51~60 生きよう

なんでそんなこと言ってくれるの

「何を落ち込んでいるの」机に突っ伏す私に声がかかる。「別に、疲れているだけ」友人にこんな口の利き方をするなんて。最悪だ。「もし貴方が明日を笑って生きようと思うなら、私の手を握っていいわよ」彼女は隣に座ってくる。「幸せになれるわ」真剣な面持ちな彼女を見るだけで、少し、幸せになった。


この世界中の誰か

「私たちにとって、世界はとても広いです。良い人もいます、悪い人もいます」それでも、と彼女は僕の目を見る。「その中で生きようと、生きて行こうとする覚悟はできています」その力強い視線に、つい目をそらしてしまった僕は悪い人なのだろうか。きっと彼女は“それでもいいんです”と答えるだろう。


花咲く君は

学校の帰り道、彼と並んで歩く。「君、嬉しいと花が咲くね」「花?」「君が笑うとき、頭に花が咲くんだ。知らなかった?」そんなこと言われたのは初めてだ。顔が赤らむのを感じる。「で、でも私、本当に嬉しいの。貴方といると、明日も頑張って生きようってなるの」変かな。聞けば彼は笑うだけだった。


今日も明日も来世でも

生きようという意思はどこから来るのだろう。感動だろうか。映画など素晴らしい出会いに触れ、流れ出す涙。絶望だろうか。足元が覚束なく膝から崩れ落ち、溢れ出す涙。生きている間、人は涙を流す。それとも泣くために生きているのか。感情はすべて涙に集約される。明日また泣くために、今日も生きる。


危機百髪

「生きるって何だろ」「なんだい突然」「なんだい急に」ふたつの同じ顔が僕に言う。「僕は結構死にかけるだろ」「幽霊に手をだしたり」「藁人形引っこ抜いたり」君、危ないよ。二人は僕を指さす。「でもさ、“生きよう!”ってなるのは危ない時だろ。それを感じたいんだろな」二人は溜息をついていた。


いま立つ場所は

人ってのはちょっとしたことで死んでしまうし、逆にそんな目にあってなんで生きてるのかという場面に出くわすこともある。いまの僕は「生きよう」と思うから生きているのか、でも「死にたい」と思ったことはない。アンバランスで不確定で、どうすることもできないことの積み重ねが、人生かもしれない。


いつか死ぬ前に考えとこ

最期の言葉は重要ではないかと思う。よく殺人鬼とかいう輩が最期に残した言葉がまとめられた本を見かける。どれだけの善行を積んだとして、あるいは悪行を犯したとして、最期の言葉が「うんこしたい」だとしたらあまりにも締まらない。とかなんとか、考えながら生きようとする僕は、本当にくだらない。


なりたい人生はまるで夢のような

人生なんてくだらないって思ってる。いま君の隣で笑っているその人も、遠くの空の下で飢えて苦しむあの人も、「生きるだなんてもう嫌だ」って思ってる。それでも僕は笑いたい、苦しいことがあってもいい。さあ、今日も生きようと、笑って朝日を迎えられるように、僕はなりたい。なりたかったのに、ね。


話しかけるな、気が知れない

「うん、それもまた生きようと考えるための理由の一つではあるよ」よくもまあ知った風に曖昧なセリフを平然とのたまう。こいつは友人でもないのに、勝手に僕の左に座る。「やっぱり君もそう思うかい」右に座る友人(彼は紛れもない友人である)はこんな馬鹿にも親切に言葉を返す。どうにかなりそうだ。


その静謐を望む

静かな女だ。騒がしい休み時間、一人で本に向き合う。刺すような一重の瞼はふせられ、その時だけ温かみをもつ視線を本だけが知っている。逆に私は陰鬱な男である。彼女の影を踏むことすら畏れ、ただ見ているだけの存在だ。彼女の、あの瞼を見るためなら、また少し、生きようと思うのも仕方ないと思う。



※覚書


https://kakuyomu.jp/users/kiyato/news/16817330653388617154

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る