第8話 エピローグ
事務所から徒歩約十分。閑静な住宅街の中に、黒い屋根で少し青っぽい壁の色をした二階建て住宅を見つけた。
今私が、見ず知らずのこの場所までやってきたのには訳がある。
「彼、月白君の母親から、伝言だよ」
事務所で伝言があると朽木に言われた後、彼にそう言われた。
おそらく朽木が葬式の時に言付けを預かったのだろう。私が葬式に行っていたなら、きっと直接言われていた言葉だと思う。
「『一度、家に来てくれませんか』だそうだ」
朽木はそう言って、一枚の紙きれを私に手渡した。そこには、月白の家と思われる住所と地図が書かれていた。
「……分かりました」
私は練習のために使っていたスナイパーライフルを早々に片付けると、無言で朽木の横を通り過ぎ、訓練場を後にした。
その時朽木にもらった地図を頼りに、ここまでやってきた。家の表札を確認するとそこには『月白家』と筆記体で文字が刻み込まれていて、このモダンな家が月白の家であることに確信を持った。
ここに初めて来るときは、遊びに来る時だと勝手に思っていた。
テレビを見たり、ご飯を食べたり、本を読んだり。何をしていても楽しい時間が過ごせたことだろう。
だがそんな妄想は、もう二度と現実になることはない。
家と私のいる場所の間には僅かな通路があり、敷地と道路が黒いフェンスで隔てられている。
私は表札横のお呼び出しボタンと書かれたインターホンを押した。するとすぐに、母親らしき人物の声が聞こえた。
「はい」
「梅沢です」
「……梅沢さん、来てくださったんですね。今伺います」
そう言ってしばらくすると家の扉が開き、彼女はフェンス前までやってきた。
こうして近くで彼女の顔を見ると、彼の顔や雰囲気の面影があった。親子だから当然だとは言え、少し懐かしい感じすらした。
「良かったら、あの子に会ってあげてください」
彼女はそう言ってフェンスを開け、中へと案内した。
玄関から入ってすぐの六畳ほどの和室。そこには仏壇があり、月白の遺影が飾られていた。
何も話すこともなく仏壇の前に座り、仏壇前の座布団を静かに横にずらして一歩前へと進む。
仕事柄、人の死を扱うため携帯していることの多い数珠をポケットから取り出し、左手にかけた。そして静かに手を合わせて目を瞑る。
しばらくして目を開け、近くで座って見守っていた月白の母親の方を向いた。
「この度はご愁傷様です」
私が語尾を濁してそう言うと、母親は静かにお辞儀をした。
「突然のことで何もなくて申し訳ございません」
朽木に言われてそのまま駆けつけていたため、お香典や手土産の用意もできていなかった。
「いえ、気にしないでください。来てくださったことが何よりも、あの子は喜んでいると思いますので」
そう気遣いの言葉をかけた月白の母親。その優しさは彼と重なるような気がした。
「梅沢さんとあの子が出会ったのは、中学の学校祭で合ってますか?」
「はい」
「やはりそうでしたか。あの日を境にあの子は変わりました」
彼女は少し下を俯きながら、過去の出来事を話した。
「やたらと明るくなったんです。何かに希望を持ったかのように」
月白は前に言っていた。自分は私と似ていると。そんな似た存在であった私に好意を持ち、私に何度も会いに学校を訪れていた。彼女が話しているのはちょうどその頃の話だろう。
「でも段々とその明るさも収束し始めて、気付けば元のあの子に戻っていきました。そして高校に上がって、最近のことです。またあの日のような明るさが突如戻ってきました。この前なんて遊びに行くなんて珍しいことを言うから驚きました。二人で遊びに行っていたんですね?」
「はい」
何だか遠い昔の記憶のように感じられる。遊園地に行ったのは本当つい最近のことのはずなのに……。
「その日帰ってきてからはやたら上機嫌でした。あまり楽しんだりする様子を見せたりしないのですが、余程楽しかったんだと思います」
「私もあんなに楽しかったのは初めてでした」
「それなら本当によかったです」
