4

「これは何だ」


「肉、豚のやつ」


「じゃあこれは何だ?」


「ご飯」


「おしい、ブッツェだ」


 プラカードを持ち、ルルの目の前に掲げて一枚一枚捲って描かれた絵を答えさせる。昨日教えたばかりのことを素直に答える彼女だったが、どうしてもブギーマンの姿を見ると”ご飯”と答えてしまう。


「これは君と同族だ。食べてはいけないんだ」


「でも血が青い、ならルルのご飯なの」


「青い血は妖怪だ。食べてはいけない」


「でも海老は青い、海老はルルの食べ物」


「...妖怪はあれよりも鮮やかな青だ。食べるな」


「でも美味しいの」


 うーん、と頭を捻る。ルルも真似して首を傾げた。

 3ヶ月前、彼女を捕まえたはいいが、唸る、噛む、威嚇するで対処に困った。ぐう、と彼女の腹がなったことをきっかけに様々な食べ物を食べさせてみたが、彼女は何でも食らいついた。

 満腹状態でも食べようとするため、こちらで調整しなければ食べて吐かせてを繰り返してしまう。

 しかし暫くすれば、彼女は慌てなくても食べ物が出てくると気がついたのか落ち着いた様子であった。


 これは試しと3食保証を餌に言葉を教え続けているが、まるで乾いたスポンジが水を吸うようにするすると飲み込んでいく。読み書きはまだだが、問題なく意志疎通ができる。


「ねえトル、ルル、この前のやつが食べたい。赤くてまるいやつ、汁がいっぱい出てくる...」


「ああ、林檎か。あれは分かった、また用意しよう」


 嬉しそうに綻ぶ彼女は、3ヶ月前のあの獰猛さが嘘のようだ。か弱そうな姿を見ていると自由にしてやりたくなる気持ちが湧きかける。

そんなことをしてしまえば、次の瞬間私の首と胴がさようならの可能性があるため、やらないが。


「林檎を用意するのはいいが、君に一つ聞きたいことがある」


「じゃあ青い血の生き物も食べたい」


「...赤い血の生き物なら用意ができる」


「ふふん、妥協してあげよう。生きたままね?新鮮なままね?」


「はいはい」


 彼女の舌は普通の獣でも意外と満足する。あとで野兎でも狩ってくればいい。生きたままという注文が少々面倒だが仕方がない。

 早く言えと催促するルルは、随分と上機嫌だった。都合がいい、これなら話してくれそうだ。


「それじゃあ聞くがルル、君が狼であったときのことが知りたい」


 ルルの耳が僅かに反応し、目つきが鋭いものに変わる。

 彼女が興味を示した証だ。


「君は3ヶ月前、ブギーマンを一匹食べた。あれは私の知人でね。なぜ食ったか知りたい。あの時君は何を考えてあれを追い、なにを思ってあれを食った?」


「あ~...」


 椅子の背もたれに頭を預けたルルは、随分と気だるげに答えた。彼女の肩からハラリと舞い落ちた白銀の髪を、無意識に目で追った。


「そんな複雑なこと考えていないわ、お腹が空いてたから食べた。それだけよ」


「それだけ、本当か?」


「そう、ルルはずっとお腹が空いて、空いて。これは何か食べないと治らないって知ってたの。だから走って走って、食べ物を探してた。食べ物が喉を通ってる間は多少気が紛れたから」


「ここにくる道中のことは何も覚えていないのか?」


「うん...青い血を流す奴をね、1回死なないように傷つけるの。そしたら逃げるから、匂いを追っていくと似たようなのがいるところに連れて行ってくれる。だから沢山食べられる。ルルはずっとそれを追ってた。一番新しい青い記憶が、お前の知り合いだと思うよ」


 驚いた。つまり彼女は飢餓に犯されながら、ミティーヌを囮に使って我々を発見したらしい。

 家の外は複雑に入り組んだ森だが、ルルは俊敏に動き回っていた。囮であれば血まみれの彼が逃げ続けられた事にも納得がいく。分かってはいたが、なかなか知能が高いようだ。


「君は囮を使って、更に獲物にありつこうとしたわけか。それはもう一種の戦略だな」


「ルルはあの時、お前を殺さなくてよかったと思ってる」


「どうしてだ?」


「今、ルルは満腹になれるから」


 ルルはこちらに顔を向けると、ペロリと赤い舌で唇を舐めた。食事時のことを思い出しているのだろうか。気怠げだった表情が喜びに変わっていく。


「ここにきてから、信じられない事に遭遇してる。いつもかき込んでたから、食べ物に味があるなんて知りもしなかった。食べ過ぎると吐くなんてこと初めて知った。これはお前のおかげ。感謝してる」


