十四
足元に倒れる
「こいつ、柳州にいた……」
「高淵を、知って……いるんですか」
ぎこちなく問う。洛風は躊躇いながら頷いた。
「道長のこと追ってたやつだ。河に落としたけど生きてたんだな」
「私、を……」
ふと、思い出す。彼は義兄が道士だと言っていた。そして、十年も経つと疲れてしまうという言葉も。
義兄、妻子が殺された。十年前に。
それがぼんやりと繋がって、廃寺の血に濡れた黒い床に行き着いた。そうだ、彼の妹の夫は誰だったのだろう。子がいたのだから父親だっているはずだった。
「可哀想に。彼は自分の家族を殺した道士を追っていたんですよ。貴方のことだ」
夜静さん、と笑う。
「時折錯乱するから灼王殿に閉じ込めていたんです。なぜ間違えたのか分かりませんが――文清が死んだのは貴方のせいですね」
「黙れ!」
洛風の怒鳴り声を気にせず、景羽は続けた。
「いくら罪に問われなくても、自分のしたことは消えずに残るんです。でも夜静さん、貴方は全部無かったことにできますよね」
もう聞きたくなかった。夜静は文清の遺体を抱え、洛風を見上げる。
「洛風、紙を持っていませんか」
「……道長」
「持っていたでしょう。ください」
洛風は黙って首を振る。夜静は憤りに声を震わせた。
「早く! 墨、景羽さん、墨はありますよね」
「ええ、もちろん」
「夜静!」
洛風は乱暴に夜静の肩を掴んで揺すぶった。
「馬鹿なことするな! 自分で言っただろ、死人は蘇らないって!」
「君に何が分かるんですか!」
激昂して叫ぶ。
「なんで文清が死ぬんですか! あの人の仇は私です! 私のせいで、文清が」
喉が痛む。声が詰まって、身体中が可笑しいほど震えた。
屍仙符が必要だ。誰でも蘇らせる呪符が。
やり直しができないとあれほど言っておきながら、文清が何も言わず、動かず、目を開けてくれないこの状況が耐えられなかった。
殺されるべきだったのは夜静なのに。
洛風は憤りと苦渋の混じった目で夜静を見つめ、それから容赦なく頬を叩いた。痛みで一瞬頭が真っ白になり、洛風の怒鳴り声が耳の底を突く。
「目ぇ覚ませよ! 文清が死んだのは高淵が殺したからだ! 高淵が間違えたのは景羽のせいだろ、分からないのか!」
「――は?」
おや、と景羽は肩をすくめた。
「私のせいなのか。不思議なことを言う」
彼は手に持った筆を弄ぶ。洛風は夜静を庇うように前に立ち、景羽を睨んだ。
「だっておかしいだろ! 文清は屍仙符の条件を知らなかった。じゃあ誰が烏南の連中をここまで運ぼうとしたんだ?」
景羽は笑みを深めた。ようやく目を覚ました彼の従者は、非難するように景羽を睨む。
洛風は剣を構えて怒鳴った。
「お前は絶対に屍仙符の条件を知ってただろうが。それでも文清に協力してたのは、文清を死なせて道長に屍仙符を使わせるためだろ!」
その言葉に我に返った。
確かにずっと、不思議だった。文清の目的が李一族を蘇らせることなら、なぜわざわざ烏南から死体を運んだのか。今まで失念していたのは、それだけ自分が冷静ではなかったことの証左だろう。
「――あんな破落戸に見破られるなんて、お前も馬鹿になったんじゃねえか」
従者の言葉に景羽は笑ったまま言った。
「惜しかったな。洛風は死んだと思っていたから。彼女は失敗したのかな?」
「おい、ここでやめたら殺すぞ」
「やめないよ。別にいいんだ。完成した屍仙符が欲しかったけど、今のままでも使えなくはないし」
南慶の言葉で話す二人に、夜静は眉をひそめる。景羽は高梁の言葉に戻して言った。
「騙して申し訳ない。貴方は殺したくないけど、屍仙符を試すにはちょうどいいかもしれませんね」
景羽は柔和な笑みを浮かべたが、その目はひどく昏かった。彼は屈み、床に何か書いていく。