彼女は小さく微笑んだ。この優しい気品のある笑みもまた、彼の面影が感じられる。
「あの子が変わったのは、梅沢さん、あなたのおかげです。毎日、つまらなさそうに生きていたあの子に生きる希望を与えてくれた。私たち家族でもできなかったことをやってくれたことに、家族一同なんとお礼を申し上げればいいのか……」
「お礼を言うのはむしろ私の方です。私が居ていい場所を作ってくれた彼には、心から感謝しています」
毎日つまらない日常を送っていたところに希望の光を与えてくれたのは、私ではなくむしろ彼だ。もう帰ってこない日常かも知れないけど、きっと彼に出会わなければ知ることのできなかった日常だったのは確かだ。
そしてあの日常に戻りたい。そんな風に思える日常はあれが最初で最後だろう。それほど中身の濃い、幸せな時間だった。
「きっとあの子も天国で喜んでいると思います」
「本当なら、直接この気持ちを伝えたかったのですが……」
この気持ちだけじゃない。まだまだ伝えられていないことはたくさんある。
この彼を思う気持ちだって、きっとあの時届いていなかった。
だからできるなら、もう一度、いや何度も会って話をしていたい。
「ちゃんと今の言葉、伝わっていますよ。だからそう、肩を落とさないでください」
「ありがとうございます」
私はゆっくりと立ち上がって、もう一度遺影の方を見た。その表情をしっかり目に焼き付けて、一生忘れないように。
「そろそろ帰ります。近いうち、もう一度彼に会いに来ますので、その時に今日渡せなかったものもお渡しします」
「そうですか。また会いに来てやってください」
私は仏壇の前まで一度足を進めた。
遺影の中でほほ笑んでいる彼。私はこの笑みよりも美しい笑顔を知っている。きっと月白の母親も家族も、この世の私以外の人間は知らない、私だけが知る綺麗な表情を。
「またね、月白君」
そう別れの言葉を告げて、この部屋を後にした。
玄関先で、私が帰るために靴を履いていると、ある靴が目に入った。
「これって……」
思い返してみると、私が何度も見てきた靴。すぐに月白の物だということが分かった。
「あの子の靴、今は弟の
月白の母親が、私の感じていた疑問に答えた。
大切にしまわれているようなものだと思っていたので、なぜ他の靴たちと同じように靴棚に入っているのか疑問だったのだ。
母親の口から言われて、初めて彼に弟がいたのだと知った。
もしもっと話すことができていたのなら、このことは彼の口から聞けたのかも知れない。
「普通の兄弟って仲が悪いんですけど、あの二人はずっと仲が良くて。この靴はあの子と結間が一緒に出かけたときに買った靴みたいで、すごく思い入れがあったんだと思います」
私は兄弟がおらず、両親からも見放されてきた。
だから『普通』の家族というものは良く知らなかった。
でもこの話を聞くと、家族というのは本当は暖かいものなんだなと感じた。
「今日はわざわざありがとうございました」
月白の母親は深々とお辞儀をした。
私はそれに対して、いつよりも数段深く頭を下げた。感謝の気持ちと同時に、葬式に行けなかったことに対する謝罪の意も込めて。
「実は朽木さんにお願いして梅沢さんに来ていただいたのは、渡したいものがあったからなんです」
「私に渡したいもの、ですか?」
一体何だろうと思いながら、彼女からその『渡したいもの』を受け取った。
薄くて半透明なプラスチックの袋に入れられているのは、どうやら写真のようだった。
「確認してみてください」
私はそう言われて、そっと写真を裏返した。
その瞬間、枯れたはずの涙がまたこみ上げ、一滴、二滴と袋の上に落ちた。
「あの子と梅沢さんが初めて出会った、学校祭の時の写真です。おそらく私に見つかりたくなかったのでしょう。机の引き出しの奥の方に入っていましたが、本当に大切にしていたようでした」
あの時の学校祭。午後から二人で色々巡っていた時に撮った、この世に一枚っきりのツーショットの写真。
