人に優しく

明日葉叶

第1話 正月早々とんでもないことになっちまった

 東京都某所。都心から離れた閑静な住宅街のはずれのはずれ。「スリーハート」の名前と手書きで描かれたきたなうまい三つのハートがあしらわれた木製ボードを掲げた一軒家がある。周囲は正月らしく静かな朝を迎えていた。本来ならば、スリーハートもそんな例に漏れることなく静かな朝を迎えるはずなのだが、恐ろしくゆっくりと灰色の煙が玄関からうっすら出ていた。


 ― スリーハート内 東部屋 新藤琢磨の本拠地 ―


 AM:7:00

 カチッとその時刻を刻んだパタパタ目覚まし時計がけたたましく「ワルキューレの騎行」を演奏する。部屋の中は中古で買った複数のエアガンやその他ミリタリーグッズであふれかえっている。

 夏場は暑いからという理由で部屋の窓際に設置してあるベッドで寝る割に、この寒い時期になると「戦地じゃあなぁ……こんなもんじゃねぇぞ?」とよくわからない理由で寝袋に寝るところがこの部屋の主にはあった。

 戦地を理由にする割に、その主は寝袋からそろそろと手を伸ばして「ワルキューレの騎行」を止めようと目冷まし時計を探る。

 昨日仕事納めをしたばかりの琢磨は、昨晩この部屋の住人と忘年会と称して安酒で盛り上がってそのまま眠ってしまったらしい。この寝袋に入れたのは、帰省本能のようなものだろう。本人に記憶はない。

 件の煙はこの東部屋にも忍び足でやってきていた。木製のドアの上部から、鼠色の不気味な気体がゆっくりと入ってくる。

 ふと、その手が止まり、何かを探る気配が琢磨が醸し出す。

「煙ッ!? マジかよ!?」

 そこからの動きはさすがというほかなかった。元自衛官の琢磨は一瞬の間に寝袋から飛び出し、南部屋の住民の部屋へと駆け出す。


 ― スリーハート 西部屋 七海宗一の書斎 ―


 宗一は基本的に目覚まし時計は使わない。というか、昨日小説の公募に出すための原稿をどうにか書き上げてぎりぎりで間に合った。その熱がどうにも冷めず、寝るに寝れずまだ机に向かっていた。どうせまた落ちる。でもあきらめたくはない。そんな気持ちが宗一の指を動かしていた。 

 宗一は偏見が強い。最近巷ではやっているライトノベルを書くような輩は子供臭い。と感じている。一度だけ本人の意向とは関係なく知人の勧めで書いて応募してみたライトノベルが大滑りしたのも原因の一つなのかもしれないが……。

