目を開いておくか、閉じておくか。

 Tさんの手が止まった。


「やっぱり……」


 その後の言葉を待って、私はわざとらしく目をパチパチさせてみた。





 美容院。それは、臆病な私にとって最大の難所である。


 だが、髪は切りたいし、カラーもしたい。お洒落したい。自分で切る技能もないので、美容院は、絶対に通らねばならぬ試練なのである。



 まず予約からドキドキする。ネット予約なのにである。そして、入店する時が最大のドキドキである。


 美男美女たちが、一斉にこちらを向いて「いらっしゃいませ」と歓迎してくれる。美容師さんたちは、みんなお洒落な服を着こなし、清潔感のあるメイク、流行の髪型をしている。それに、なんかいい匂いもする。


 まぶしい! 

 まぶしすぎるッ! 


 対して、私は芋である。煌びやかな場所に来てすみません、と美容院の影や隅っこを探して挙動不審にふるえるしかないのである。



「こんな感じの髪型にして下さい」と言うのも毎度ドキドキが爆発して、心臓が破裂するのでは? と思うほどだ。


 似合わないって思われるかな。この髪型は無理って思われてるかな。本当は、もっと前髪切りたいけれど、おかしいかな。



 私はいつも無駄に、それもマイナスに他人がこう思っているのではないか? と考えすぎてしまう。全く困ったものである。



 本当は熟読したい雑誌も、ひょっとして、見られているのでは? と思うと落ち着いて読むことも出来ない。頭に入らない情報をペラペラめくって、美容師さんとの会話を「あはは~」と笑って乗り切るのである。


 

 そんな私が、落ち着ける美容院に通っていたこともある。

 それは、美容師Tさんとの出会いである。


 Tさんと出会ったのは、真夜中の駅である。


「カットモデルお願いします」


 Tさんはボソボソっとした声で私に話しかけてきた。それも、必死に。


 当時、私は新入社員で、仕事の効率も悪く、帰宅するのが22時頃であった。そんな時間帯にTさんも練習台となるカットモデルを探していたのだ。


「いいですよ」


 あっさり私は了承した。というのも、大学時代、金欠だった私はカットモデル(モデルという名の練習台)をして、美容代を浮かせていたのだ。


 カットモデルは美容院の閉店後に行われる。仕事終わりに美容院に行けて、しかも無料。こんなに良いことはないではないか。


「え、いいんですか?」


 そっちから聞いてきたのに、Tさんは意外! といった感じに驚いて私を見返してきた。


「本当に大丈夫です?」


 Tさんは嬉しそうに何度も確認した。「ダイジョブ、ダイジョブ」私は何度もうなずき返す。


 閉店後の美容院に行くのは、ちょっぴり冒険に顔を出しているようで楽しい。それに営業後、ほっと肩の力を抜いている美容師さんたちといると、私もあまり緊張しなくて済むのだ。

 なにより、無料というパワーワードが、緊張や苦手意識を全て吹っ飛ばしてくれるのである。



 そうして私は、Tさんが一人前になる(?)まで約二、三年間、彼の練習台となったのである。


 Tさんは私と同い年で、気が合った。お互いに接客業という仕事を選んで就職をしたのに、人前に出ることが苦手だ。


「出来れば、話したくないんだよね」


 ポソポソっと彼は言葉を落とすように話す。


「けど、そういう訳にはいかないし」

「わかる」


 私は大きくうなずいた。


 人と接することが苦手な私たち。けれど、人と関わりたいと思ってしまう私たち。苦手だけれど、魅かれてしまうのだ。


 一人でいるには、さみしくて。大勢でいるのは、つらくて。だから、ほどよい距離感の接客業を選んでしまうのかもしれない。


 Tさんとの会話は少なかったけれど、伝えたいことを伝えあえていることは、お互いにわかっていた。古くからの友人のように、私たちは互いを理解していた。(と、思う)



 だから、私は長年の疑問をTさんにぶつけることにした。

 


 シャンプーの時だ。


「Tさん、聞いてもいいですか?」

「なんです?」

「シャンプーの時、顔に紙みたいなやつのせるじゃないですか」

「ああ、はい。嫌ですか?」

「嫌ではないんですけど」

 言いながら、私はTさんの気遣いに関心してしまう。

「紙をのせられた時、目を開いておくか、閉じておくか……どっちが正解ですか?」


 えっ、と困惑したTさんは、手を止めて考えた。


「あまり顔は見てないので、正直どっちでもいいです」


 そうなんだ! 私は新しい発見を見つけた。いつもは、固く目を瞑って過ごしているけれど、今日は目を開いていよう。そう思った。


 白い膜のようなフェイスガーゼが、ふわりと顔にかけられる。はっきりとガーゼの向こう側は見えないが、Tさんの影は確認することが出来た。



 Tさんがシャンプーを取りに行って、プッシュする気配を感じる。途端、アロマの優美で心が落ち着く香りに包まれる。ふわっふわの泡が髪に触れると、体の力がストンと抜けていくのがわかった。



 気持ちいいなぁ。思わず目を閉じてしまいそうになり、慌てて目に力を入れる。


「ふふっ」


 Tさんが押し殺すように、笑っている。


「やっぱり、目、閉じて」


 私はわざとらしく目をパチパチさせた。あまり笑わないTさんが、笑っているのが面白かったのだ。


「顔は見ないはずでは?」

「視界に入る。コワイ、コワイ」


 カッと更に目を見開いてみせると、Tさんは手を止めて笑い出してしまった。



 輪郭がぼうっとボヤけている中、黒い目だけが、やたらはっきりと見開いて(それも真顔で)、じっと見ている。まるでギャグ漫画のようだとTさんは笑った。


「これ、普通のお客様だったらどうするんです?」

「必死に耐えるしかない」


 ぷっ、と私が吹き出して、顔にかかったフェイスガーゼが宙を舞った。





 Tさんは今、店長をしている。通うには遠いお店なので、会ってはいない。けれど、Tさんのおかげで少しだけ美容院が楽しくなった。


 私は今、ご夫婦で営む小さな美容院へもう何年も通っている。


「昔、仲良しの美容師さんに、フェイスガーゼをのせてもらっている間、目を閉じるか開けるか、どっちがいいか聞いたことがあるんです」

「うん」

「どちらでもいいと言うので、目を見開いていたら、怖いって言われました」


 あははは、と美容師さんは笑った。


「目を開いていてもいいけれど、瞬きする時、ガーゼがズレちゃうかもなぁ」


 なるほど、やはり目は閉じるに限るらしい。



 Tさんは今、どうしているのだろうか。


「こんな僕だけど、店長目指しているんです」


 照れ臭そうに話してくれたTさんを思い出す。

 目標に手が届いたTさん。

 よかったね、がんばってね、Tさん。


 私はフェイスガーゼ越しに、目を瞑りながら、遠く離れた友人のためにエールを送るのである。

 

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