あと、トロル。

 まっ黄色のパプリカをつまみ上げて、彼は不思議な顔をしている。


「よねづさん?」


 首を傾げて彼は言った。私は吹き出してしまった。


 三歳になった息子は、この日初めてパプリカを見た。


「きいろのピーマンだ」と喜んでいた息子に、

「これはね、パプリカっていう名前なのよ」と私は教えた。



 息子の中で『パプリカ』という言葉は、米津玄師さんが作詞作曲をし、Foorinが歌って踊った曲をさす。

『パプリカ』は全国の保育園児、幼稚園児、小学生たちが歌って踊ったであろう、有名な曲だ。



 もちろん、息子も保育園の朝の会で踊っていた。加えて、私たち夫婦は米津玄師さんの大ファンである。「パプリカは米津さんが作った」と言っていたのを覚えていたのだろう。


 息子の頭の中では、今『黄色いピーマン→パプリカ→米津さん』という方式があるようだ。



「ママ、パプリカはよねづさんが、つくった? このパプリカは、よねづさんがつくったの?」



 パプリカをつまみながら、息子がたどたどしく言う。私は頭の中で、米津さんがパプリカを育てている姿を想像して、微笑ましい気持ちになった。



 まだ生まれたてで、何もかもが新鮮で、言葉も考え方も、真新しい気持ちで覚えている息子。彼と毎日を過ごしていると、面白おかしかったり「そういう考え方があるのだ」と関心してしまうことが多い。





「金曜日は、動物園に行きます」


 月曜日、唐突に保育園の先生は言った。


 保育園バスが導入されたにも関わらず、通ってくる園児が、みな近所の子どもたちばかりだったため、手持ちぶさたになってしまった。ならば、課外活動に使おうと保育園バスに乗って、ちょっと遠い公園などに連れて行ってくれているのだ。


「どこの動物園だろう?」


 私は考えを巡らせた。まあまあ距離が近い動物園は、とてつもなく広い動物園だ。まだお昼寝が必要となる三歳児を連れていくには、時間が足りないだろうと思った。


「◯◯どうぶつこうえんだよ」


 二、三度聞き直して、やっと息子から場所を聞き出した。しかし、聞いたことのない動物園だった。


 早速、その動物園を検索する。車で二十分程の距離にある近場の公園だった。その中に、広くはないが動物園があるようだ。



 こんな近場に動物園があっただなんて、知らなかった。生まれてからずっと、この土地に住んでいるけれど、初めて聞く動物園だった。


 検索サイトを閉じようとした私の指が、ハタと止まった。



『◯◯動物公園 心霊』

『◯◯動物公園 心霊スポット』



 血の気がひくとは、このことである。検索の上位に立て続けにがある。詳細を調べるのも恐ろしいので、私は『おばけなんてないさ』を息子と歌って誤魔化すことにした。



 おばけなんて ないさ

 おばけなんて ウソさ

 ほんとに おばけが でてきたら


 どうしよう!!!!



 全くスピリチュアル系に詳しくないのだが、玄関に盛り塩をすればいいのだろうか。それとも、保育園から帰宅した息子に、塩を振りかければいいのだろうか。



 私は被害妄想だけを広げるのは、得意である。「どうぶつえん、たのしみ」と言っている息子を見ながら、彼がまだよちよち歩きを始めたころのことを思い出していた。



「あっ、にゃーにゃ!」


 まだ言葉がきちんと話せない一歳ごろの息子が、家の中で突然、猫と叫んだのだ。


 実家には猫が二匹いるが、自宅にはいない。だって、アパートだもの。外にいるならまだしも、家の中に動物はいないのだ。


「にゃーにゃ」


 とてとて歩いて、息子は台所の前でしゃがみこんだ。


「いいこ」


 何もいない場所で猫をなでる仕草をした。そして、キャッキャと笑ったのだ。まるで、そこに猫がいるかのように。


『赤ちゃんって、っていうもんね』


 怖くなった私が友人に連絡をとると、恐怖をあおるかのような返信が返ってきた。純粋な子どもこそ、幽霊的なものがみえてしまうのかもしれない。



 そんな子どもたちが、心霊スポットへ行ったらどうなってしまうのだ? 以前は、猫のおばけだった。私は猫が好きだ。猫のおばけなら、まあいいかと思った。


 しかし今回に限っては、『公園』だし『心霊スポット』だし、なんだかヤバそうな雰囲気ではないか。



 悶々とする気持ちを抱えたまま、金曜日はやってきた。保育園へ向かう息子の背中に、火打石はもっていないが、手でパンパンと叩いて、意味があるのかまるでわからない厄除けをしておいた。



 仕事が終わると真っ先にスマホを取り出して、保育園から送られてきている写真を確認した。


 手を繋いで動物園を歩く園児たち。つま先だちになりながら、レッサーパンダを眺めている園児たち。どの写真も楽しそうで、平和な光景だった。


 そうだよね、と私はほっとする。こんなにいい天気で、賑やかな雰囲気におばけなんて出るわけない。


 いらぬ心配をしたと思いながら、息子をお迎えに行った。



「ママー! どうぶつえん、たのしかった」


 開口一番、そう言った息子の笑顔を見て、私は嬉しくなった。よかった。ちょっとだけ遠いお出かけも、保育園のお友達となら大丈夫。こんなにも喜んでいるんだもの、連れて行ってもらえてよかった。



「何の動物がいたの?」

「フラミンゴと、オウムと、ペンギンと……ゾウさんはいなかったの」

「ゾウさんは、いなかったんだ」

「きょうは、おでかけしてたのかも」



 そうなんだ、と可愛らしい報告に私は微笑んだ。



「あとね、パンダみたいなやつと……」

(ああ、レッサーパンダのことね)

「シマウマと」

(シマウマがいるんだ)

「あと、トロル」

(あと、トロルね)


 一拍おいて、私は目が点になった。


「トトロ?」

 

 私は聞き返した。トトロが動物園にいても怖いけれど。


「トロルだよ」


 はっきりと息子は言った。

 トロルって何だ? 