 今は恋愛ものを書いている。主人公はもう少しで三十歳になるOLだ。今のところ勢いに任せて書いているのでOLという設定以外この主人公に色はない。

 静かな正月の朝。部屋には単調なタイピングの音だけが響いている。

「あぁ……。あかん、もう何も思いつかへん。今日は寝正月や」

 主人公を取り巻く現状について軽く書き出したところで、設定を組んでいないためぼろが出た。筆が止まってしまった。

 宗一は実に数時間ぶりに立ち上がる。体中が悲鳴を上げるように固く、宗一は意図せずベッドに足をひっかけてその頭からベッドに突っ込んでしまう。

 最悪だ……。宗一は今年という新たな年を心から呪った。本当に最悪なことがその身に迫っているのもわからずに……。

「おい宗一! 起きてるか!?」

 普段はペンネームで呼んできてめんどくさいと思っている琢磨の呼び声が、どういうわけか今日は本名だったので素直に疑問に思った。

「うちがやべぇ! 早く出てこい!」


 ― ダイニングキッチン スリーハート中央 ―


 AM 7:05


 二人は決死の覚悟で通路を渡る。先の景色はうっすら煙が立ち込めていよいよこの家も終わりの時を告げいるかのように二人には見えた。

「なぁ、琢ちゃん。真理どうすんねん!?」

「知るかあんな奴。とりあえず今はここから脱出を……」

 二人が煙の先に逃げ出した瞬間、赤い溶接面をかぶった人影が二人の前に立ちふさがり、男二人が情けない絶叫を上げる。鉄仮面をかぶったジェイソンをほう彷彿とさせたのだ。

 鉄仮面の人影が告げる。

「誰が知るかって?」

「「ご、ごめんなさいいいぃぃぃぃ……!!」」

 そして宗一が気付く。鉄仮面の人物の背後で窓が開け放たれていることに。

「……琢ちゃん、あれ」

 琢磨も遅れて気づく。鉄仮面の人物は細い足でかわいらしい動物が描かれたスリッパなのを。

「人がせっかく朝食の準備してあげてたのに、二人とも何寝ぼけてんの!?」


 いただきます。

 三人は行によく席について、先ほどの騒ぎが嘘だったかのように朝食を取りだした。

 それはこの家がようやく正月らしい清々しい空気に染まった瞬間だった。

「そもそもね、先に話をしておいてほしいのよ。ちょっと手の込んだものを作るから朝もしかしたらガスっぽくなるかもって」

「だって琢ちゃん昨日ジェイソン見ながらつぶれてたじゃん」

「せめて俺には連絡するでしょ!?」

「壮君もいつの間にかふらっといなくなるから言いそびれてたんだよってか、人に文句言う割にあんたがた食うねぇ……」

 先ほどの溶接面の人物は家主の朝倉葉月。今日の朝食担当だった。三人の目の前には肉の丸焼きのような創作料理が出ていた。

「格好とやり方はともかく、葉月の作る料理はあたりなんや」

「やだ宗君ったら。褒めたってなんも出てこないんだから」

「おーおー、朝から二人して熱いねぇ」

「って言いながら俺の目を盗んで横取りしない」

 褒められて照れた葉月が宗一をたたき、そのすきに宗一の目を盗んだ琢磨が宗一の皿から料理を盗み、宗一にどつかれる。

「けちけちすんなよ! こっちは昨日地獄見たんだぞ?」

「こっちも昨日格闘してたっちゅーねん」

「まーまー。二人とも。ほら、食べてみて。今日のは自信作なんだから」

 葉月の声に二人が我に返り、各々の皿の謎の創作料理を口に運ぶ。

「……またこんにゃく?」琢磨が葉月をにらむ。

「……また変わった味してんねんな」

「どう? ねぇ、どう?」二人の反応をキラキラした目で見つめる葉月に二人はしばしあ考え込んで同時に答えを出す。


「「うまい」」


 スリーハートの正月はこうして過ぎていくかのように思えたが、三人が食事を楽しんでいる間に琢磨のスマホが主を求める音声を流していたことに本人もいまだに気づいていない。


 ― 都内某所 ラーメン店 鳳凰 ―


 PM 6:00


「ぁりがとーざぁっしたー」

 本来休みのはずの正月に、琢磨は勤務先のラーメン店にいた。

 店長が急遽出れなくなってしまったがためのシフト変更で、琢磨は静かな怒りを殺していた。この間もじゃねーか。琢磨は毎秒その言葉を心の中だけで反芻していた。だから、本人に内緒で30分早く店を閉めた。どうせまた関西にあるとかいう実家に帰っているのだろう。逆らえば減給は目に見えている分、腹立たしい気持ちが琢磨を染め上げていていった。

 最後の客を帰すと身をひるがえすように外に出てとりあえず暖簾はしまう。これを外に出しっぱなしにすると、それだけでお客さんが入ってきてしまう。

 外はもう暗く、行きかう車が降り出した雪に注意を払いながらゆっくりと走っていく。

 外に出た琢磨は、その外気温に思わず身震いした。氷点下3℃。当然吐く息も白く、ニュースでは近年まれにみる寒波だと騒いでいた。

 昨日仕事納めで、今日からまた仕事が始まるのかよ。三が日の間は店を早く占めることになっている。琢磨は心の中で毒づくと、凍える手でキンキンに冷えたステンレスの棒が刺さった暖簾に手をかける。

 持ち上げた瞬間、注意が上半身にいったからなのか疎かになった足元は琢磨の意思とは関係なくアスファルトを滑り、結果盛大な尻もちをつくことになってしまった。

 幸い誰にも見られていないが、琢磨の不満は一気に噴き出した。

「んだよクソが! こっちは休日出勤なうえに時給も変わんねーんだぞ!?」

 摩る尻の下に何やら厚みのある物体があることに気づき、取り出してみる。

「……封筒?」

 雪に濡れてしまって汚れてはいるが、どうやら中にまで浸透してはいないらしい。どうしてこんなところに茶封筒が落ちているのか、封筒から触ってみるに中身は紙の類らしい。

 訝しむ気持ちもあったが、好奇心がすぐにそれを押し流してしまった。

「マジか……」

 茶封筒の中にはまぎれもない現金が束になって入っていた。

 


