第7話 再スタート

 あれから一週間の時が流れた。

 月白はあの後、すぐに病院に搬送されるも蘇生することはなく、息を引き取っていることが確認された。

 そしてそれから数日後、彼のお葬式が執り行われたが私は行かなかった。彼との別れが悲しいだけじゃない。

 あれは紛れもない事故だった。でも私は、彼の近くにいながら彼の命を救えなかった。それは紛れもない事実。ご家族に合わせる顔がなかったのだ。

 あの日を境に、私は学校も暗殺課の仕事も休んでいる。まだ現場となった学校に戻れるだけの覚悟もないし、こんな状態でまともに仕事できるとは思わなかったからだ。

 彼の前で泣き続けたことで涙はすっかりと空になってしまい、今は彼のことを思い出しても涙一つ出なくなってしまった。でもそれは決して悲しくなくなったわけではなく、むしろ日を追うごとに、彼がこの世にいないことに対する悲しみや寂しさが募りに募っていた。だからこうして今日もベットの上で、無気力に天井を見つめている。


「この先どうやって生きていけばいいの? 月白君」


 この問いを彼に投げかけても、もう二度と答えてくれることはない。もう二度とあんな風に遊びに行くことも、一緒に過去の思い出に浸ることもできない。

 彼のいる人生に希望を持った私には、この先彼のいない人生を送れる自信も気力も全くない。

 それでも時間は刻々と過ぎていく。もうあれから一週間も経っている。

 彼が居なくなった今、私の居場所はもう一つしか残されていなかった。でもその居場所にも今は帰りたくない。

 それは……。


「……」


 突然、部屋に携帯の着信音が鳴り響いた。私は布団をかぶって、その音を無視しようとしたが、いつまで経ってもその音は止まなかった。


「……、何?」


 私は諦めて、着信画面を確認した。相手は押水だった。

 出ようか出まいか悩んだ末、心配をかけている押水に、これ以上心配させても悪い気がしたので、意を決して電話に出ることにした。


「もしもし、梅沢です」

『もしもし、押水です』


 電話越しでもはっきりと分かった。彼女の声に、いつもの元気の良さや明るさは微塵も感じない。単に気を遣ってそうしているのではなく、それが今の彼女の心境だというのは、今回の事故の経緯を考えれば分かることだった。


「どうしましたか?」

『今から時間、ありますか?』


 私はあの日以来休みをもらっているが、押水はあの日以降も普通に仕事を続けていると聞いていた。だが今の時間帯、つまり午後八時現在は仕事の真っ最中なはずだ。

 だからそう問われて、私は目を丸めた。


「任務はないんですか?」

『それが……。今日は早く帰れと言われてしまって』

「そうなんですか」


 その理由が何なのかは、今こうして電話をしているだけでも理解できた。


「私なら大丈夫ですよ」

『今からお話しできませんか? 二人で』


 私自身、いつか彼女と二人で話す必要があるとは思っていた。だから断る理由はなかった。


「分かりました。場所は?」

『一度実莉ちゃんの家に伺います。それから場所を決めましょう』

「了解です。では待ってます」


 そう言って私は電話を切った。電話の間、押水は終始暗いままだった。

 彼女らしくない。そう思いながら彼女の到着を待ち、軽く身支度だけ整えた。



* * *



 三十分後。家のインターホンが鳴り、私は玄関で彼女を出迎えた。


「遅くなりました」

「いえ……」


 私は彼女の表情を見て言葉を失っていた。

 化粧で隠しているとはいえ、目の下には隈が確認でき、顔も少しやつれているように見えた。彼女が途中で帰るように言われた原因によってできたものだろう。


「話すなら、近くに公園があるのでそこに行きましょう」


 家の近くに小さな公園があるのだが、そこはこの時間帯なら人通りも少なく話しやすいと思った。


「分かりました」


 私は彼女とともにその公園へと向かった。



 徒歩僅か一分ほど。その間一切会話はなかったが、目的の公園へと到着した。

 木製のベンチがいくつかと、ブランコと滑り台があるだけの小さな公園だが、日中なら小さな子供の姿はよく見かける。案の定今の時間帯の公園には人の姿がなく、周りが住宅地ということもあって閑散としていた。