 そんな動物いたっけ? 

 ファンタジー作品に出てくるトロルのことか? 


「トロルは、どんな動物なの?」

「うんとね、ちゃいろいの」

「どんな格好をしているの?」

「こんなの」


 息子は両方の人差し指をピンとたてて、頭の上に突き立てた。それは、鬼を表す時にする仕草であった。


「あ~あ、角が生えているのね~」


 笑って誤魔化して、息子が見ていないところで、慌ててスマホで『トロル』を検索をした。するとどうだ。


 茶色くて毛むくじゃらの容姿のものや、大きな口にとんがった耳を持つ、いわゆるモンスターの画像が沢山出てきたのである。


 ドキドキした。やはり、あの動物公園には人ならざるものがいるのだ!


「ねえ、トロル怖くなかった?」


 私が尋ねると、遊んでいた息子は、


「ドーン、ドーンって、とんでたねぇ」


 とおもちゃに夢中になりながら答えた。


 トロルが、大きな口を開けて、子どもたちを飲みこんでやろうと、足をドーン、ドーンと踏み鳴らしながら、ジャンプをしている場面を思い浮かべて、血の気が引く思いをした。



 帰宅した旦那さんに、動物公園が心霊スポットであること、トロルのことを伝えると、彼は何故だか爆笑した。そして、息子に質問をする。


「何の動物見たの?」

「パンダみたいなやつと、ペンギンと、フラミンゴと、あと、トロル」


 トロルと聞いて、また旦那さんは笑い転げる。一体、何が彼を笑わせているのか。


「ペンギンとフラミンゴと……?」

「あと、トロル」


 旦那さんはゲラゲラ笑っている。パパがあまりにも笑うものだから、息子も嬉しくなって何度も「トロル」と言う。そのうち、


「あした、どうぶつこうえん、いこうよ」


 と言い出した。大人たちが、そんなに喜ぶなら連れて行ってあげてもいいよ、と自慢気に息子は胸をはった。


 かくして、我々はトロルのいる動物公園へ向かうことになった。


 動物公園は山の中にあった。鬱蒼と茂る木々の下に動物がいる。木漏れ日と呼ぶには、光が足りない。薄暗い雰囲気で、雨が降った後だからか、空気がぼんやりと生暖かい。



「いたよ、トロル!」


 動物園に入ってすぐ、息子が走り出した。旦那さんと顔を見合わせてから、息子の後を追った。


 こんなにも早く、トロルと遭遇するはめになろうとは。


 もうこの時には、恐怖よりもどんなヤツだか、見てやろうじゃないか! とワクワクする気持ちのが勝っていた。


「ほら、トロルだよ」


 自慢気に振り返った息子の先には、大きな角が二本あって、やや茶色がかった毛並みの動物がいた。


 ヤギである。


「あっちが、ヤギで」


 息子は、群れをつくって地面に座っているヤギたちを指差し、それから、


「こっちが、トロル」


 と岩山の上にのっている数匹のヤギを指差した。



 ああ! と私は閃いた。


 息子は絵本の『三匹のやぎのがらがらどん』に登場する、ヤギとトロルのことを言っていたのだ。


 だが、と私は首をひねる。絵本の絵は、ちゃんと毛むくじゃらのトロルが描かれていたはずだ。何故、ヤギをトロルだと思ったのであろうか。


 そこまで考えて「なるほど」と手を叩いた。


 昨年の保育園での、クリスマス会。一つ上のクラスの子たちが『三匹のやぎのがらがらどん』の劇を行っていた。


 ヤギ役が、白い可愛らしい衣装を着て登場し、トロル役が、角を生やした茶色の衣装を着ていた。


 そして、トロル役は岩山と思われる台の上に立っていた。息子はそれを覚えていたのだ。


 なんだ、おばけでも何でもなかった。


 子どもの発想力は、大人の想像以上で、小さなクイズを「これかな?」「それとも、こっち?」と照らし合わせていくようで、面白い。解けないクイズもあるけれど、だいたいが時間が経ってから解決する。


 私も幼い頃、そのようなをしていたのだろうか。きっと、していたにちがいない。


 大人になったら早く正解を求めてしまうけれど、紆余曲折して、正しいものを見つけることも大切かもしれない。


「これは、ヤギだよ」旦那さんが言う。

「ちがうよ、トロル」息子が言う。

「じゃあ、トロルだ」旦那さんがうなずいた。


 そして、思い出したとばかりにニヤニヤする。


「こっちの動物は?」

 旦那さんが、地面に座っているヤギを指差す。

「ヤギだよ」

「あれは?」


 岩山の上のヤギを指差すと、息子は一瞬ぽかんとして、それからパパの顔を見てニヤニヤした。いたずらを共有する者たちの顔だ。


「あと、トロル」


 旦那さんが爆笑し、息子もケタケタと笑った。


 心霊スポットと噂の動物公園で、私たちは、おばけも吹き飛ばすくらい笑ったのだ。

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