― スリーハート ダイニング ―


 PM 19:23


「マジかよ……」

 数時間前の琢磨と同じ表情と同じ言葉で事の現状を述べる真理と宗一。

 琢磨がテーブルに広げたのは先ほどの茶封筒の中身。総額にして50万円ほどあるようだった。

 拾った瞬間を誰にも目撃はされなかったにしろ、大金が入った茶封筒をジャケットの内ポケットに入れ、後生大事に持ち帰るその様はあからさまに泥棒だった。

「持ち主に届けないと……」真理はそういうと再び封筒に収められた大金をひっつかんで立ち上がる。

「おい待て、どこ行くって?」

「落とし主、まだ近くにいるかもしれないでしょ?」

「バカじゃねーの?」琢磨が真理から封筒を奪い取る。

「これは正月休み返上で働いた俺に対する神様からの贈り物なんだよ」

「いいの? 捕まっちゃうかもしんないんだよ?」

「いいんだよ。幸い誰にも見られちゃいない。落とした奴が悪いんだよ」

「そうじゃなくて! 今頃その人困ってるっていう話をしてるの!」

「俺だって困ってるよ」琢磨は胸をそらして宗一に意見を求める。

「俺も」宗一も当然といった表情で二人を見た。

「真理ちゃんはどうなん?」促された真理は「そりゃ……困ってはいるけど」としか返答ができない。

「じゃぁそういうことで」封筒を懐に入れようとする琢磨から真理がそれを奪い取る。

「よしなよ」

「警察に届けると一割もらえる権利が発生する」

「マジか!」期待に目を輝かせた琢磨が、宗一に詰め寄る。

「持ち主が現れなかった場合はそっくりそのまま俺たちのものになる」

「ちなみに、このまま警察にも届けなかったら……?」真理がすがるように宗一に問いただす。

「遺失物横領罪で逮捕」

「イスツブツ……オーリョー?」

「ようはネコババ。軽い場合ならその日のうちに釈放されるらしいんだけど、間違いなく経歴に傷がつく」

 宗一はもうかれこれ数年以上作家を目指してはネタ収集を繰り返し、広く浅い知識を持っていた。住んでいたアパートも家賃滞納で追い出され、ネットカフェで暮らしているうちにスリーハートの記事を見つけて入居することにしたのだ。

 受賞こそはしていないものの、投稿サイトの収益システムでなんとか収入を得ている。

「さすがもう十年も作家目指してるだけあるな先生はよ」

「十一年です」

「そんなことはどうでもいいだろ。問題は目の前にこんな大金があるのにつかわねぇってことだ。もったいねぇだろ」

「いま警察に届けだすって決めたとこでしょ」

「せや。ならな、三人で今晩一晩だけ預かるっちゅう選択肢はどうや?」

 真理の中に少しだけ迷いが生じてしまう。

「たまには気分だけでもセレブな気持ちで眠りついたとしてもなんも問題あらへん。警察に届けるのはそのあとでも問題はいはずやろ?」

 宗一はそういうと琢磨と目を合わせて意味深な笑みを浮かべた。


 ― スリーハート 南部屋 前田真理のアトリエ ―


 AM 10:00

 

 白い壁のわきには大きな観葉植物がある。そこからカメラワークを引いていくとこざっぱりとしてなかなかおしゃれなのだが、あまりひきすぎるとあたりに散らばった画材道具が散乱し、書きかけの油絵がイーゼルの上で主の目覚めを待っていた。

 真理は夢を見ていた。しかもイーゼルの前で筆を握りしめたまま、今にも崩れ落ちそうな体を絶妙なバランスで行ったり来たりしている。

 夢の中ではお金の心配もなくなり、住宅ローンからも解放され紅茶を片手に夢の画家の仕事をしている。その時は雑誌の取材で最近できたばかりのおしゃれなカフェで話題のスイーツをほおばっていた。ぼんやりとだが空の色は赤い。きっと夕方なんだと思っていた矢先、空襲警報が鳴り渡り夢が打ち砕かれて現実に這い戻ってきた。

寝ぐせがついた頭を掻きながら気づく、琢磨の部屋から「ワルキューレの騎行」が響き渡りそして、

「今日は……、平日!?」


 ― 画材屋 彩画荘 ―


 PM 3:19


 真理は後悔していた。セレブな気分を味わうついでと、昨日三人で飲み明かしてしまったことを。セレブな気分という言葉に流されてしまったことを。

 結局寝坊をしてしまって着の身着のまま家を出ることになり、二人には一切の連絡を入れられていない。

「ったくあいつら……」

 商品入れ替えの作業もつい手が止まってしまう。

「ちょっと見せ開けるからしばらくの間よろしくね~」

 またか。真理は心にわいた黒い気持ちをすっと押し押し殺した。……はずだった。

「何!? そんなに眉間にしわなんか寄せちゃって」

 真理の顔は、般若をほうふつとさせる血の気の悪さと疲れ切った顔をしていた。

 完成させようとしている油絵の作業のため、最近あまり寝ていないのもあるのだろう。

「あ。も、もしほら、あのー具合悪いならもう上がっていいから。ね?」

 店主である小太りのこの男。名前は小杉健。店番をよくさぼる上に、仕事もいい加減で真理を時折キレさせる。

「でも、まだ作業が……」

「そんな顔色悪いとうちがまるでブラック企業みたいじゃない」

 事実残業代もカットしてるじゃないかと真理は言いたかったが、

「いつも頑張ってもらってるから、さ?」の一言であっさり引き下がった。

 真理にはできれば今日中に解決しておきたい事件があるのだ。

 仕事着として使っているデニム生地の緑のエプロンをロッカーにしまう。

「スイマセン……」と聞こえた気がしたので振り向くと見知らぬ外国人が入り口から顔をのぞかせている。小杉のほうを見ると接客対応中らしく、真理は外国人のほうにあるいていく。

