起きたら俺に息子が出来てた

兎舞

夢と記憶と現実と

「……て、ねえ、もう朝だよ」


 遠いのか近いのか、人の声がする。その声に合わせて小さく体が揺れる。肩のあたりに微かなぬくもりを感じつつ、夢の中と現実を行き来していた。


「ほら、遅刻するってば」

「んー……、まだ眠いよ」

「もー、そんなこと言ってるとまた朝ごはん抜きになっちゃうよ、ほらー」


 朝飯なんてここ何年も食べてない。起き抜けは腹が減らないし、出社しても忙しさに紛れて空腹を感じる余裕が無い。健康のためには朝食は欠かせない、と、ネットでよく見かけるが、実生活は教科書通りにはいかないのだ。


「いらねーよ、朝飯なんて」

「だーめ! あ、パン焼けたよー。マーガリン、たっぷりだよね?」


 そんなもん面倒だから要らな……。


 ん?

 俺は今、誰と会話してるんだ?


 俺は独身の彼女無し、アパートで独り暮らしして早十年。面倒で実家にも帰らなくなって何年も経つ。諦めきった親が何の用もなく勝手に来て朝飯を作ってくれるはずもない。

 と、すると……。


 やっと焦点があった目と脳内が、一気に覚醒する。それと同時にガバッと勢いよく布団を跳ね上げた。


「やっと起きたー」


 まるでずっと一緒に住んでいるかのような手際の良さと親し気な、いや、馴れ馴れしい態度と、俺を見ても一切動じる様子のない様に、俺の頭が再びショートする。

 

 年の頃は中学生か、着ているのもどこかの制服に見えなくもない。色素の薄い髪と肌、しかし日本人らしい控えめな目鼻立ち。やたらと線が細いから制服を着てなければ女の子と間違えそうだが、しかしすっとんとんな胸部を見ると、どうやら俺と性別は同じらしい。


「お、あ、えっと、あんた、……誰?」


 会話になっていない単語と狼狽えだけの俺の発声に、そいつは、はあ? と言いたげに首を傾げる。


「何言ってんの、父さん。また寝ぼけてるの? 僕ももう学校行く時間なんだから、急いで。ほら、先に顔洗って。シャツ、アイロンかけてあるから」

「あ、ああ、サンキュ……」


 じゃ、ない!


 父さん……、て、誰……。俺か?!


◇◆◇


「うーす、先輩、はよっす」

「……おう」

「どうしたんすか。いつにもまして顔が暗いっすよ」

「いつも暗いみたいな言い方すんな」

「今夜はデートっすか? なんか、シャツもスーツもパリッとしてますね」


 後輩に言われて自分を見おろす。確かに普段はブラシもアイロンもかけず、スーツはつるしっぱなし、シャツは洗って乾いたらそのまま着ている。が、今朝は例の少年が手入れしてくれたようで、必要もないのに小綺麗だった。


「なあ、本来いるはずがない人がいるって、なんだろな」

「……オカルトっすか」

「いや、多分実体」

「なんだ、前の日に連れ込んだんすか? ダメっすよー、いくら独身だからって」

「あのな」


 そんな真似が出来るほどチャレンジ精神旺盛なら、この年まで一人でいるはずがない。そもそも妙齢の女性ならまだしも、今朝沸いて出たのは男子中学生だ。


「酒が残ってるなら早く抜いたほうがいいっすよ。朝一で会議っすからね」


 それだけ言うと、後輩は軽やかに走っていった。

 酒のせいにするには朝のやり取りがリアルすぎたが、しかし会議前に二日酔いを疑われるような状態は好ましくない。

 おれはビルの一階に併設されたコンビニに入った。


◇◆◇

 

 いつも通り数時間の残業も含めて、一日が終わった。

 最寄り駅で電車を降り、いつも通り駅前の弁当屋で割引になっているサバみそ弁当を買う。冷蔵庫にはまだ缶チューハイが残っていたはずだから、コンビニは行かなくていいだろう。


