ご存知かしら。

「あなた、ご存知かしら?」


 電話口の向こう、年配のご婦人は言った。クレームの電話だろうかと、私は背筋を伸ばして耳を傾けた。


「アルバムって、わかります?」


 尋ねられて、私は戸惑った。




 会社の電話には、お客様から頻繁に電話がかかってくる。商品の有無や、取り寄せ、それからご意見など。様々である。



 電話をかけてくる大体のお客様は、丁寧な口調で聞きたいことも簡潔で、こちらも案内がしやすい。


 けれども、ほんの、ほーんの少数のお客様は「お前、それが人に尋ねる態度か」と電話線を抜いて、縄跳びをしたくなるほど、電話である。


 中には、ただただ女性を罵りたいだけの電話をかけてくる男性もいる。まともに応対していると、確実に精神を削られる。



 そんな電話に出てしまったが最後、「申し訳ございません」を繰り返して、手元のメモ帳にニコちゃんマークを大量生産し、精神を保つしかないのである。



 そもそも、私は電話が苦手だ。見知らぬ相手、しかも、顔も見えない相手と声を交わすというだけで、緊張してしまう。


 手汗をかきながら電話を握りしめ、どうか普通のお客様でありますように、と願いながら毎日を過ごしている。そんなことだから、仕事が終わるとドッと疲れて果ててしまうのだ。


 コールセンターに就職したという友人を尊敬する。次に就職する時は、人と話さない仕事につこう。私は毎度、そう誓うのであるが、もうこの仕事を五年は続けているのだから、我ながら困ったものである。




 さて話を戻すが、ご存知かしらのご婦人である。


「アルバムって、わかります?」


 と聞かれて私の頭には、写真を入れて保管するアルバムしか出てこなかった。なので、


「写真を入れる、アルバムでしょうか?」


 と答えた。電話口の先で、ご婦人が興奮したように息を吸いこんだ。


「あなた、知っているのね!」


 まるで宇宙に取り残された人が、長年漂流した末、見知らぬ星で、同じ地球人に出会ったかのような、驚きと感動を含んだ言い方であった。


「どこのお店に行っても、アルバムが売ってなかったからね。ああ、よかった。やっと見つけられたわあ!」


 私はちらりとカレンダーを見る。


 2021年。よし、間違いない。

 突然、未来に飛ばされた訳ではなさそうだ。


 私はもう少し、お客様の話を聞くことにした。写真のアルバムがというのは、おかしな話だ。きっと、アルバムに収めたい写真が、大きさや形が特殊なものなのかもしれない。


「お客様、どのようなアルバムをお探しですか?」

「あなた、ご存知かしら? 大昔にね、あったのよ。簡易的に写真を撮るカメラが」

 

 大昔……。

 簡易的……。


「……使い捨てカメラでしょうか?」

「あなた、知っているのね!」


 ご婦人は大興奮である。私はもう一度、カレンダーを見た。


 2021年。間違いない。

 知らないうちに、転生して異世界にきた訳ではなさそうだ。



 ご婦人はきっと、私のことをアルバイトの若者だと思って、気を遣って下さっているのかもしれない。きっと、そうにちがいない。お客様のやさしさに感謝しつつも、私は担当者に電話を繋ぐため、大まかな商品像を確認した。



「一般的なサイズのお写真を入れる、アルバムをお探しですね?」

「そう! そうなのよ! あるの?」



 ご婦人は大層、興奮している。電話口の向こうで、目をきらきら輝かせながら、電話にかじり付くようにお話されている、ご婦人の姿がありありと目に浮かんだ。


 アルバムを見つけるまでの苦労と時間、ご婦人のもどかしさを考え、なんとしてもご婦人にアルバムを手にとっていただきたい! 私はそう思った。



 使い捨てカメラで、ご婦人は何を撮られたのであろう。

 日常のちょっとした風景。

 久しぶりに会う友人。

 お孫さんの成長。

 旅行に行った思い出。

 


 写真はたくさんの記憶を残してくれる。最近はスマホですぐに写真を撮って、いつでも見返すことが出来る。友人やSNSにシェアすることも簡単に出来るし、撮った写真に対して「いいね」などの反応ももらえる。



 けれども、写真をわざわざ時間をかけて現像して、一枚一枚、確かめながらアルバムに収める。「この時、こんなことがあった」とメモを挟んでもいい。自分と大切な人だけが見るアルバム。そこに他人の反応はいらない。


 大切な思い出だけを、いっぱいに詰め込んだ宝箱のようなアルバム。時がすぎると共に、写真も少しずつ年老いていく。自分と一緒に生き、思い出を共有する友達のようである。



 わかります! わかりますよ、ご婦人!