「どうかなさいましたか?」


 ― 都内某所 ラーメン店 鳳凰前 ―


 PM 5:43


 あたりはすっかり暗くなって、雪が降らないまでも寒い。

「へっくし!」

 小腹もすいてコンビニの肉まんでも買って家路につきたくなるようなこの時間、真理はまだスリーハートには帰らず、ある人物たちを探していた。

「あいつら、絶対に見つけてやる」

 パチンコ店、競馬場に競艇場。琢磨のいそうな場所はすべて調べた。

 古本屋、神社、ファミレス。宗一がいそうな場所はいまいちわからなかったがそれでも検討をつけて探したが、結局無駄骨だった。

 途方に暮れた真理が最後の望みをかけたのはこの店だった。もしかしたら、また皿洗いを肩代わりする代わりにタダ飯でも食べているのかもしれない。

 真理は仁王立ちで店をにらみつけていた。

 店内は暗く、人気がない。もしかしたら今日はもう閉めてしまったのかもしれない。

「開けなさいよ! いるんでしょ!?」当たりの通行人が怪訝な表情を浮かべる中、真理は入り口のドアを何度も揺らすが、鍵がかかっているのでびくともしない。

「くそっ……」

 後ずさりする真理は、何かに躓きそのまま尻もちをついてしまう。

「あいたたた……、もう! ちゃんと前向いてあるきなさ……」言いかけた口から言葉が抜けた真理が見たものは、小学校一年生くらいの小さな男のだった。

 その子供は真理がぶつかった拍子に転んだらしく、コートを泥まみれにしてしまっていた。

 そして、怒りの剣幕の真理を前に涙ぐんでいた。

 今にも泣きそうになる子供に、真理は慌てふためいて――


 ― スリーハート リビング ―


「誘拐だろ?」

「だから違うって言ってるでしょ?」

 スリーハートには琢磨が帰っていて、真理が子供に暖かいカフェオレを出したタイミングでリビングに現れた。

「知り合いでもないんだろ? どこで拾ってきたか知らないけど、早いとこ捨ててこい。うちじゃ犬も飼えないんだぞ」

「捨てて来いって……ちょっと家に入れただけでしょ?」

「どこのどいつかも知らないが気をか?」

「そりゃ……、何を聞いてもなんにも話してくれないけど」悔しさを滲ませる真理に、ため息を吐いた琢磨は子供の座る椅子へと向かい、

「おい。お前名前は?」

 女性の真理が話をかけても何も話すことがなかった子供が、それよりも大きな体格の琢磨に心を開くはずもなく、みるみる涙目になっていく。

「おい! もじもじしてるだけじゃなんもかわんぇぞ!? お前の名前はなんだって聞いてんだよ!?」

「やめなよ。怖がってんでしょ!?」

 机をたたいたのも悪かったんだろう。琢磨が言い終わるころにはすでにわんわんと泣いていた。

「近所迷惑ですよー。って誰この子?」

 ワインボトルを片手に宗一が帰ってきた。タクシーか何かで帰ってきたのだろう、上着を抱えている。

「真理のやつが知らないガキ拾ってきた」

「ガキ? 恋愛事情はここでは御法度にしても、まさか真理ちゃんにそんな趣味が」

「違うって。ちょっと鳳凰の前で転ばせちゃって……。警察に行こうとも思ったんだけど、どうしても行かないっていうから」

「だからって家に連れてくんなよ? 俺たちが誘拐してるみたいになるだろ?」

 子供はすっかり真理の後ろに隠れてしまって、二人にはなつかないようだった。

「ねぇ、君名前は? 名前教えてくれないと私たち君を家に届けることもできないの」

 真理はしゃがみこんで子供視線で優しく声をかける。

「……おしっこ」

「え……?」

「おしっこ洩れちゃう!」


「どないすんねん。警察に連れてこか?」

 買ってきたばかりのワインボトルをあけながら宗一は二人の顔を見る。

「俺はいかなねぇ。あんなとこ、行くところじゃねぇ」

「琢磨は人相悪いからすぐ疑われるもんねぇ。ただでさえ泥棒みたいなか……ってそういえば二人、あのお金は!?」

 名前も知らないあの子供は、まだトイレで用をたしている。

「すった」最初に白状したのは琢磨だった。

「すった!? まさか」

「ちょっと店でムカついててな。パチンコに全部突っ込んで消えた」

