121~130
行くべき彼方へ
「行くのですか」「はい」青い瞳とかち合う。もとより白い彼女の肌はほとんど透明になり、屋上を囲む背後の柵がはっきりと見える。「良い所でしょうか」「そうであればいいですね」彼女は地面を蹴る。「それでも、行くべき所ですから」彼女が昇っていく。その笑みはあっという間に空色に溶けていった。
猫缶
缶詰のタブを引き上げる。中身のどろりとした液体を深皿に移し、レンジで三分加熱する。猫の喉を撫で、心地よい振動を感じながら待つ。そのうちに加熱終了音が鳴ったのでレンジの扉を開く。「にゃーん」深皿の中からひょっこり顔を出した子猫が一声鳴いた。後ろで期限の切れた猫が溶けて揮発していた。
死なない真冬
真冬が死んだ。18歳、受験のため試験会場へ向かう際の事故だった。真冬が死んだ。19歳、アパートを出たときに足を滑らせて階段から落ちた。真冬が死んだ。20歳、同じサークルの男が酷いストーカーとなり刺された。真冬が死んだ。21歳、これ以上あなたを救い続けるのは疲れたと言って自殺した。
したたる愛のもと咲く
雨が降る。私は窓辺でそれを眺めていた。ベランダへも雨は降り注ぐ。その中で光り輝くそれを見る。奇跡の花。美しい花。日のもとでは透明で、その全容を知ることはない。月明りのもとでも透き通り、その姿を見る者はない。雨が降る。水が滴るその姿。雨の中、だけで、咲く、花が。雨が止む。虹が立つ。
朝の瞳
彼の瞼がゆったりと持ち上がる。それと同時に地平線の彼方からオレンジ色の光が徐々に昇ってくる。それは金色に変わり、空は輝き、やがて青の世界が広がっていった。彼は朝である。彼の目覚めとともに日は昇り、その瞳は辺りを焼かんばかりに輝いていた。空の青色の髪が風になびく。今日はいい天気だ。
夜の髪
彼女の体がのんびりとベッドから起き上がる。それと同時に一番星がまだ明るさを残した空に浮かぶ。やがて日が完全に落ち、空の青が深みを増して世界は暗くなる。彼女は夜である。彼女の深い夜色の髪に天の川のような星明りがちらちらと瞬いていた。櫛を通せば明かりは天に昇り、やがて物語を紡ぎだす。
未来の可能性
過去は老いる。年を経た老人のように、記憶に霞がかり、かつて今だった記憶は遠くおぼろげとなる。思い返せる記憶があるのは君が幼いからである。未来は幼い。まだ見ぬ未来には可能性が広がっている。何でもできる。何にでもなれる。選択の視野を狭めるのは老いた君自身である。大丈夫。君はまだ幼い。
私だけの貴方
「そんな顔して、なにかして欲しいの?」私の視線に気がついた彼女は顔をにんまりと歪め、私に問いかける。遠くの満月を眺めていた瞳は、いま私だけを見つめている。「別に何もいらない。愛してくれれば、それでいい」「大丈夫。君だけが私の愛しい人だから」私たちの関係を、人はなんと言うのだろう。
今日の波、明日の波
揺れる、揺れる。船が揺れる。私は一人、海を揺蕩う。揺り籠のように、母の手の内のように、私は安堵する。揺れる、揺れる。船が揺れる。空を見れば一面の黒の中に青く光る星が見える。揺れる、揺れる。船が揺れる。月の海は今日も静か。私は瞳を閉じ、青い星の夢を見る。揺れる、揺れる。船が揺れる。
手紙 雪積もる国より、春歌う君へ
(そちらはまだ桜が咲いているでしょうか)(こちらは降り積もる雪に家が埋もれる毎日です)(家といってもかまくらですが)(気候循環システムの故障から一年、システムの復帰までエリアを移動することは叶いません)(けれど貴方の声は毎日ラジオから聞こえます)(この手紙が届かないのは残念です)
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