「ああ、それならうれしいよ」


「トル、この世の最も最悪なことと、最も素晴らしいことは何かわかる?」


「何だ?」


「空腹と満腹なの」


 自分の結論に納得がいったのか、ルルは満足げにうんうんと頷いていた。食の必要がない私には今一ピンとこないが、元のルルの姿を思い返せば、飢餓で苦しんでいた彼女らしい結論である。


「興味本位で聞くが、元の姿に戻りたいか?」


「寝言は寝てから言いなさいよ」


 私にあきれたようで、ルルは大きなため息を一つ吐いた。

 あの狼のままでは、腹に大穴が開いているせいで永遠に食い続けなければいけないのだ。満腹が喜びだという彼女にとって、当然答えは決まりきっている。


 それでも彼女なりの愛着でもあるかと考えたのだが、一応考えていた狼に戻る危険性は杞憂だったようだ。


「ルルもうお腹が空いた、何か持ってきて欲しいの」


「2時間前にも食べたろう、夕飯にはまだ早い」


「小腹ってやつなの、おやつがほしいわ」


「それならご褒美はいらないか?」


「まさか、勿論頂くの!なんならこの家のもの全て食らいつくしてもいいのよ?」


 全く我が儘放題である。好き嫌いがないのはいいが、食事の事になると少々知能が下がっているような気がするのは気のせいか。


「よし、じゃあ何か持ってきてやろう。ゆで卵でいいか」


 ぎょっとした目でルルがこちらを見た。食物なら全てを平らげるルルが、唯一苦手とする食品が卵だ。


 3ヶ月前にルルの魂を捕獲用に改造したコシチェイの卵に閉じこめてからというもの、ゆで卵や生卵に対する拒絶反応が凄い。理由は「痛そう」だった。何とも彼女らしい。


「サイテー!もういいわ!」


「ははは、何かあったら叫んで呼びたまえよ」


 原始的な方法だが、私の部屋と地下室の階段は直結している。扉は開けたままにするから、通る声の彼女であれば問題ない。

 背中で単語のレパートリーが少ない罵倒を受けながら、開けっ放しの扉を見た。ルルに壊された地下の扉は、修繕箇所が痛々しい。


「トル」


 地下から出てリビングへいくと、ブッツェが食卓に座り暇そうに水筒をつついていた。心なしか、背中の蜘蛛足も元気がない。


「どうした?」


「いつまであれを飼うつもり?」


「ルルのことか?」


 元気のないままに、ブッツェは頷いた。彼はルルに対して否定的だ。彼女をみると、3ヶ月前の襲撃がフラッシュバックするらしい。

 私が誘っても、怖がって絶対に地下に降りようとはしなかった。


「具体的な期間はない」


「さっさとどっかに捨ててきたほうがいい、君だっていつ食われるか分からないぞ」


「彼女は意外と温厚だぞ」


「なにいってんの」


 ブッツェが懐疑的な目で私を睨む。彼はあれ以来ルルと顔を合わせていない。だからこそ、彼女の変化が分からない。口で伝えてはいるが、実物をみない限り固定観念を壊そうとしない彼は信じないだろう。