 しらみつぶしに探したのにすれ違ったのか……。真理は絶句した。

「ありえない。マジでありえない……」

「なんや、チョコの一つもなしかいな」

「そういうお前はどこなんだよ?」

「俺はたっくんみたいに私利私欲には使わないの」

「でも、使ったの!?」真理は驚きのあまり声が裏返ってしまっていた。

「まぁ、取材? 今度の作品医療系書こうと思って、知り合いの女の子と食事に」

「それで十六万も飛ぶか普通!?」

「医療系って言っても何も登場人物全員が医療関係者じゃないしね。資料関係買ったら残らんかった」宗一はそういいながらスマホをちらつかせた。つまりいづれまた大量に資料に使われる書籍関係が通販で届くらしい。

「でも、ほら信頼して余った二万円渡したじゃない」

「それは、俺ら三人で仲良く楽しもうってさ」指さすグラスにワインを注ぐ。

 真理はこの二人の悪行に開いた口がふさがらないといった感じだ。

「俺の場合、自分のためっていうよりゆくゆくは俺の作品を読んでくれる読者のためにもなるからな。……んで、真理ちゃんは? ちゃんともってるん?」

「貸した」

「は!? お前人にさんざん言っておきながら自分も使ってんのかよ!?」

「大丈夫だって。ちゃんと帰ってくるから」

「誰に貸したん?」

「知らない外国人。国に帰る飛行機代がないから帰れないって泣きつかれちゃってさ」

 宗一と琢磨は顔をあわせてため息をついた。

「お前それほんとに信じてんの?」

「かえってこうへんよ?」

「いやいやいやだってちゃんと名前と住所だってここに……」

 差し出したメモ帳を覗き込んだ宗一と琢磨は思わず吹き出してしまう。

「田中スーザン富美子」

「え!? もしかして有名人とか?」二人の反応があまりにも大げさなため、有名な芸人か何かと勘違いした真理が目を輝かせた。

「田中スーザン富美子ってマサルさんじゃねーか」

「セクシーコマンドー大会をおじいちゃんの三回忌で休んだやつやろ?」

 真理はジャンプを読まない。もうすぐ三十路に差し掛かるというのに彼氏も出来たことがない。それゆえセクシーコマンドーなる怪しさ全開な言葉に顔を赤くしていた。

「ちょっと、子供がいるんだからね」

「俺らだって読んでた頃は子供だったよなぁ?」

「大丈夫やって単なるギャグマンガやから」

 タイミングよく戻ってきた子供はやはりすぐに真理の背中に隠れた。

「やっぱり真理になついてんなこいつ」

「女性だからっちゅうのもあるんやろな」

 真理のジーンズをつかんで離さない子供に、再び真理が問いかける。

「ねぇ君、あの店で何しようとしてたの?」

「お金……落とした」

「どうせ百円かそこらだろ」

「50万……お店の外で」

 子供はポケットから何やら四つ折りにされた手紙を真理に差し出す。

「拝啓 正治叔父様。この度はこういった件で連絡を取るようなことになってしまい、本当に申し訳ありません。事情を察してこの子をしばらくあずかってください。後で必ず迎えに行きます。吾妻久子」

 真理は妙に落ち着いたトーンで一字一句間違えなく読み終えた。

「これ、誰に渡すつもりだったの?」

「おじさん……」

「おじさんてお店の?」宗一が猫なで声で聞いてみたが、それから先はもじもじするばかりでなにも答えない。

「琢磨、店長さんの連絡先は?」

「今からあいつんとこに連絡すんのかよ!?」

「別にええやろ。会いに行くわけちゃんうんやし」

「ったく……。ちょっと待ってろその正治おじさんのこと聞いてみるわ」


 翌朝、宗一が運転する軽乗用車に三人が乗っていた。

「ってか警察にあと頼めばそれでいいじゃん」

「真理、おまえよくもそんなかわいそうなこと言えたな! その子がかわいそうじゃないのか」

 事情はこうだ。

 昨晩琢磨が店の店長に電話をした際、住所を教えてもらえた。もうしばらく連絡を取っていない古い知人とのことで、明日警察に連絡先とその子を預けて事件は解決という方向だった。しかし、それに妙案が降ってきた琢磨の一言で三人の着地点が変わってしまった。

