61~70 喫茶店にて

其の一 好きなもの以外みんな嫌い

「やはりここにいましたね」知らない音楽の流れる喫茶店にて、静かな声がかかる。私はただ濃厚なエスプレッソを注視し、動かない。「貴方は自分の価値を理解していない。貴方のような人がどれだけ希少か分かってるのですか」随分とした口ぶりだ。その全てを知っているような話し方が、私は嫌いだった。


其の二 好きなものはたっぷりと

「どう思う?」喫茶店にて、彼は7本目のシュガースティックを手に取る。「そんなの飲んでうまいの?」「残った砂糖を食うのがいいんだよ」溜息を零す。「どう思うって何が」「向こうの奴ら、なんかが貴重だとか希少だとか」「人の話に聞き耳立てないんだよ俺は」なんだかこっちの珈琲まで甘く感じた。


其の三 好きな人の好きなもの

まただ、彼は8本目のシュガースティックに手を伸ばす。昨日もそうだった、その前も前も。彼はこの喫茶店にて、必ず砂糖を8本入れる。別の喫茶店では7本、駅前のカフェは角砂糖5個。私も同じだけ砂糖を手に取る。彼が口をつけるタイミングで私も珈琲を口にする。甘い。だがこれで彼にまた近づいた。


其の四 人を見るのが好きさ

皆が声を潜める喫茶店にて、ホットケーキのバターを馴染ませながら店内を見る。砂糖を馬鹿みたいに積む学生。ココアが冷めたのに気づかず本に目を伏せる少女。赤いワンピースの女はカウンターに腕を組んで身を縮める。バターが溶けた。切り分ければ温かな香りが体に入り、ホットケーキになった気分だ。


其の五 酸いも甘いも好いたらば

ステンドグラスの赤青の光が射しこむ喫茶店にて、私は少し後悔していた。いま手元にある本があまりにもくだらなくて、表紙の青い空に惹かれたのがなんだか悔しかった。ココアを一口、それもすっかり冷めてしまって、私は一人眉を顰める。でももう少し、もう少しだけなら、読み進める気になるのだった。


其の六 嫌いなんて嘘よ

本を閉じる。改めて、店内に流れる音楽が身を包む。居心地よい喫茶店にて、この本を買って正解だったと感じた。まさか主人公が宇宙を照らす街灯の一つになるとは。本一冊、読了にかかった時間は短いとは言えない。新しいココアとケーキを注文する。また新しく本を買ったら、この店で読みたいと思った。


其の七 そんな光景は嫌いさ

改めて店内を見る。音楽が流れる他はステンドグラスになっている窓と、赤茶けた照明が、奇妙な調和を保っていた。そんな喫茶店にて、カウンターに座る赤いワンピースの女に、男が声を掛けている。女はひたすら身を縮めるだけだった。その姿が周囲から異様に浮いていることを、女は知っているだろうか。


其の八 嫌いなものは嫌いになって

あら、彼ったら苺パフェなんて食べてる。苺なんて酸っぱいだけでなんの旨味もないじゃない、最悪の食べ物よ。彼と同じになるため、仕方なしに同じものを頼む。味蕾をつんざく酸味に眉を顰める。こんなのってないわ、酷いことするのね。私が貴方と同じになるために、貴方も私に近づいてくれなくちゃね。


其の九 嫌なものは溜息

「で?」苺パフェを一口、彼は問う。「他人に聞き耳立てない君は何も気にならないのか?」「特に何も」そう言えば溜息をつかれる。疲れるのはこっちの方だが。「もっと他人に興味を持てよ。あの赤い服の女、なんかあるって」「余計なことに首突っ込むな。勉強の方なんとかしろ」今度はこっちの溜息だ。


其の十 好きな夢は終わり、嫌な時間がくる

「私の価値はどうでもいいの」奇妙な音楽が止まった喫茶店にて、真っ赤なワンピースの袖を握り、女は言う。「ただ私の夢の中にまで入らないで。仕事はするから」先ほどまで様々な囁きに満たされていた店内には、もう誰もいない。時計が12の鐘を打つ。夢を現実に、それが彼女に与えられた能力だった。



※覚書


https://kakuyomu.jp/users/kiyato/news/16817330653728879476

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