院の先生は男性で、看護師さんはおばさまである。旦那さんが腹話術と言ったのには理由がある。



 先生が何と言っているのか、全く聞こえないのだ。


「もごもごもご」


 先生が何かをしゃべっている。


「いつから症状でましたか?」


 おばさま看護師さんが通訳する。



「もごもごもご」

「ああ、なるほど。でも先生、こっちの症状が近いと思います」



 二人は何故だか通じ合っている。

 仲が良いのかというと、そうではない。

 おばさま看護師さんは、イライラしているのだ!



 時折、先生が「もごもご」話しているのを遮って、通訳を入れてくる時もある。恐らく、おばさま看護師さんは、焦ったいのだ。


 このパターンは、この症状。それで、この薬。


 とわかっているのに、先生の「もごもご」をいちいち通訳していては時間がかかるのだろう。



 けれども、一患者としてどちらの話を聞けばいいのか、私は迷った。やはり、先生の話を聞かねばならないのではないか。



 先生とおばさま看護師さんが、私の体にできた茶色いシミをのぞき込む。



 先生は定規を持ってきて「もごもご」言いながらシミの大きさを測っている。何と言っているのか聞こえないので、おばさま看護師さんに助けを求める。



「最近、風邪をひいたりしました?」


 おばさま看護師さんが通訳する。

 そう言っていたのか。全くわからなかった。


 私はちょうど一ヶ月前、世界中に蔓延したウィルスに感染し、隔離生活を送っていたことを話した。



 先生とおばさま看護師さんが顔を見合わせて、うなずいた。



「ジベル薔薇色粃糠疹ですね」


「ばらいろ……ひこうしん?」



 何だその華やかな名前は!!

 薔薇色ではなくて、泥色なのだが。

 ジベルさんって誰?



 先生いわく(通訳:おばさま看護師さん)──

 免疫力が下がった時に、指先大の斑点のようなものが体中に出来てしまうのではないかと考えられる。しかし、ジベル薔薇色粃糠疹の原因は未だに不明で、治療薬もなく、数ヶ月で自然治癒する。

 かゆいなら、薬を出す。──といった内容であった。



 変な病気ではないことがわかった私は、かゆくないので薬を辞退した。


「それじゃあ、待合室でお待ちくださいねー」


 にこやかにおばさま看護師さんが、診察室のドアを開けてくれた。


「もごもごもご」


 先生が私に向かって、何かを言っている。「お大事に」だろうか?


 診察終了だからか、おばさま看護師さんは通訳してくれない。私はもう一度聞き返し「もごもごもご」の意味を知ろうと、注意深く耳を澄ませた。


 先生のか細い声が聞こえてくる。





「……かゆく……ないですか……?」




 なんと、診察は続いていた!!



「かゆくないです」と答える前に、おばさま看護師さんが完璧な作り笑いを浮かべて、



「先生、かゆくないですよ! はい、大丈夫です。では待合室でお待ちくださいねー!」



 と色々と代弁してくださった。それは光の速さくらいの瞬発力だった。



 恐らく先生のペースに合わせていると全ての患者さんの診察が終わらないのだろう。それにしても、おばさま看護師さんは、先生のことをよく理解している。


 癖の強い二人だったな、と笑いをこらえながら私は軽やかな気持ちで病院をあとにした。



 夏がくるまでには、この素敵な名前の皮膚炎ともお別れができそうである。


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