 『俺たちでそこまで送り届けたら、謝礼くらいあるんじゃないか?』

「まぁ、でもせっかく真理ちゃんに慣れてきたのにまた警察の知らん連中に預けるっちゅうのもな」

「さすが宗。お前はやっぱりいうことが違うねぇ。ほら、少年。琢磨おじさんがさっき買ってきたパンを一つ君にあげよう」

「これ借り物やからあんま汚さんといて。あとで返す時言い訳しんどいねん」

 車は海沿いの道を走っていた。久しく見ない海を子供はずっと眺めている。


 ― 京都某所 菊池邸 ―


 PM 13:49


 真理、琢磨、宗一はこともあろうか菊池正治が所有する邸宅の門を足蹴りしていた。幸いにも監視カメラに映ることのない死角だったため、事なきを得たが。

「何が面汚しや」宗一がふくれっ面で車にエンジンをつける。

「せっかくここまで連れてきてやったのになんだあの態度」一番イライラしていた琢磨はシートベルトを回してから、たばこに火をつける。

 真理の隣の窓際に座った子供は、来る時よりも口数が減っていた。

「……でも、ね。君はこの私たちなんかよりずいぶんましなほうなんだよ? ね?」

 宗一と琢磨はあいまいにうなずく。

「この人相の悪いラーメンおじさんなんてね、学校から帰ってきたら家がなくなってたの。その日のうちから公園で暮らし始めて、親戚の家にそのあと行くことになったんだけど仲が悪くて結局施設行き。麒麟の田村みたいな暮らししてたの。わかる? 麒麟」

「そんなこと言ったら、今運転してるチャラい作家のおじさんだってな。昔素行が悪いってんで、親から勘当されてそっから親にあってないんだよ」

「親の話でいうたら、お前の隣のそのおねぇちゃんはな事故で親なくしてんねん。お前はえぇなぁ。もう少し待てば会いに来てくれるんやろ?」

 もう少し待てば。この子供に今、居場所はない。ここから帰ったところでこの子供はどこで何をすればいいのだろう。

 底知れぬ恐怖で、子供はたちまち泣き出してしまった。

「おいおいおいおいおいおい……まぁた泣き出したぞ……」

「わかったから泣くなって。俺が悪かったって」

「宗君。車止めれる?」

 車は来た道を戻っていただけなので、すぐそこに大海原が見えていた。


 ― 京都 京丹後夕日ヶ浦 ―


PM 4:21


「来るときずっと海見てたから」

 波はそんな真理の声もかき消そうとしている。

「ここなら大声出しても誰も文句言わないから」真理はそう前置きして、

「ばかやろーーーーーー!!!!!!」

 声は、波を割り空に消えた。燃えるような赤が雲を焼いていた。

「お前もやってみろ。少しはすっきりするぞ」琢磨が隣に立つ子供に笑って促す。

「せやで。俺もな、昔はよう海に来てずっと眺めてたんや。悩みもなんかどうでもよくなってくんねん」

 横一列に並んで海を眺める四人の頭上を、数羽のカモメが行きかう。

「ほら、やってごらん」

 しゃがみこんで子供に促す真理に答えるように、子供は小さく、深く息をする。

「ばかやろー!」

「なんだ、やればできんじゃねーか」

「琢くん、店のうっぷんはええん?」

「あ、そういえばそうだったな。ばかやろー!!」

「って俺もそういやこの間苦労して完成させた小説、また落ちたんや……」

「宗、お前それもう何回目だよ?」

 はたから見たら、謎の集団が珍妙なことをしているようにしか見えない光景だろう。それでも、子供の心は少しづつではあるが黒い靄のようなものが透いていく。忘れることなどできようもない思い出も、忘れる気持ちと同じくらい透明になっていく。



 ― 東京某所 コンビニ ―


PM 9:45


 来る途中で夕食を済ませてきたものの、長時間の運転で小腹がすいた四人はコンビニによることにした。

 宗一が投稿している小説サイトの臨時収入を使う作戦だ。

 真理以外が全員肉まん。真理は餡マン。

「そんなに臨時収入につながるの? 小説サイトって」

「人によるんちゃう? 毎週決まった時間、決まった曜日に投稿してればたまに見に来てくれる人おんねん。俺の場合その人がほかより多い」

「その投稿サイトで一応生活できるほどの稼ぎがあって、まだ打診がこねぇのか?」

「来てるよ。ただ、それだけではちゃうねん」

 空から降ってくる白いものが、コンビニの看板の蛍光灯に染まる。

 四人はわざわざ雪が降っている中、コンビニの外で中華まんを食べている。寒いほうがより温かみを感じるという子供以外の謎の理論だった。

 これを食べ終えたらようやく警察にこの子を届けてお役御免。少なくとも宗一と琢磨の頭にはそんなことがよぎっていた。

 一口食べようと琢磨が大きく口を開いた瞬間だった。

「こんなとこじゃなくてあったかいとこで食べようよ。ほら、もうすぐ宗くんが見たいって言ってたテレビ始まるじゃん。名前何だっけ? エジソンが来た?」

「ダーウィンが来たや。あれ結構ネタ集めにええねん。でもまぁ、確かに寒いな。別に誘拐ってわけでもないし、いったん戻るか?」

「仕方ねぇな……。おごってもらってるしな」

 宗一はポケットから鍵を取り出して冷たくなってしまった車にエンジンを付ける。


 ― スリーハート リビング ―


 PM 11:00


 宗一が楽しみにしていた「ダーウィンが来た」は恐竜特集で最新のCGを駆使した映像になっており、普段教養目的の番組なんて見ることもない根っからのギャンブラーの琢磨でさえ見入っていた。いまだ名前すら知らない子供も本来ならば興味津々で見るところなのだろうけど、疲れ切っているのかソファで居眠りをしている。