 アパートの自室の前に立ち、鍵を開けようとして違和感に気づく。いつもの『ガチャリ』という開錠した感覚がない。そこでやっと、朝の一件を思い出した。

 やっぱり、あれは二日酔いの幻覚でも夢でぼけていたわけでもなかったのか。

 俺は恐る恐る玄関ドアを開ける。そーっと開けたつもりだが、無音無気配というわけにはいかない。中に人がいれば当然気がつく。そして当然、パタパタと体重の軽い足音が聞こえた。


「おかえりー、ほんと毎日遅いよね。ご飯出来てるからね。僕もお腹空いたよー」


 呆れながらも笑顔で出迎えてくれたのは、朝のそいつだった。あまりに自然な振る舞いに、自分の記憶に自信が無くなる。俺は記憶喪失か何かになってるのだろうか。

 そいつの言葉の通り、部屋の奥から味噌汁のいい匂いが漂ってくる。俺は咄嗟に買ってきた弁当を玄関の外へ置いて、慌ててドアを閉めた。


「た、ただいま」


 自分が何も言ってなったことに気づいた。こういうとき、なんて言うんだっけ? と、数秒考えたことで、自分のぼっち度を自覚して落ち込む。

 しかしそいつは驚いたように振り返った。


「めずらしー、父さんがただいまだって。どうしたの、なんかあった?」


 ほら、早く着替えちゃって、と言いながら、俺を食卓へ促す。どう反応すればいいのか、俺は考えることを止めてそいつに任せることにした。


 貧相なダイニングテーブルに並んでいるのは、奇しくもサバの味噌煮、豆腐とわかめの味噌汁、トマトとアボカドのサラダに、ほかほかの白飯だった。

 こんな暖かな夕食は実家にいた時以来で、疲れ切っているはずの胃腸が刺激される。ぐううう、と、盛大な悲鳴をあげ、そいつが爆笑した。


「僕もお腹空いた。ほら、食べよう。いただきまーす」


 行儀よく手をあわせてから、綺麗な手つきで箸と椀を持ち上げるのを、ぼんやりと眺めていた。


「左利きなんだな、お前」

「ん? なに、突然。……そうだね、母さんもそうだったから、遺伝かな」

「かあ、さん……?」

「そうだったじゃん。父さんと母さん、利き手が違うから、並んで座るとき間違えるとよく肘ぶつけてケンカしてたよね」


 思い出し笑いしながら、しかし言い終わった後微妙な沈黙があった。


「母さん、は……?」

「そろそろ命日だよね。でも僕と父さんだけだし、大袈裟な法事とかは要らないよね。疲れるし、お金かかるし」


 やけに大人びた話っぷりに驚く。そしてゆっくり目線を向けた先に、女性の写真が飾られていた。今初めて気がついたそれに、俺は瞠目した。


(誰だ、アレ……、こいつが母さん、って言うなら、俺の嫁さんてことか? そして、死んだ、のか……)


 何もかもが思考力も想像力も追い越していく。俺は眩暈がしそうだった。思わず箸を置いて頭を抱えた。


「ご、ごめん! そうだよね、僕なんかより父さんのほうがずっと淋しいのに……。父さんが辛いなら、命日も何もしないでいいよ。落ち着いたらお墓参りにでもいこう、ね?」


 そいつは慌てて席を立って、俺の横に来る。どうやらこいつの目には、俺が亡き妻を思い出して悲しんでいると映っているようだった。華奢な手が俺の背に添えられるのが、やけに心地よかった。が、俺は別に悲しんでるわけじゃない。写真を見ても全く見ず知らずの女性なのだから。ただ事態についていけなくて混乱が押し寄せただけだった。


 こいつは、一体誰なんだ?


