マイン・フューラー

きょうじゅ

台本

登場人物

青年 ドイツ人の青年。20世紀初頭の生まれ

友人 青年の友人。同じく20世紀初頭の生まれ


(幕を開く)


青年 友達と一緒に新しい政党を作ったのだ。「ドイツ労働者党」なのだ

青年 今日はミュンヘンのビアホールで集会なのだ。他のお客さんもいるのだ

友人 それじゃ、今日はおれが党を代表して演説をさせてもらうぜ

青年 いいぞー!

友人 そもそもここミュンヘンは、かつて独立国バイエルンの首都だった

友人 今こそバイエルンは再び独立を取り戻し、

友人 ワイマール共和国のくびきから解き放たれるべきなんだ

友人 そもそも第一次世界大戦における敗戦は、我々ドイツ人にとって……


ナレーション 大戦終結後まもないこの頃、ドイツはワイマール共和国と呼ばれていた。


友人 うんうんで、かんぬん。以上で演説を終わる!

青年 ぱちぱちぱちぱち。拍手なのだ。さすが我が党の幹部なのだ

青年 ん?ビアホールのお客さんの中に手を挙げている人がいるのだ

青年 どうしました?え、自分も演説をしたい?どうぞどうぞ、大歓迎なのだ


ナレーション こうして、一人の男が語り始めた。その演説は、とても見事なものであったという。


友人 くっ……完敗だ!なるほど、あなたの主張の方が正しいと思う

友人 バイエルンが独立するよりも、ドイツ人がドイツ人として手を取り合う

友人 そうだ、まさにそれこそが今我々に必要なことなんだな

青年 あ、もうお帰りなのだ?これ、党のパンフレットあげるのだ

青年 よかったらまた集会に参加してくださいなのだ

青年 こちらに住所とお名前を書いてくれると嬉しいのだ

青年 ありがとうございましたーなのだー

友人 さっきの凄い演説の人は、なんて名前だったんだ?

青年 えーと

青年 アドルフ・ヒトラー、だって。ミュンヘンに暮らしてるみたいなのだ


ナレーション こうして、人類の歴史に知らぬ人もなきその男と、本来なら名もないまま消えるはずだった小さな政治サークルの、呪わしき歴史は幕を開けたのだった。


青年 今日は党の集会の日なのだ

青年 あ、ヒトラー氏がお見えになってるのだ

青年 え、申し込みもしないのに加入許可証が届いたから断りにきたのだ?

青年 ごめーん、それ出したの僕なのだ

友人 何やってんだよお前

青年 でもせっかくだから顔を出してってほしいのだ!

友人 おい、ヒトラーさん困ってるぞ

青年 え?党の綱領はどうなっているかって?そんなもんないのだ

青年 印刷したもの?こないだのパンフレットで全部なのだ

青年 党のシンボルマーク?それはいいアイデアなのだ。今度作るのだ

青年 何ならヒトラー氏がデザインなんかを考えてくれてもいいのだ

青年 あ、お帰りになるんですか?また来てくださいなのだ

青年 来てくれたら党員ナンバー555番を差し上げるのだ

青年 番号は501から始まるので、55人目の党員の証なのだ

友人 おいヒトラーさんあれ絶対呆れてるぞ。俺たち実際なんにもないしな


ナレーション そう、何もなかった。この男が現れるまでは。


青年 また集会の日がやってきたのだ。あ、ヒトラー氏がお見えなのだ

青年 え、シンボルを考えてきてくれたのだ?それはありがとうなのだ

友人 へー、カギ十字か。これカッコいいな。採用しようぜ

青年 それがいいのだ。これ、名前はなんにするのだ?


ナレーション 男は、そのシンボルに名を付けた。……ハーケンクロイツ、と。


青年 ヒトラー氏のおかげで、わが党はどんどん活気づいているのだ

青年 名前も長くして「国家社会主義ドイツ労働者党」になったのだ

青年 略してNSDAP(エンエスデーアーペー)なのだ。カッコいいのだ

友人 よそからはナチスって呼ばれてるけどね


ナレーション ナチスという呼び名は蔑称であり、彼ら自身が用いることはなかった。


青年 ヒトラー氏、もういっそ党首になってほしいのだ

青年 え、党首より「総統(フューラー)」の方がいいのだ?

青年 なんていいセンス、さっすがヒトラー氏なのだ。じゃあこれからは……

青年 ヒトラー氏が「われわれの総統(マイン・フューラー)」なのだ!

友人 よしきた。総統、今日はこれから何をします?

青年 え、いっきをするのだ?

青年 それはいいのだ。なんたって僕らドイツ人だからね

青年 じゃあみんなのジョッキにビールを……

青年 え、そうじゃない?僕らで一揆を起こして、バイエルンを占拠するのだ?

友人 よし、俺はやるぜ!

青年 僕もやるのだ!総統、どこまでも付いていくのだ!


ナレーション こうして1923年11月、男はナチスを率い、ミュンヘン一揆を起こした。


友人 で、どうなったかというとだな

青年 なーっはっはっは!大失敗だったのだ!

青年 みんな捕まっちゃったのだ!もちろん総統も!