「つーかよ。なんで死んだ動物で見たこともねーのに色なんてわかんだよ?」

「図鑑に載ってたりするのはほとんど創造らしいで。この配色のほうがにあうよなって」

「ゲームかよ」琢磨がほくそ笑む。

「私、そろそろお風呂入ろっかな」

「ん? 誰があのガキ警察に連れてくんだよ」琢磨がもうすでに浴室へ足を運ぼうとしている真理の背中に問いかける。

「ほら、もう遅いしさ」

「でもこういうことって早いとこやっとかんと俺らが悪者になってもうで? 誘拐の意識はないにしろ、はたから見たら異質な状況やろ」

 いつかこの二人には話さないと思っていたことが真理にはあった。

 改まった表情の真理は、すっと踵を返し、二人に向き直す。そして居住まいを正した。

「なんだよそんな改まって」

「金なら俺らないよ?」

「私、あの子引き取ろうと思う」

 宗一と琢磨は状況が理解できないといわんばかりにかぶりを振る。

「何考えてんだか知らねーけど、いつから俺らは見ず知らずのガキ引き取れるほど金に余裕ができた?」

「真理ちゃん、この短い間であいつに情がわいたのも多少は理解できる。けどな、状況少し冷静に考えてみ? 口で言うのと実際に面倒見るのは雲泥の差やぞ? 現にいまだ名前すらわからんのやから」

「でも、私たちあの子に借りがあるでしょ?」

「んなもん黙っときゃばれねぇって」

「そういう問題じゃないでしょ!?」

「琢くんのいうことは実際どうかとは思うけど、じゃああいつの面倒は誰が見んねん? 確かにほとんど部屋におること多いけど、暇なわけちゃうからな!?」

「作家になりたいって、でも家賃も払えなくて家追い出されてずぶ濡れの宗一を即日入居させたのは誰よ!? 琢磨もそうだよ? 自衛官やってたとき、同僚ともめて止めに入った上官殴って首になってどうしようもないって泣きついてきたから入居させたんじゃない!? その時だって二人とも無一文で、それでも昔の付き合いがあったからってだけで住まわせたのよ?」言い終わるころには、真理は涙目になっていた。怒りと悲しみと、こんなことまで言わないとならないくらいにこの二人とは通っていないという絶望とで涙があふれそうになっていた。

「そんな言われ方される筋合いないわ」

「俺も。そこまでガキがいいならガキと暮らせ」

 現実は崩れていく。

「ちょっと、二人とも……」

 宗一と琢磨は感情を抑えた表情で立ち上がり、音もなく寒空の夜へと消えていく。


 ― 東京都某所 警察署内 ―


 AM 8:30


 勤務先に休日の届を出したばかりの真理が、血相変えて警察署管内の相談窓口担当職員に食い気味に話をしている。

「これくらいの小さい男の子見かけませんでした? ランドセル背負ってて、話しかけてももじもじするだけであんまり話してくれないんですけど。あーもう! あの子どうして名前も教えてくれなかったのよ!!」

 取り乱しているのか、早口でまくし立てる真理の言葉は職員にも聞き取れず、メモを取る手も止まってしまっている。

「どうした? また家出か? 話じゃ家を買ったらしいじゃないか真理」

 見ると相談担当職員の後ろから40代くらいの落ち着いた雰囲気の警察官が立っていた。

「氷室さん」

「あんまり朝から騒がないでくれ。せっかく入ったばかりのかわいい新人が入れてくれたコーヒーがまずくなる」

「子供見かけませんでした?」

「なんだいつの間にか子供作ってたのか」

「いえ、ちょっと訳ありで今預かっているところなんです」

「……名前は伊藤明弘というらしい」

「えっ?」

「あいつの親父は某大手企業の元社長だ。決算報告書に虚偽の記載をした証券取引法に違反した立派な犯罪者だ。見つけ次第即逮捕になる。母親も現在行方不明だ。……あの子に今保護者は居ない。預かってるといったが、それはどういう了見だ?」

