ペンギンが通りすぎましたよ。

「あのう」


 声をかけられて、私は振り返った。やさしそうな風貌の、大学生らしきお兄さんが立っていた。


「今、あなたの足元をペンギンが通りすぎましたよ」


 お兄さんはニコニコ微笑んでいる。私は思わず、足元を見た。何もいない。いや、いるわけがない。だって、ここは渋谷だもの。ハチ公ならいるだろうけれども。


「ペンギンが通りすぎました」


 ご丁寧にお兄さんは繰り返した。


「えっと……」


 コイツはいったい、何を言っているのだ!?


 私史上最速に頭を回転させた。

 ああ、道を聞いているのかな? 渋谷で、ペンギン、だから……。ドンキホーテのことか? そんな遠回しの道の訪ね方があるだろうか。(いや、ない)



 もしや、面白い返しを期待しているのだろうか。だとしたら、大変申し訳ない。関西人ならまだしも、私は関東人なのだ。こんな時、関西人ならどう答えるのだろう。



 面白い答え。面白い答え。面白い答え。

 私は関西人。私は関西人。私は関西人。



「お前、ダメだよ。ダメ。全っ然、ダメ」



 揶揄やゆするような声がして、顔をあげると、もう一人人物が増えていた。ゆるいウェーブのかかった髪の、こちらも大学生らしき男の子。


 お兄さんの肩に手をまわして、こちらをじっと見る。


 何。なにがダメなのだ? 面白い答えが出なかったから? 時間切れということ?


「ダメだってば」


 言い聞かせるように、ウェーブのお兄さんはやさし気なお兄さんの体を引き寄せる。そして、ぽかんとした私を残して二人は去って行った。



 いったい、なんだったのだ。ペンギンは? ペンギンは何だったの?



 ダメというのは、私に言ったのだろうか。それとも、お兄さんに言ったのだろうか。正解もなにもわからないまま、置き去りにされてしまった。



 仕方がないので、想像上でペンギンを出現させてみることにした。



 ヒタヒタと足音をさせて、小さな寸胴の体を揺らして歩くペンギン。


 信号が青になる。スクランブル交差点をペンギンの大群が行進する。


 ヒタヒタ。ヒタヒタ。ヒタヒタ。


 吸い込まれるように、私とペンギンは地下鉄を目指して地下に潜る。


 長いエスカレーターを下りる様子は、深海に潜っていくようだ。肌が少し、冷んやりとしてきたように感じる。



 案外、悪くない考えだ。

 ペンギンが足元を通りすぎる、なんて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る