「座りましょう」


 近くにあったベンチに座るように促し、私たちは同じベンチに並んで座った。

 外灯は数えるほどしかないため、この公園はかなり暗い。でもおかげで、夜空がいつもより明るく見えるような気がした。二人の間に無言の雰囲気が流れ、私はその気まずさもあってその夜空をずっと見つめていた。


「ごめんなさい」


 無言を切り裂いた押水の第一声はそれだった。


「どうして謝るんですか?」


 私は当然そう言葉を返した。

 何度も言うがあれは事故だった。朽木が威嚇のために月白に銃を向けたのを、撃つものだと勘違いした押水が止めようとして、そのはずみで銃が発砲されてしまった。


「私が、私が長官に触れなければこんなことには……」

「押水さんは何も悪くありません」

「でも私は彼を、実莉ちゃんの大切な人を守れなかった。彼がその人だと分かっていたのに……」

「だとしたら、私はむしろ感謝します」

「……え?」


 あれが例え勘違いだったとしても、押水のやろうとしていたことは人の命を守ろうとした行為だった。暗殺課としてすべきことをやっていて、それは非常に立派なことだと思う。

 それにその人が月白だと分かっていたからこそ、余計必死になって止めようとしてくれた。だから、私の大切な人を守ろうとした押水には感謝の気持ちでいっぱいだった。


「本当にありがとうございました」


 私は立ち上がって、感謝の意を伝えるべく頭を下げた。


「待ってください実莉ちゃん。私は……」

「だから泣かないでください」

「うっ……」


 押水の目に滲んだ涙は、私の言葉がきっかけとなって溢れだした。彼女の泣く姿は、これまで一度も見たことがなかった。


「私は押水さんには笑っていてほしいです。いつものあの元気な押水さんでいてください」


 私は彼女をそっと抱き寄せ、彼女は私の胸で泣き続けた。そしてそのまま、彼女の気が済むまで待ち続けることにした。



 押水が平静を取り戻し、私たちは再びベンチに座った。


「実莉ちゃんは……」

「はい」


 泣き止んだとは言え、まだ押水の声は湿っぽかった。


「もう暗殺課に戻ってこないんですか?」


 押水が懸念していたもう一つのことは、おそらくこれだろうとは自分でも理解していた。あの事件以降、彼女と会わなくなっていたのは、私が暗殺課として仕事をしていないからだ。


「もう私に残された居場所はきっとあそこだけです。だから戻るべきだと思っています」


 そう思いながらも、まだ踏ん切りがつかないのには理由がある。でもその理由は彼女に言うべきではないと思った。また彼女が責任を背負い込むことに繋がりかねないと思ったからだ。


「明日から任務には戻ります」


 だから私はそう言って彼女を安心させる言葉を言った。


「そうですか……。良かったです。また一緒に頑張りましょうね」

「頑張りましょう」


 笑顔を浮かべた押水。まだ多少引き摺っていながらも、少しはいつもの明るさが戻ったように感じた。


「押水さん、今からまだ時間ありますか?」

「はい、大丈夫ですけど……」


 押水には何度も助けてもらった。彼女が居なければ月白とあんな風に出かけることも叶わなかったし、命もなかっただろう。

 そんな彼女に私は何か返したのだろうか。

 月白には返しきれなかったし、もう返そうにも返せなくなってしまった。

 そんな後悔があるから、思い立ったときに行動すべきだと思う。


「良かったらどこか食べに行きませんか?」

「えっ? ……はい」

「もしかして都合悪かったですか?」

「自分から言うなんて珍しいなって思いまして」

「まだ夜ご飯食べてなかったので、せっかくならと思いまして」

「だったらこの前のお寿司屋に行きましょう。あの時食べれなかった分、たくさん食べましょう!」

「そうですね」


 私たちはベンチから立ち上がり、街の方に向かって歩き始めた。


「この前、押水さんに強い口調で言ってしまったことって覚えていますか?」

「強い……、あぁ、あれなら気にしないでください。私が悪かったんですから」

「あの時は気が気じゃなくて……。すみませんでした」


 月白が撃たれた後、私はすぐに月白の元へと駆け寄った。その時、押水も心配してきてくれたのだが、気がどうにかなりそうだった私は、彼女に対象を追わせた。

 あれから対象は押水の手によって拘束された。その後留置所に送られ、現在は月白の意思を汲み取った朽木が交渉に乗り出しているという。このままいけば、命だけは見逃されることになるだろう。