ふと、気づいた。失敗した大量の陣の跡、それに紛れるように、描きかけの、巨大な陣が。
「洛風――、」
陣の規模は分からない。だが、帷幕の向こうから不穏な気配がする。一体いくつ棺があっただろうと考え、夜静は青ざめた。
「……道長、なんだっけ、屍人? それって首切れば死ぬのか」
「一応……」
洛風は引き攣った笑みを浮かべた。
「まあ、やってみるよ。あいつら殺すのはその後だ」
石同士がぶつかる鈍い音が響き始めた。立て続けに鳴るそれは、石棺の蓋が床に落ちる音だ。李一族はやはり条件を満たしていなかったのか、一人も蘇らない。それに少しだけ安堵する。
景羽は立ち上がると、謳うように言った。
「夜静と洛風を殺してください。ああ、できれば慶佳宮は傷つけないで欲しいかな……」
帷幕の向こうから、腐りかけの腕が何本も突き出される。同時に、悍ましい咆哮がいくつも響いた。
***
途中から何人倒したのか分からなくなっていた。洛風は舌打ちして、滑り落ちそうになる剣を晒しで手に括り付ける。夜静は屍仙符の解呪を手当たり次第に試みたが、徐々に身体の方が限界に近づいていた。
景羽と従者は途中で姿を消していた。洛風は夜静と文清の死体を抱えて本殿から逃げ出す。後ろに殺到する屍人の群れに、さすがに冷や汗が滲んだ。
「人喰ったやつ、あんなにいるのかよ!」
「くっ……薬、として、人体、の一部、が使われる、ことも……」
「ああ分かった、分かったから黙ってろ、舌噛むぞ!」
それに、本殿の彼らは腐りかけの身体だ。完成度は人体を食べた量に比例するから、おそらく烏南の人間はもっと手強い。
そう思っていたら、右端の殿から火の手が上がった。赤赤と空を染める炎を見て唖然とする。
「養広殿だ、あそこ……」
洛風の言葉と同時に、殿の扉から玉燕が飛び出してきた。彼女は煤塗れの身体を引きずり、夜静を見て怒鳴った。
「クソ野郎! お前、二度とこんな呪符作るなよッ」
追いすがる屍人を蹴散らし、玉燕は近づいて夜静の頭を叩く。
「どうなってるんだ! 変な男が養広殿に来て死人を蘇らせたけど、あいつ碧華洞の道士じゃないだろ!」
「な、南慶の巫師です」
「南慶? というかその死体は誰だ」
「説明してる暇無いぞ」
養広殿から出てきた屍人たちは、生きている人間と大差ない見た目だった。彼らは迷いなく三人に向かって走ってくる。
「ああもう、しつこい! 灰にしてやるよ!」
玉燕は焚符を飛ばす。轟音と共に爆発するが、その向こうからなおも彼らは走ってきた。
彼女は懐から扇子を取り出して広げると、大きく振り上げる。風が巻き起こって、空高く炎の壁が出来上がった。
洛風は後方から押し寄せてくる屍人の首を一撃で刎ねる。闇雲に振り回される手足は乱暴に押しやり、蹴飛ばし、背後から襲ってくる者は鞘で殴り倒していた。
「型も何も無いな……」
呆れたような玉燕の呟きに彼は苛立ったように答えた。
「多過ぎるんだよ! 剣は大勢相手にする武器じゃねえ!」
洛風の膂力は驚嘆に値するが、それでもやはり劣勢だった。玉燕は前方の炎を維持するのに手が離せず、正殿からはまだ屍人が押し寄せてくる。
「――洛風、退いてください!」
夜静は左腕の晒しを引き千切り、血で呪句を殴り書きする。そのまま屍人の群れに突っ込んだ。
「道長!」
仰天したような声を無視し、夜静は印を結ぶ。抑えた声で囁いた。
「偏らず、己も無く、邪を斬って悪を除くべし」
途端に、屍人たちが錯乱したように暴れ出した。洛風に掴みかかっていた者も突然苦しみだし、蹲って血泡を吹く。
茫然としている洛風を引っ張って、玉燕とともに近くの建物に避難した。
「あ――ありがとう、ございます。文清、を……」