 妄想を広げて、私は妙に熱が入ってきた。



 電子書籍も便利でエコで素晴らしいけれど、やっぱり私は紙の本がいい。線を引いたり、折り目をつけたり。読み返した時、当時の自分が何を感じていたのか、鮮明に思い返すことが出来る。


 それに読み終わった後、本棚に並べる瞬間が、最高に至福の時なのだ。この物語は、あの物語の隣に置こう。とか。この作家さんは、あの作家さんの隣がいいな。なんて考えながら、自分だけの本棚を作り上げていくのである。



 それと、同じことですよね! ご婦人!


 なんだかわからない理論を並べて、私はご婦人と勝手に共感し、喜びを分かち合った。



「写真のアルバムは、ご用意ございます! いくつか種類がありますので、担当者からご案内させていただきますね」


「まあ! どうもありがとう」


「今、担当者に電話を繋ぎますね!」


 私はすぐさま、アルバムを扱う担当者に電話を繋いだ。


 どうか、ご婦人が欲しい商品と出会うことが出来ますように。

 ご婦人、素敵なアルバムを作って下さいね。


 そう願い、私は受話器を置いた。


 清々しい気持ちになった。雨が降り止んだ時に、葉っぱの上にまん丸の小さな雨粒が、ちかりと光ったのを見つけた時のような、気持ちになった。



 退勤時、偶然にもアルバムの担当者とすれ違った。彼女とは普段、電話を回すこと以外であまり会話をしたことがなかったが、ご婦人がどうなったのか気になった私は、迷わず彼女を呼び止めた。


「さっき電話を回した、写真のアルバムのお客様だけれど……」


 彼女は一瞬、考えた後「ああ」と苦笑いした。


「ただ、聞きたかっただけみたい」

「え?」

「アルバムが欲しい訳ではなかったみたいですよ」


 アルバムが 

 欲しい 

 訳では 

 ない。


 頭の中で言葉をぐるぐるかき回して、やっとそれを飲み込む。


 一体、どういうことなのだ? ご婦人!


 使い捨てカメラで撮った写真を、アルバムに収めるのではなかったのか? それとも、私は妄想を広げすぎて、ご婦人の電話の意図を間違えたのであろうか。



「なんかぁ。写真のアルバムって最近見ないから、まだこの世に存在するのかなぁ、って思ったみたいですよ」


「アルバムを買いたいのかと思った……」 


「全然、そういうのじゃなくて。疑問に思っただけ? みたいですよ」



 そりゃないぜ、ご婦人!



 私はアニメのごとく、白目をむいて、後ろ向きにヒューっと倒れこんでしまいたくなった。


 そうか、アルバムが欲しくて電話をかけて来たのではなかったのか。だが、ご婦人の疑問が解決できて、よかった。(と思うことにしよう)



 それにしても、ご婦人。一体、何者なのだ。


 アルバムの行く末を案じて、あらゆるお店にアルバムの有無を確認すべく、電話をしているのだろうか。


 もしや、写真アルバム保存委員会の会長なのでは? 

 いやいや、それともご婦人は、実は未来から来た人で、卒業論文に『アルバムが消えた日』という題名で論文を書いているのかもしれない。きっと、アルバムが世の中から消えた日がいつなのか、検証しているにちがいない。



 たぶん、きっと、そう。

 私は帰宅する電車の中で、妄想だけを広げてみるのである。けれど、と過ぎていく景色の中で思う。



 この先も、どんなに技術が発展しても、なくならないで欲しいと思ってしまうのは、エゴだろうか。歳を重ねるごとに、変わらないでと思うものが増えているような気がするのである。


「ご存知かしら?」


 もしかしたら、ご婦人も加速して過ぎゆく日々に、少しばかりの切なさを感じたのかもしれない。


 誰かが必要としていれば、その存在はまだ、ここにいられるのだから。

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