 リアルに考えれば、見ず知らずの他人が家の中にいるとしたら、そいつは不審者だ。未成年なら家出かもしれない。成人の自分が黙って家の中に迎え入れれば、場合によっては未成年者略取とかなんとか、とにかくハンザイとかヘンタイとか言われかねない。本来ならすぐに通報して保護してもらうべきなのだ。

 分かっているのに、なぜかそうできない。

 背に添えられた手のぬくもりを引きはがすことが、どうしても出来なかった。


◇◆◇


 食事を終えて後片付けをし(皿を洗うのは俺の仕事になってるらしい)、風呂から上がると後は寝るだけだった。


 ん? そういや、こいつの布団出さなきゃいかんな。


 俺はそいつの分の布団を敷く場所を作るため、ローテーブルを片付けていると、そいつがパジャマに着替えながら首を傾げた。


「父さん、何してるの?」

「え? ……いや、だってお前の布団」

「いらないよ、だっていつも一緒に寝てるじゃん」

「……は?」

「ほら、電気消すよー」

「……へ?」


 パチン、と壁のスイッチが消え、部屋は暗闇に包まれた。


「ほらー、もっとそっち寄ってってば。いつも言ってるじゃん、狭いって」


 俺に先にベッドに入るように言うと、そいつも布団を捲ってごそごそと隣に入りこんできた。

 こ、この状況は??

 え? 俺、そう言う設定なの?

あれ? こいつ息子設定じゃないの?

父さんって、あれ??


「明日はちゃんと起きてよね。僕だって毎日大変なんだから」


 動揺しまくりの俺の脇にぴったりくっつくように添い寝する。髪から漂うシャンプーの香りは自分と同じで、それが不思議な安心感を与えてくれた。

 気がつけば俺は自分の二の腕にそいつの小さな頭をのせていた。


「……母さんのこと、覚えてるか」


 情報収集のため、思い出話を装って話しかける。俺の言葉にぴくりと反応したが、小さく笑って話し始めた。


「当たり前じゃん、去年だよ、母さんが死んだの……。あんな事故で死んじゃうなんて思わなかったよね」


 俺の妻(仮)は、一年前に何かの事故で死んだらしい。その日がもうすぐで、俺達は以来二人で生活してきた、ということか。


「父さん、まだ気にしてるんでしょ、あの時のこと」


 何のことだ? と、こいつの言っていることが分からず返事が出来ない。しかしそいつは、それを俺の苦悶のせいだと理解したようだった。


「何度も言ってるけどさ、あれは……父さんが悪いんじゃないよ。父さんは、僕を庇ったんだ。母さんはその父さんを庇ったんだよ。だからね、悪いのは……僕なんだよ」


 そいつの話に俺は絶句する。俺のスウェットを握り締めて小さく震えるそいつを、俺は反対側の腕も回して抱きしめた。


「ごめんな」


 辛いことを思い出させてしまったようだった。考えてみれば当然なのだが、自分の混乱をおさめたいために俺は配慮の足らない会話を繰り出してしまったみたいだった。


 頭から背中にかけてゆっくりとなでるうちに、そいつの震えは収まってきたようだった。しかし俺のスウェットを掴む力は緩まない。


「いいってば……。もう寝よう、おやすみ、父さん」

「……おやすみ」


◇◆◇


 俺は高速道路で車を運転していた。

 隣の助手席には妻が、後部座席には息子がいる。二人は前後で菓子を奪い合って笑っていた。

 俺は二人に、車の中で暴れるなよー、といいつつも、妻から口に菓子を押し込まれたことで何も言えなくなり、また三人で笑った。


 その時、対向車線から大型トラックがはみ出してきた。

 俺は慌ててハンドルを切る。間一髪のところでトラックを避け、一息ついた途端、後ろから追突された。衝撃でエアバックが作動して、俺達は車の中に閉じ込められるような状態になった。