「珍しく敬語もなかったので、少し怖かったですけどね」


 彼女はそう言って苦笑いをみせた。


「本当にごめんなさい。年下なのに……」

「そんなに気にしないでください。きっと私が実莉ちゃんの立場でも同じように言ってたと思いますから」


 私に気遣って彼女はそう言った。こういう細かい気遣い、一つ一つは月白と同じようなものを感じる。だからこそ、今もこうしてほぼ対等に話ができているのかもしれない。


「そういえば押水さん」

「はい?」

「どうしてずっと、年下の私に対しても敬語なんですか?」


 私が暗殺課に入った時から、押水は私に対して敬語だった。歳は四つほど違うので、敬語を使う必要はないはずだし、私から何か言った覚えもない。


「暗殺課の採用試験の時のことです。私、その時に実莉ちゃんの姿を見て驚いたんですよ」


 もう約二年も前。あの学校祭を終えてから間もない頃に、その採用試験は行われた。内容は、運動部門と頭脳部門に分かれ、それぞれの幅広い能力を検査された。


「天は二物を与えず、と言いながら一体どれだけの物を与えているんだ、って。だって、艶やかな黒髪に透き通った瞳、小柄ながらすらっとしていて、カッコよさと可愛さの両方を持ち合わせている。加えて運動能力は抜群に高くて、緻密な計算能力にも長けている。そんな人を目の前にして、私は年上だからって威張るのも違うなって思ったんです」

「そんな……」


 きっと何を言っても謙遜に捉えられてしまうだろうが、私の方こそ押水はすごいと思っていた。頭脳で言えば私よりも数段は上。加えて機械操作、工作、システム構成など、何でも器用にこなす応用力も持ち合わせている。その部分では絶対に敵わないなと思ったのが、押水だった。

 だから任務の際、彼女の強みが生かせる場所では、迷うことなく任せてきた。そのおかげで、何度も窮地を救われた。


「これから先も、私にとって実莉ちゃんは目標です。いつか超えられた時には、敬語を止めますね」


 絶対に超えられない壁だと、半分諦めたように半分苦笑いの笑みを浮かべた。

 でもそれは違うと思う。


「越えなくてもいいと思います」

「え?」

「越えるも何も、押水さんはその必要ありませんから」

「一体どういうことですか?」

「さぁ。どういうことなんでしょうか」

「ちょ、ちょっと実莉ちゃん!? 教えてくださいよ!」


 私はその答えをぼやかして答えようとしなかった。照れ臭かったからだ。


『押水さんには押水さんのいい所がある。だから押水さんにはそのままいて欲しい』


 その言葉はいつか言うため、心に秘めることにした。

 私たちはその後もずっと話しながら、夜の街へと姿を消していった。



* * *



 次の日。相変わらず、私は学校には行かなかった。

 でも昨日までと違う点があるとすれば、今こうして朝から仕事に向かっていることだろう。昨日交わした約束があったからだ。

 事務所に到着すると朝早いからかまだ誰一人として姿がなく、私は休みで鈍った実力を取り戻すためすぐに訓練場へと向かった。

 暫くやっていないだけで随分と懐かしく思える、いつものルーティン。銃を構え、標的を狙い撃つ。引き金を引いた瞬間、広い訓練場に銃声が鳴り響いた。


「くっ……」


 私は咄嗟に、防音用のヘッドホンの上から両手で耳を塞いだ。

 一週間もの間、私はこの音が耳から離れなかった。今まで聞きなれてきたはずのこの音が、たった一度の出来事で決して聞きたくない音へと変わってしまった。

 その音とともに必ずあの時の情景も一緒に頭に浮かんでしまう。それがたまらなく嫌で、なんとか考えないようにしようとするが、段々と頭が混乱し始めて真っ白になる。

 そして今はその影響で、その場にしゃがみこんでしまった。


「梅沢……」


 どこかからか私の名前が呼ばれた気がした。私はヘッドホンを外して立ち上がって周りを見渡す。するとすぐに、声の主と対面した。ただその人は今最も会いたくない人物で、同時に話しておくべき人でもあった。


