第4話「思い出」


―私、外を歩いちゃいけないのかな。


生まれてから保育園、小学校、中学校、高校は山形県で過ごした。

いわゆる私の故郷。


実の父は、私が小さい頃に私たちを捨てた。


「出張に行ってくるね」


そう言って幼い私の頭を撫でた。

小さかった私は父のスーツ姿に、ビジネスバックを持った腰までしか見えなくて顔なんかまったく覚えていない。

そう言って出ていった父が戻ってくることはなかった。

成人してから一度顔を合わせたが、出ていったあとほかの人と再婚して子供もいた。

その新しい家族を捨てるから自分とやり直してくれなんて言うもんだから、本当にどんな頭の中なんだろう。

父と呼ぶには情けなさすぎる。


母親はヒステリック。年々増している。

父が私たちを捨てた後、私に物心がついた頃に「実は離婚したんだよ、あの時にはもう」なんて言って母がいきなり泣き出すもので。

記憶にはないのだけれど、幼い私は母を小さい腕で抱きしめながら歌って聴かせて、なだめていたらしい。

その話を教えてもらった時、自分には珍しく感心したものだった。

母は女手一人で私を育てた。

日中はパートでホテルのフロントの仕事、夜間はスナックで接客の仕事。

母には頭が上がらない。


一つだけ許せないとすれば、浮気癖と借金癖だ。


確かに母は美人で、人当たりも良く愛想も良く、綺麗ながらもとても可愛らしい人だ。例えるならピンクのバラのような人。


再婚して、義父がいるのにも関わらず男とホテルに行き記念撮影をする。しっかりとフォルダに残して、また次の人。次の人。次の人。

義父がいい人なら、母が百悪いとなるのだけど。


義父と母は、スナックのお客さんとキャストとして出会い義父から結婚を申し込み夫婦となった。

夫婦と呼べるのかはわからないが。


義父はかなり短気というか、すぐに"手"が出る人だった。

機嫌が良ければ温厚なおとうさん。

機嫌が悪ければ暴力的なオトウサン。


悲鳴、物の壊れる音、倒れる音、血、アザは日常だった。


そんな義父が大嫌いだった。色々と大変だったがもう離婚はしてくれてもう話してもいない。


毎日、寂しいと痛いだけの家。

少しでも自分の意見を述べたら暴力がプレゼントされるから閉ざす日々。

それでも一度だけ、何を期待したのか私は自分の意見で少し反抗してしまった。

本当に些細な事だった。


「しけったお菓子じゃなくて、ご飯が食べたい。おにぎりが食べたい。」


高熱を出した次の日の朝6時に「いつまで寝てるんだ」って怒鳴られたから、

「もう少しだけ寝たい、熱が下がらないからもう少しだけ」


それがだめだったらしい。

ただでさえ鋭い目つきが、さらに吊り上がって。

髪の毛を鷲掴みにされて、そのまま二階から一階への螺旋状の階段を引きずり降ろされる。

痛くて痛くて、声にならない悲鳴が出る。

その悲鳴を「やかましいな」と私の髪を掴んだまま振り回して、顔を階段の角にぶつける。

骨が折れた。

ただでさえ熱で力の入らない身体が、抜け殻みたいに力が一切入らなくなった。

そんな私を、義父はそのまま引きずって、台所に向かう。

シンクの下の扉を開く。

目が怖い。

嫌なものが見えた。包丁だった。察した。

許しを請う間もなく、私の腹部にソレが飛び込んできた。

恐ろしく、スローモーションで。


パジャマ越しにお腹あたりに開く、一凛の真っ赤なお花。

高熱と顔の骨の骨折で、感覚が麻痺していてよかった。

小さい私は、当時そんなことを考えていた。


自分の城の管理下に置いた子供が自分の意志でモノを言うのは面白くない。

そういうことだったのかなと。


救急車も呼ばれず、呼べず、ひたすらに絆創膏を何枚も使って傷を塞いだのを覚えている。


あの吊り上がった、悪魔のような、血走った冷たくも怯んでしまう程に熱い視線。

顔の骨が折れて歪んでしまった私を見て、避けていく街の人が浴びせてくれる好奇と、汚物や腫物をみるようなあの視線。


「何あの子、醜いわ」

「よくあれで外歩けるよね」

「気持ち悪いんだけど」



視線は怖い。

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夢のオハナシ @saaya0119s

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