相変わらず私は無表情だったけど、横で笑う月白の表情は本当に楽しそうだった。
「大切にします」
私はそっとその写真を胸に抱きよせ、あの時のあの瞬間に思いを馳せた。
「梅沢さん、写真撮ってもらおうよ」
「私は別に……」
「ほらほら、すぐ終わるから」
「え、ちょっと」
あまり気乗りしなかった私の腕を引っ張って、カメラを持っていた学校祭実行委員の元へ連れ出した。
もちろん実行委員がカメラを持っていたのは、ツーショットをとるためではなく、何気ない学校祭のワンシーンを切り取るためだ。でもその委員の人は月白のお願いを快く引き受けてくれて、写真を撮ることになった。
「ほら、もう少し近づいて!」
委員の女の子がカメラを覗きながら言う。なぜか撮られる側の私よりもノリノリだった。
「はい、チーズ!」
こうして撮られた写真が、この写真。
なぜ、実行委員会が撮ったこの写真がこの場所にあるのか。きっとそれは、彼が写真を撮った彼女に直接頼み込んで写真を貰ったからだろう。
でもそのおかげで、いつでもあの時のことを鮮明に思い出せる宝物として残ったのだ。
「すいません、取り乱してしまって」
「いえいえ」
私は涙を服の袖で拭った。
「また来ます」
「はい。いつでもお待ちしてます」
月白の母親に見送られ、私は月白の家を後にした。
月白家からの帰り道。
この先、暗殺課として活動を続けるべきなのか。
ふと、そう思った。
彼はもういないけど、彼は確かに私に言った。
『暗殺課を辞めて欲しい』と。
その言葉は今も頭の中に残っている。
でも、悩んでいるはそれだけが理由ではない。今回のことがきっかけで、死に関する考え方が変わったからだ。
死に対して感情が動かなかったのは、死とは悲しいものだということを知らなかったからだ。でも今回をきっかけに、死は悲しいものだと知った。
今後も死を扱っていく暗殺課という仕事に、今の私は果たして必要とされているのか。その点には疑問が生じた。
時間をかけ、その点はゆっくり考えていこう。そう思いながら、ゆっくりと帰り道を歩く。
「あれ……」
そんな時、突如として視界がぼやけて霞んだ。
昨日、夜遅くに押水と別れてからあまり寝ることができていなかった。そのため、これはおそらく寝不足によるものだろうと、右手で目を擦る。
そうして再び目を開いたときだった。
先ほどまでは誰もいなかったはずの私の前方に、こちらに向かって歩いてくる人の姿があった。制服姿から、その人はどうやら男性のようだった。
二人の間が、僅か五メートルほどの距離になった時。その人の顔つきを確認して、全身が震え上がった。
「そんな……、そんなことって……」
彼が、ある一人の人間を想起させたからだ。
もちろん、こんなフィクションのようなことはあるはずがないと分かっている。他人の空似に違いない。そう思ってそのまま通り過ぎようとした時。
「梅沢、さん?」
私の正面に立ち塞がるようにして進路を塞いだその男子学生は、確かに私の名前を呼んだ。
その瞬間、私は彼の胸元に飛び込んでいた。
体を伝う温もりで、冷え切っていた自分の心が温かくなるのを感じる。
何かの夢を見ているのかもしれない。彼を求めるがあまりに見えた幻覚なのかもしれない。
例えそれでも、私はよかった。
目の前にこうして月白がいる。もう一度会うことができた。
「大好きです!」
だからあの時、届くことのなかった言葉を彼へ――。
出会って別れ、出会って別れ、そしてまた出会う。
人は出会いと別れを繰り返しながら時を重ねていく。
だから、同じ人と二度別れ三度出会うことは、奇跡のように思う。
これから例え、同じように分かれることもあるだろう。
でもきっと私たちは何度も出会うことができると思う。
人はこれを『運命』と呼ぶのかもしれない。
―完―
出会いと別れは七転び八起き 木崎 浅黄 @kizaki_asagi
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