 朦朧とする意識の中で救急車を呼ぼうと携帯に手を伸ばす。が、その時後ろから息子の悲鳴が聞こえた。


「父さん、車! 燃えてる!」


 俺は目を見開き、必死で車外へ出て息子を後部座席から引っ張り出した。

 ホッとしたのも束の間、横を通過する車が息子にぶつかりそうになり、慌てて覆いかぶさった。


「あぶない!」


 聞こえたのは妻の悲鳴だけで、彼女の体はその車によって遠くへ跳ね飛ばされてしまった。


◇◆◇


 そこで目が覚めて、俺はガバッと起き上がる。


 夢? あれ、今、俺は……。

 

 ドキドキしすぎて痛いほどの心臓を上から押さえて、まだちかちかする視界を凝視する。それは紛れもなく俺の部屋だった。


 なんだ、夢、か……。


 ホッとしたら力が抜けて、再び体を倒そうとした。

 その時、背中に何かがつっかえた。


「もー、やっと起きたのにまた寝るの? 今日は二度寝禁止だよ、父さん」


 驚いて振り向くと、既に外出着に着替えたあいつがむくれた顔で俺の背中を押していた。


「僕も母さんも準備出来てるんだからね。あとは父さんだけだよ」


 母さん……?

 俺はぼんやりとそいつの視線の先へ目を向けると、昨日の夜見た写真の中の女性が笑いながら歩いてきた。


「だから言ったでしょ、父さんが寝坊する時間も込みで計画立てなきゃ、って」

「だって昨日はちゃんと起きるって言ったよ? 父さんのうそつきー」


「まりえ、つかさ……」


 俺の口から、二人の名前が漏れた。

 二人は、ん? というように揃ってよく似た顔を俺へ向けた。


 その笑顔がトリガーになったのだろうか、俺の記憶がフラッシュバックする。

 このあと三人でドライブに行く。その途中であの事故が起きて、妻は死ぬ。

 この後起きる惨事を思い出して、俺は悲鳴を上げそうになり、慌てて自分の口を手で覆った。


「父さん? ……どうしたの、大丈夫?」

「あなた? もしかして体調悪い?」


 代わる代わる心配してくる二人を見ていたら、意に反して俺の両目から涙が溢れだした。


「え? ちょっと、本当に大丈夫?」

 

 妻―まりえ―が気づかわしげに俺の額に手を当てる。水仕事をしていたのだろうか、ひんやりした感触が心地よく、柔らかな手ごたえに、彼女が生きていることを実感した。


 そうか、俺は……、こいつらの家族なんだ。


「なあ、今日のドライブ、延期しないか。今日は、ちょっと……」


 今日の予定が変われば、未来も変わる。

 なぜか俺は強く確信していた。


「うん、父さんがそう言うなら」

「そうね、風邪ひいてるのに出掛けたらひどくなっちゃう」


 反対されるか、と思ったが、二人はすぐに了承してくれた。

 俺は再び部屋を見回す。

 そこは、実家から出て以来ずっと俺が住んでいるあのアパートだった。


「ほら、これ貼るから、もう一度寝て」


 冷却シートを持って戻ってきたまりえが、俺に促す。つかさが俺の前髪をあげて、妻を手伝った。


「起きたら食べたいもの言ってね、作るから」

「じゃあ父さん、二度寝スタート!」


 ふざけて笑うつかさの額をはじいて、俺はゆっくり目を瞑った。


◇◆◇


 次に目を開けた時は、スマホのアラームが鳴動する、いつもの朝だった。

 俺の部屋、俺のベッド。

 そして、一人だけの空間。


 俺は無意識に息子―つかさ―を呼ぶ。しかし返事はない。


 あれは、夢、だったのだろうか。

 どちらが夢なのだろうか。


 胸に穴が開いたような息苦しさを抱えたまま出勤の準備をして、部屋を出ようとした時、ドアの向こう側に弁当が入ったビニール袋が置かれていた。


 昨日、つかさに遠慮して隠した、特売のサバみそ弁当だった。


-Fin-

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