 身を乗り出さんばかりに凄んでくる氷室に、思わず身じろぎする真理だったが、

「親が見つかるまでの間、私の家に住まわせます」

「お前、本気で言ってるのか? 母親が帰ってくる保障だってないんだぞ?」

「何とかなります。少なくとも、明弘はそう信じてますから」

「そこまであの子に加担してもお前になんの得もないだろ? 子供を亡くしているお前が同情する気持ちもわからなくはないが、これ以上深入りする案件じゃない」

「確かにそうかもしれません。でも、あの子居場所がないんです。これ見てください」

 真理はポケットからくしゃくしゃに丸まったメモ帳のようなものを取り出した。

 いままでお世話をしてくれてありがとうございました。拙い文字でそう書かれている。

「私、別にあの子を世話したつもりなんてないんです。ただ、道でぶつかってしまって周りの目もあったし、とりあえずうちで治療して……。普通のことでしょ? それをあの子世話だなんて……。私、こんなだし育てるなんて立派なこと言えません。ただ、いっしょに待ってあげたいんです」

「お前、昔もそんなことあったな」

「はい。あの時は、首輪をつけた飼い猫でしたけどね」

「今度はあんときみたいに増水した川なんかに入るなよ? こっちは暇じゃないんだ」

 氷室が背後の部下に目配せをする。少しだけうなずいた部下は、どこからか明弘を連れてきた。

「明弘君……でいいんだよね?!」

「俺に確認するな。なぁ坊主?」氷室は口元をわずかに綻ばせ、明弘の背中を押した。

「どこ行ってたの!? 心配したんだから!」

「……僕がいると迷惑なんでしょ?」

 うつむき、今にも泣きそうになる明弘に視線を合わせて、真理はあふれんばかりの感情でつい目の前の泣き虫の頭をわしゃわしゃとかき乱す。

「迷惑なわけないでしょ? ラーメン屋さんで待ってないと、お母さん来た時困るじゃん!」

 泣きじゃくる明弘は返事をしようと言葉を出すが、涙に邪魔をされて声にもならない。

「ほら、おねぇちゃんと一緒に帰ろ?」

 真理は手を差し出すと、明弘は自分の倍近くある手をそっと握った。

「真理。今度はその手離すなよ?」

「もちろんです」

 警察署を後にする二人の目にはもう涙はない。これから始まる新たな日常に期待と不安があふれていた。


― スリーハート前 ―


PM 17:01


夕日をバックに大小の影がまっすぐスリーハートに向かって歩いてくる。大きな影は珍しく大きな荷物を片手にぶら下げている。きっと今日の広告にあった近くの業務スーパーの安売りで何食材でも買ってきたのだろう。

「今日はお姉ちゃん、夕飯頑張る。明弘、手伝ってくれる?」

「うん!」

 二人がこの短い間で築いた関係性は薄いかもしれない、ただそれに名前を付けることはできるだろう。

「おい! 聞いたか宗!? あいつがおねぇちゃんだとよ」聞き覚えのある笑い声は、近隣の家にも聞こえてしまうほど大きかった。

「女性に年齢はないんやで? 覚えとき? 明弘」

「二人とも……!?」

「あれだな……住めば都ってやつ? あ、ほれ。明弘パチンコの景品だけどな、菓子入ってるからよ」琢磨は右手に掲げた小さなビニール袋を、自分よりはるかに小さい子供に視線を合わせて渡す。

「ったく、待ちくたびれたわ。……こんなしょうもない家でも、家は家やからな」

 琢磨と宗一はどこか気まずそうに見えるものの、そこに暗さはない。

「お前、ラッキーだったなこんなお人よしにぶつかってよ」

「ほんまやぞ? そのうえこうして未来のヒットメーカーと住めるんやからな?」

「ったく! 帰るよ!」

 こうして三人と一人の冬だけの生活が始まる。

「ってかこの袋どうしたんだよ?」

「へっへっへ。奮発したのよぉ? 今日から一人増えるしね」

 ここは東京都某所。閑静な住宅街のはずれのはずれ。

 三人の男女が住むシェアハウス「スリーハート」

「……スリーハートってなぁに?」

「あぁ、あのぼろい看板のやつか」

「そういえば俺も知らんわ」

「あー、あれ? 息子に三秋ってつけようと思って」キッチンに立つ真理が振り向かずに話す。

「秋とハートってなんもかんけぇねぇだろ?」

「……トランプか」

「え? トランプ??」

「はいはい、その話はまた後にして! 今日はなんと! スリーハート風チャーハン!!」

「チャーハンて……。って赤飯じゃねーかよ」

「流石に令和よ? 真理ちゃん時代錯誤にもほどが」

「おいしい!」よほど腹がすいていたのか、明弘が一口口にして今までにない声を上げた。

「「マジか!?」」琢磨と宗一が肩を並べて叫ぶ。

「私を誰だと思ってんの? 日常に芸術を見出すアーティ……って誰も聞いてないし」

 もうすぐ30歳を迎える三人のとんでもない生活がこうして幕を上げた。

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人に優しく 明日葉叶 @o-cean

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