「あれはミティーヌを殺したんだよ!」


「分かっている。だが、あれは本能からくる食欲だ。彼女にとって、食料は我々しかいなかった。それならば食うだろう」


「何でそんな冷静なの?君にはあれが異常な化け物に見えない訳?」


 当然、異常だ。

 共食いのルルはブギーマンたちの中でも特別扱いをされる。それは畏怖の念でもあるし、嫌悪の感情でもある。

 ブッツェのように一刻も早く駆除を行い、安寧を手に入れたいと思うのが正しい反応だ。


「見える」


「なら、今すぐにでもあれを水に沈めちゃおうよ!そうしたら君が死ぬ危険も無くなる」


「ブッツェ、ルルは彼女だけじゃない。彼女以外にもルル・コルコレが存在する以上、一匹程度仕留めたところで遭遇する危険は変わらない」


「でも、今目の前の脅威は取り除ける。あれが脱走して他の仲間を殺すことも防げるはずだ!」


 強すぎる種族は絶対数が少ない。ルル・コルコレの種族も例によって少なく、私やブッツェも彼女以外では見たことがないのだ。確かにあれを殺せば、危険は去るかもしれない。


「彼女は私が教育する、絶対とは言わないが頻度は減らすよう努力しよう」


「馬鹿なこと言わないで!あんな無秩序なやつ教育できるわけがないだろう?」


「彼女は意志疎通が出来ている。暴れ狂う事はない。まるで人間のようだよ」


「何が人間だ!どこまでいっても化け物だろ!」


「君はあのとき、本能に比重が傾いている方がいいと言ったね」


 ブッツェが黙り込む。その目は鋭く、私を刺すようだ。

 彼が全身から出す拒絶の雰囲気を見ていると、彼は蜘蛛なのに隠密をすることはきっと苦手なのだ、なんて意味のないことを考えてしまう。


「激しい食への本能を持ち合わせながら、今は理性を持ち食品を前にしても待機ができる。無秩序に暴れる力を持ちながら、今は私の対話にも穏やかに応じる」


「だからなにさ!処分してしまう方が堅実だろう!」


「彼女は私の理想にもっとも近い。私が手放したくないんだ」


 過去どれだけ周囲のブギーマンが殺されようが、今どれだけ私に死ぬ危険性があろうが。彼女は私が考えている人間の像にもっとも近い。腹を空かせ、満腹になれば笑い、対話を楽しみ、ちょっとしたことで怒る。


 彼女は、他のルルとは一線を画す。今からさらに教育も重ねていけば、妖怪を食らう本能を上手く制御することもできるかもしれない。


 まるで、本当の人間のように。


「君さ...君ってばさ...」


 ブッツェが何か言葉を吐いた。体をワナワナと震わせ、拳がきつく握られる。下を向いているため表情が見えないことが、緊張の糸が張る原因にもなっていた。


「...ま、いいや。君ってば研究にしか眼中にないよね、ほんと」


 ふっと空気が軽くなった。彼が顔をあげたせいだろうか。未だに私は緊張を解くことが出来ないが、それでも僅かに肩が軽くなった気がした。


「俺は君のことをよく分かってるつもりさ。研究に没頭してる君に目くじらたてたってどうしようもない」


「そうか」


「あれのことは受け入れられない。でも、君があれに固執するのなら、俺はなにも言えないよ。君の研究だから」


 ただ、と彼が付け加える。


「俺はこの研究を手伝えない。今までも手伝ってないけど、今後何があっても俺はこの研究に賛同しない」


「心得た」


 どちらともなく握手をする。この約束は、彼と今後つきあっていく上できっと大切な事だろう。

 今、ブッツェはいつも通り穏やかに笑っている。今思い返せば、今まで笑顔の彼に甘えてしまっていたことは反省しなければいけない。


 ブッツェを家まで送る。

 落ち葉を踏みしめる二人分の足音は、やはり心地が良い。

 この数ヶ月、ずっとルルのことでお互い神経質になっていたのだ。晴れやかな気持ちで久々に彼と談笑を交わす。


 道中に寄ったミティーヌの墓は、月明かりに照らされ輝いていた。ブッツェ曰わく、月光浴が好きだった奴らしい。


「俺の家族もみんな好きだよ、月光浴。家に帰れば多分そこらへんで団欒してるんじゃないかな」


「君の家族は、君のように他に妖怪化したものはいるのか?」


「みんな同じぐらい長生きだけど...いないね、俺だけさ。話は通じるからいいんだけど、みんな遙かに小さいから潰しちゃいそうでちょっと怖いんだよ」


 ははは、と彼が困ったように笑う。月の下であれば、ブッツェは明るい場所を好んで住処にしていた。

 私にはこの明るすぎる月の光がどうにも苦手であっった。気持ちよさそうに月の光を浴びる彼と、気分を共有できないのは少々残念だ。


「ルルは好きなのかな、月」


「...賛同しないのでは?」


「賛同はしてないよ。種族として気になっただけさ」


 それでいいのか、と問えば、それでいいんだよ。と返された。地下のルルではなく、ルル・コルコレの種族として気になったのならば、それでいいのかもしれない。

 この後は二人とも一言も喋らなかった。ザク、ザク、という枯れ葉を踏みしめる音以外は、お互い何も必要がなかった。




 数日後、ルルが脱走した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コシチェイの卵 ことこと煮物 @lifekp

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る