門扉を閉め、肩で息をしながらそう言う。混乱しながらも文清の死体を抱えて運んでくれた洛風は、我に返ったように目を瞬いた。
「別に……道長こそ無茶してないか? さっきのなんだよ」
「大したことではないです。一時的に鎮めるだけで……ただ彼らは、扉を開けたり階段を上るのが難しいので」
一旦建物内に避難すればしばらくは時間が稼げる。玉燕は扇子を揺らしながら眉をひそめた。
「でもどうする? 呪詛返しかなんか、できないのか? お前が作った呪符だろ」
「この規模をですか……」
さすがに無理だと言いそうになったが、ふと思いついた。
「いえ、景羽は慶佳宮に巨大な陣を張った……陣の核を見つけて壊せば、呪符の効果も消えます」
「良い考えだと言いたいところだが、陣の全体像を把握するのは難しいぞ」
「私も正直、南慶の巫術はよく分からない……でもここは寺院ですよね。中心地は絶対本尊を置く場所です」
南慶は仏教と土地の信仰が混じった独特の宗教が主流だ。だが、建造物が寺院に則っているのなら基本は仏教と同じはずだった。
「本殿には像無かっただろ」
洛風が言うと、玉燕は興奮したように扇子を打ち鳴らして言った。
「いや簡単だ! 南慶は正殿の奥にある塔の地下に像を置く。本尊の下には呪物があるって聞いたこともあるな」
「貴女の趣味が悪くて助かりました」
「おい、嬉しくないぞ」
玉燕の文句は聞き流し、夜静は洛風に向き直った。
「では洛風、とりあえず塔まで道を作ってほしいです」
「やれっていうならやるけど、できるかは分かんねえぞ。挟み撃ちになったら難しい」
「分かってます。玉燕、囮を頼めますか」
「そうなるよな……でも私を一人で残す気か? いくら何でも無茶な……」
「大丈夫です、塔の入り口まで着いたら洛風が戻ればいい。地下に行くのは私だけです」
「はあ? 道長一人で乗り込むのか?」
「術者の男がいるだろう。危険だぞ」
二人は揃って呆れたように言う。だが玉燕はすぐに渋々頷いた。
「まあ、三人しかいないからな。洛風は呪物には近づかない方がいいし」
「俺は――」
洛風は反論しかけたが、夜静に見つめられて黙り込んだ。
***
洛風は血脂で鈍った剣を腰に収め、向かってくる屍人を拾った木材で殴り倒していく。夜静は引っ張られながら、血に濡れた彼の無表情な顔をちらりと見た。
自分が冷静ではないと分かっていた。文清の死に自棄になっているのだと言われたらそうだと思う。地下に一人で行って無事に帰って来られるとは思えないが、そんなことはどうでも良かった。
正殿を過ぎ、三つ並んだ楼閣を通り抜ける。その奥、高く聳える塔が見えた。塔の元には、男が一人。――景羽の従者だ。
彼は二人に気づくと、棍棒を手に取る。彼の背後に扉はあった。
「洛風、彼の相手を頼めますか」
「そりゃいいけどさ、道長」
裾を引っ張られて振り返った。
「もういいだろ。逃げようよ」
「――え?」
冗談でもなく、洛風は本気でそう言っていた。
「あいつらがろくなこと考えてないのは分かるけどさ、道長に関係あるか? 文清も死んだんだ、もう関係無いだろ」
「――何を言ってるんですか。屍仙符は私が作って……」
「それは分かってるよ。でも屍仙符を盗んだのは文清だろ。道長が外に持ち出したわけじゃない。それに景羽たちが何やろうが、それは景羽が悪いだけで道長は悪くない」
もう十分だろうと言う。どこかで聞いたと思ったら、それは自分が文清に言った言葉だった。
「もう十分頑張ったから、逃げていいよ。もうこれ以上、道長が苦しむ必要なんて無い」
それだけ言って身を翻し、洛風は殴りかかってくる従者の棍棒を受け止めた。
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