友人 まあ、ろくに準備も何もしてなかったからな

青年 でもぶっちゃけあまりにも簡単に鎮圧されたから

青年 たいした罪にも問われないで僕は釈放になったのだ!

青年 総統は禁固刑になったけど、差し入れ持って会いに行くのだ!

青年 総統、ソーセージとビールの差し入れなのだ!

青年 え、ソーセージはいらない?反省して菜食主義者になる?

青年 分かったのだ!じゃあソーセージは僕が食べるのだ!もぐもぐ


ナレーション 男が菜食主義者だったという逸話は有名だが、真似をして一緒に菜食主義をやる仲間はほとんどいなかった。


友人 それで総統、これからどうする?次はもっと兵隊を集めるか?


ナレーション 男は部下のその言葉を否定し、言った。これからは選挙による政権の獲得を目指そう。こうして、ナチスの活動は新たな段階に突入した。


青年 国家社会主義ドイツ労働者党なのだ!

青年 みなさまの清き一票をお待ちしております、なのだー!


ナレーション またこの頃、男は自身の右腕となる部下を得ることになる。


青年 あっ、総統!総統にぜひお会いしたいって人が来てるのだ

青年 ご紹介しますのだ。こちらがゲッペルス博士なのだ

青年 え、ゲッペルスじゃなくてゲッベルス?それは失礼しましたのだ

友人 ゲッベルス博士の宣伝の手腕はすごいぜ

青年 うん。その通りなのだ。おかげで我が党の支持率はうなぎのぼりなのだ

青年 次の選挙では我が党に投票してくださいなのだ

青年 いっしょにユダヤ人どもをドイツから追い出して、いい国を作るのだ!


ナレーション ナチスの政治的主張の中核は、反ユダヤ主義だった。そして1933年。


青年 大勝利ー!ついに!ついに我が党がワイマール共和国の与党に!

青年 総統閣下は首相に就任したのだ!

友人 後は大統領のヒンデンブルクさえいなくなれば

友人 天下は俺たちのものだな


ナレーション 年は明け、1934年となった。


青年 ヒンデンブルクが死んだのだ!

青年 ワイマール共和国の歴史は今日で終わり!

青年 これからは我々の指導者、アドルフ・ヒトラーが第三帝国の総統なのだ!

友人 ああ、これで俺たちのドイツは再生するんだな。感無量だぜ


ナレーション 独裁者となった男は、次々に急進的な政策を推し進めていった。


青年 世界大戦に敗れた後、ドイツは軍縮を強いられていたのだ

青年 でもそれも今日で終わりなのだ!

青年 国際連盟を脱退して、どんどん軍隊を強くするのだ!

青年 総統万歳!ジークハイル!ハイル!ハイル!

友人 徴兵制も復活したし、強いドイツの時代が戻ってきたな

青年 ところで総統、総統は御結婚なさらないのだ?

青年 エバ・ブラウン嬢とお付き合いされていることはみんな知ってるのだ

青年 そろそろ入籍とかは?え、独身の方が国民の支持が得られる?

青年 そういうものなのだ?まあいいのだ


ナレーション エバ・ブラウンは一般に愛人と称されるが、両者とも独身であったので、実情は内縁の妻のようなものだった。


青年 今日は総統の車で一緒にお出かけなのだ!

青年 あれ、なんかコートを着た女の人が近づいてきたのだ

青年 うわぁ!あの女の人、コートの下すっぽんぽんなのだ!

青年 なんか「総統の愛人にしてください」とか叫んでるのだ!

青年 怖いのだ!逃げるのだ!

友人 おう、俺が追っ払ってきたぜ。なるほど総統の独身人気はすげえな


ナレーション ヒトラーの後半生を通じて、こうした事件は日常茶飯事であったという。


青年 今日は総統が個人的に所有している田舎の別荘に招かれたのだ

青年 みんなは「狼の巣」と呼んでいるのだ

青年 アドルフって名前が「高貴な狼」って意味だからなんだけど

青年 そういう中二病センス、あの人ぜんぜん昔と変わらないのだ

友人 全ドイツの支配者の館にしては、質素な山荘だよな

友人 あと、言いたくないけど出てくる飯があまりうまくねえ

青年 他の客もみんな退屈そうだし、何より

青年 毎晩繰り返される総統の独演トークがめちゃくちゃつまらなくて

青年 正直ずっと滞在してると苦痛ですらあるけど

青年 古い付き合いのよしみというものがあるのだ 黙ってるのだ

友人 そうだな

青年 さて、では気を取り直して

青年 ヴェルサイユ条約で永久非武装地帯にするって決められていた

青年 ラインラントに軍隊を送り込んだのだ!

青年 バターより大砲を!なのだ!ばんばん強いドイツを作っていくのだ!

友人 もう一度、強いドイツの時代がやってくる。総統を信じてよかったぜ

青年 とうとうオーストリアを併合したのだ!

友人 総統は実はもともとオーストリア生まれなんだけど、

友人 もうそんなことは関係ない。オーストリアもプロイセンもバイエルンも

友人 強い一つのドイツのもとにまとまる。俺たちの時代がやってくる

青年 次はチェコスロヴァキアのズデーデン地方なのだ!

