131~140
地獄か牢獄か
耐えることに意味はない。言葉の刃は無言の盾を容易くつらぬく。視線の矢に晒されつづけ、どれだけ矜持の杖に支えられながらも、暴力の斧がその足を切り落とす。耐えた先に何があっただろう。自由の翼は毟り取られ、空はどこまでも遠い。本物の刃がいる。その先が牢獄でも、この地獄よりはましだった。
涙のゆくえ
私は彼女を慰めない。彼女の涙を拭わない。声を殺し、震える体を抱きしめ、大きく見開いた瞳から涙が伝う。彼女は慰めを求めない。彼女は涙を隠さない。唇を引き締め、折れんばかりに食いしばられた歯。彼女は私が傍にいることを許す。私は彼女を止めないから。人は人の涙を奪う権利などないのだから。
溺れる魚
彼女を彩るマーメイドラインのドレス。まさしく人魚のように、彼女は踊る。胸いっぱいの幸せが、その瞳から零れ落ちる。これが最後だと知っているから。もう彼と踊れる日は訪れないと理解しているから。波に揺れる月を眺め、彼女はバルコニーから身を投げる。なんて哀れな人魚姫。人の足では泳げない。
脳の宇宙
友人はよく物事を忘れる。歯磨き、宿題、遊びの約束。そんなものならまだいいさ。昨日の夕食、推理小説のオチ。まだいい方だ。足し算、食べ方、喋り方。そんなものまで忘れちまう。でもそいつ曰く、「忘れた分、脳みそに隙間が出来て、そこに宇宙からのメッセージが届くんだ」だとさ。信じらんないね。
こころのありか
ヒトでない私の心臓に心があるのか。私は真っ白なそれを取り出し、彼女に差し出す。彼女は目を閉じ、私の心臓にキスした。そしてまた、私の胸に埋め込む。「貴方の心は私のもの。私の心は貴方のもの」そして次は唇にキスをした。「二度としないで。心を逃がしてしまうから」私は温かな胸の跡を撫でた。
胸の内の愛娘
ことん、ことん。心臓が動く。私の心臓。大切な心臓。ことん、ことん。あの子の心臓。大切な心臓。空、青い。海、冷たい。山、湿った土。公園、みんなの笑い声。愛しいものが増えていく。そのたびに胸が震える。胸の内に収まらない愛が目から零れる。ことん、ことん。心臓が動く。あの子が笑っている。
残り、さん、に、いち
僕は幽霊、本当さ。君にしか見えない嘘じゃない。机の上でタップダンス、あの子のノートはまっさらさ。明日の天気を知ってる、晴れのち雨がざんざんざん。散々質問してさ、一番知りたいのはなんなのさ。僕は幽霊、本当さ。君にしか見えない嘘じゃない。最後の質問答えよう。僕は君の明日さ嘘じゃない。
血肉と心
「血の繋がりが心の繋がりになるとは限らない」彼は僕の目を見る。「欲しいと願ったとして手に入るとは限らない」彼の言葉が僕を傷つける。「僕たちは、傍にいるべきではないのだと思う。僕が君の兄である限り、君が王になることはない。」それでも僕は傍にいたいのに。傷口がぐずぐずと腐っていった。
知らぬ雛鳥
葡萄を、一粒。「あ、おいしいですね」私の指から、碧い葡萄が、君の口に。「先輩もどうですか」君の赤い口に。「はい、どうぞ」君の白い指に、一粒の碧が。「いらない。君一人で食べればいい」葡萄の籠を押し付け、背を向ける。君はその意味を知らないのだろう。一つの果実を食べさせ合うその意味を。
さよならを嗤え
「さよならは悲しい」彼に向かって呟く。「さよならは寂しい」彼に向かって一歩近づく。「行くべき場所は決まったのかい」そう聞けば彼は地面に目を落とす。そして柔らかな綿毛に包まれたタンポポを一つ手に取った。「さてね、あるいは風の吹くままに」そう言って彼はふっと綿毛を飛ばす。「よい旅を」
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