「なんで……、なんであの時、彼に銃を向けたんですか!」


 私は感情任せに声を荒らげた。今の私の頭の中は彼、朽木に対する憤りでいっぱいになっている。


「対象ではない人間に銃を向けることが犯罪行為だってことくらい、知っているでしょう!」


 その行為は決して許されない。それは殺人を犯そうとすることであり、暗殺課の対象となる行為である。それが例え、執行する側である暗殺課の人間だろうと例外ではない。


「すまない。あの時はあれが最善だと思ってしまった。冷静に考えればそれが間違っているってすぐにでも理解できたのに……」

「今更、そんなの遅いですよ……」


 朽木があの時やろうとしていたことは、拳銃を構えることで対象を庇う月白に考え直させることだった。でも結果、それが押水には本気で撃つように見え、止めようと動いたためにあの事件が起きてしまった。

 決して、朽木が悪気があってやろうとしていたと思っているわけではない。私がこうやって怒りに身を任せて話したのは、ただの八つ当たりだ。

 確かにあそこで構えてなければ、右手の指を引き金にかけていなければ、この事故は起こることはなかった。それは事実だ。

 でも、朽木がやろうとしていたこと自体は、月白の命を守ろうとしてやったこと。人質になっていた女子生徒の代わりに人質になった月白も、朽木を止めようとした押水も、そして朽木も誰も悪くない。誰も責められない。だったら、この怒りの矛先は一体誰に向ければいい。

 そんな風に思っていたから、私は朽木にこの理不尽に対する大きな不満をぶつけることしかできなかった。


「あれから篠畑にも押水にも同じようなことを言われた。特に私と一緒にいた時間の長かった篠畑には強く言われたよ」


 朽木と篠畑は、暗殺課ができる前までは普通の警察官として働いていた。二人はその当時からの同僚だった。

 暗殺課となった今、朽木は長官、篠畑は副長官とかなり二人は重要な役職についていることもあり、頻繁に仕事の話をする間柄。篠畑が朽木に強く言ったのは、それだけ積み重ねてきた関係が深かったということだ。


「私は彼のため、そして梅沢のため、これから一生かけて懺悔していこうと思う」

「懺悔しても、彼は戻ってきませんよ」


 酷いことを言っている、自分が最低な人間であることは理解できている。それでも、それは事実なのだ。

 だから。


「彼が求めているのは懺悔じゃないです」


 きっと彼はそんなものを求めてはないはずなのだ。

 彼が求めていること。それは……。


「……」


 その後に続く言葉を言おうとして、私は直前で留めた。それを言うことで、私は本当に居場所を失ってしまう気がしたからだ。


「自分にやるべきことをやる。それが彼のためになると思います」


 だから、思ってもいない嘘で言葉を繋いだ。

 彼が望んでいること。それは暗殺課という職業そのものがなくなることなんじゃないか。そう思うようになったのは彼がこの世を去った後のことだ。

 彼は私に暗殺課を辞めて欲しいと言った。


『俺は単に、梅沢さんには暗殺課を辞めて欲しいなって思ったから……』

『俺は、君に、あん、さつかん、をして、欲しくない』


 でもそれだけじゃなかったのだと思う。

 対象に覆いかぶさるようにして庇ったあの時、月白は暗殺課という職業そのものに疑念を抱いているように見えた。


『暗殺課自体、あるべきではない』


 同時に、そう思っているのではないかとも感じた。

 それこそが彼の望みかもしれない。

 だけど、彼がこの世にいない以上その真偽は分からない。それに朽木にこのことを話せば、自ら自分の居場所を、押水と接点を持ったこの場所を失うことになる。そうなれば私は今後、本当にどうやって生きていけばいいのかが分からなくなる。

 だからさっき、寸前で言うのを止めたのだ。


「やるべきこと、か……。それなら梅沢」

「はい」

「一つ伝言がある」

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