青年 ここはドイツ系の住民が多いから、割譲は全ドイツ人の悲願なのだ!


ナレーション この頃になると、もはや男の動向こそが世界情勢と言ってよかった。


青年 あっ、総統お帰りなさい!ミュンヘン会談はどうでしたのだ?

青年 え、イギリスの首相を屈服させてスデーデンを割譲させたのだ?

青年 素晴らしいのだ!さすがはマイン・フューラー!ジークハイルなのだ!


ナレーション これを受け、イギリスでチャーチルという政治家が演説をした。われわれは戦わずして敗北した。しかしこれは終わりではない。われわれは、この大きなツケを、まもなく支払うことになるだろう。


青年 なーっはっはっは!次はポーランドのダンツィヒなのだ!

青年 ここはもともとドイツ領だったんだから当然第三帝国のものなのだ!

友人 おい、さすがに調子に乗り過ぎじゃあないか

青年 そんなことはないのだ!

青年 マイン・フューラーのやることに間違いなんかないのだ!


ナレーション 否、それは間違いであった。男の生涯で、最大にして最悪の間違いであった。


青年 ポーランド侵攻にぶち切れたイギリスが宣戦布告してきたのだー!

青年 なんてこったー!うぎゃーなのだー!

友人 だから言ったんじゃねえかよ

友人 まあ、それなら俺は最新鋭の戦車でばんばん敵地に攻め込むけどな


ナレーション ドイツのいわゆる電撃戦によって、戦況は第三帝国優位に進んだ。フランスはパリを占領されて降伏し、ロンドンは日夜のように爆撃された。一時はヨーロッパ全土にハーケンクロイツがはためくかに思われた。


青年 ジークハイルなのだー!


ナレーション だが、首相に就任したチャーチルのもと、イギリスは抵抗を続けた。フランスでも、ド=ゴールの率いる亡命政府を旗印に反抗が続いた。


友人 最近、雲行きが怪しくなってきたんじゃないか?

友人 やっぱりソ連にまで攻撃を仕掛けたのは無理だった気がするんだよ

青年 そんなことはないのだ!もう少しでスターリングラードが落ちるのだ!

青年 そうすれば……きっとなんとかなるのだ!


ナレーション だが、スターリングラードは落ちなかった。30万のドイツ兵がスターリングラードの地で玉砕し、第二次世界大戦の流れはこの時点を境に一変することになる。


青年 で、でもまだアメリカが本格参戦していないのだ

青年 それだけが命綱なのだ。まだ逆転のめどが

友人 おい、フランスのノルマンディーに米軍が上陸したぜ

青年 ぎゃー!


ナレーション ノルマンディー上陸作戦の成功は、ナチスドイツにとって、破滅と同義であった。


青年 ……あー

青年 僕、いまベルリンの地下壕にいるのだ。ベルリンはソ連軍に包囲されて

青年 第三帝国は、もうこれだけのちっぽけな世界になってしまったのだ

青年 でも昨日、エバ・ブラウンさんがやってきたのだ

青年 総統はブラウンさんに、「ここには来るな」って言ってたんだけど

青年 ブラウンさんの顔を見たら、嬉しそうな顔になったのだ

青年 あ、ちなみにゲッベルス博士もここにいるのだ

友人 おい、ビールとソーセージを持ってきたぜ

友人 いっきでもしようや

友人 もう、すべてが終わるまで何日でもないだろ

友人 あのさ。楽しかったよな、俺たち、ずっと。みんなで、色々さ

友人 だけど俺たち、いつ、どこで間違えたんだろうな?

青年 わかんないのだ……

青年 あ、ゲッベルス博士なのだ。博士ー、ソーセージ食べませんか?

青年 あれ?なんで泣いてるのだ、博士

友人 行っちゃったな。博士はどうしたんだ?

青年 総統に、一緒に死にましょうって言ったのに断られたって言ってたのだ

友人 党ももう終わりだろうけど、総統はどうするつもりなのかな

青年 聞いてくるのだ。長い付き合いのよしみがあるのだ

青年 聞いてきたのだ。これから結婚式するそうなのだ

青年 そのあとは全部、海軍のデーニッツ元帥に任せるって言ってたのだ


ナレーション こうして、エバ・ブラウンは生涯最後の二日間、男の妻となった。


友人 そろそろかな

青年 そうだと思うのだ


ナレーション 地下壕に二発の銃声が響き渡った。男はまず妻を撃ち、そして自らの頭を撃ち抜いたのであった。


友人 遺言で、死体は跡形もなく焼けってさ

友人 ありったけのガソリンを集めてきたぞ

青年 よく燃えているのだ

青年 さようなら、マイン・フューラー。さようなら、ヒトラー氏


ナレーション そして1945年5月2日。全権を委任されたデーニッツのもと、ドイツは連合国に全面降伏し、ヨーロッパの戦争は終わった。男が犯したその罪のすべて、即ち大虐殺ホロコーストの真実が明らかになるのは、その後のことである。


(幕を引く)

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マイン・フューラー きょうじゅ @Fake_Proffesor

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