十三
「……墓に戻さないと。他の人たちも……」
供養もしないと、と呟く。窶れた顔だが、どこか吹っ切れたように見えた。
それでもきっと昔のようには戻れないのだろう。文清との間には断絶があって、それはもうやり直しなんてできない。
ただ今なら、もっとちゃんと彼と向き合えるような気がした。
「なんだろうな、私も苦労したんだけど無駄だった?」
「私に剣を向けない方がいい。南慶人はたくさんいるんだ。君たち全員死ぬことになる」
「この距離なら助けが来る前に殺せるぞ」
「私が死んだところで状況は変わらない。……私もね、個人的に屍仙符を使いたいんだ。だから君たちを無事に帰す代わりに交換条件がある」
景羽は薄く笑う。戸惑ったように文清は言った。
「景羽……貴方は、使いたいなんて一言も……」
「私は無償で協力するほど善人じゃないよ。もちろん自分も使いたい」
あっさり言い放ち、彼は
「私の家族を生き返らせてくれませんか」
言葉を失った。洛風は呆れたように眉を寄せる。
「お前、話聞いてたのか? 蘇らないって言ってただろ」
「それは呪符が未完成だからだよ。夜静さん、貴方なら完璧なものを作れます。こんな試作品ではなく」
「それは――」
言葉が詰まる。
できるかもしれない、と思う。
時間さえあれば、あの呪符を完全なものにできる。花骨族用に作った屍仙符はああなってしまったが、この場にある死体を全て利用すればいずれは――。
その考えを追い払い、夜静は首を横に振った。
「……無理です。私にはそんなこと、できない」
「やってみなければ分かりませんよ。ねえ」
半笑いで彼は言った。貼りついたような笑みに違和感を覚える。
「本当は李一族だって蘇らせることはできるでしょう。簡単なはずですよ。夜静さんは人の命が軽いことをよく知っている」
そうでしょう、と景羽は明瞭に言う。
「人を簡単に死なせられるのなら、蘇らせることだって簡単なはずだ。何を躊躇うんですか?」
まじまじと景羽を見る。彼は完全に正気でそう言っていた。
気色ばんで踏み出しかけた洛風を押しとどめ、夜静は静かに言った。
「貴方の言う通りです。文清を苦しめたし、李益さんたちが死んでも何も思えなかった。でも死人を蘇らせるのはまた別の話です。あれは故人を恐ろしい武器に変えるだけの呪符です。貴方の望み通りにはなりません」
「違いますよ」
景羽はうっそりと笑った。
「見た目だけでも元通りなら、それでいいですよ。中身なんてどうでもいい。生きてくれているだけで十分です。でも、そうだね――やっぱり駄目か」
景羽はひどく悲しげな顔をした。
違和感が不意に形になった。夜静は躊躇いがちに問う。
「景羽さん、貴方は何が目的なんですか?」
「ですから」
「家族を蘇らせたいなら、どこに貴方の家族がいるんです?」
「棺の中に」
帷幕の向こう側を示す。だが夜静は首を横に振った。
「南慶は鳥葬でしょう。骨まで鳥に食べさせるから遺体は残らない。それでどうやって蘇らせるんです」
景羽は一瞬だけ表情を失くす。初めて彼の素顔が見えたような気がした。
「――よくご存じですね」
すぐに苦笑いが浮かぶ。景羽はかぶりを振って答えた。
「失敗した。ごめんなさい、嘘です」
「はあ?」
洛風から逃げるように、彼は少しずつ後ずさる。洛風はすぐに距離を詰めた。
「えーと、今のは忘れてください。単純に金儲けがしたかったんですよ。白吟之はもう死にそうだし、なら新しい金蔓が必要ですからね」
死人が蘇る呪符なら大儲けできるでしょ、と笑う。唖然としてしばらく誰も何も言えなかった。
「ほら、そういう顔する。異国で生きるのがどれだけ大変か分かりますか? 何より金が必要なんですよ。私は仲間全員を養う責任がある」
「なら南慶に帰れよ」
「帰れないからこっちに来てるんだよ。南慶の大巫師の後継者争いは貴方がたが思うよりずっと熾烈なんです。私は本来の大巫師候補の息子ですから、帰ったらすぐ殺される。仲間もそうです」
景羽の顔には苦渋と悲嘆が滲んでいる。茫然と彼を見て、夜静はようやくつっかえながら答えた。
「……だとしても屍仙符は駄目です。あれは始末しないといけない」
「このまま我々に行き倒れろと?」
「金儲けならもっと他に方法あるだろうが。お前千里眼なんだろ? 白吟之に取り入ったみたいにやればいいじゃないか」
「それもそうかもね」
洛風に追い詰められ、景羽は壁際まで後退する。切っ先を喉に当てられ、彼は怯えるでもなくただ笑った。
文清は狼狽えたように立ち竦んでいたが、洛風に向かって必死に言う。
「あの……彼は、良い人です。できれば、殺さずに……お願いします。金が要るのなら私がどうにかします。景羽には助けられた、から……」
洛風は呆れたようにため息をつき、景羽は意外そうに眉を上げた。
「おや、私の命乞いをしてくれるのか。ありがとう」
「おい騙されるなよ。文清、お前はこいつに利用されたんだよ」
「利用されたとしても、助けられたと感じたのは事実です……」
洛風は文句を言いたげに唇の端を震わせる。だが一瞬だけ、迷うように剣の切っ先を少し引いた。
それを見て、なぜか背筋が冷える。壁際まで後退した景羽と洛風は遠い。
景羽は情けない顔で言った。
「もちろん私も分かってますよ、無茶だって。でもね」
景羽は緩く握っていた手を開く。小さな鈴が床に落ちて、澄んだ音が高く響いた。
洛風はそれに気を取られ、ほんの少し視線が逸れた。
「家族を殺した者は許せないんです」
洛風が剣を握る手に力を籠める。
だがそれより早く、帷幕を乱暴に剥がして部屋に飛び込んできた景羽の従者が洛風に体当たりした。
彼は棍棒で洛風の頭を殴りつける。夜静は思わず声を上げた。
「洛風!」
「だっ――いじょうぶ、クソッ」
剣を握って跳ね起き、洛風は従者の男を殴り返す。その間に景羽はさらに遠くへ避難した。
「景羽! 貴方、は――」
「夜静さん、怖い顔しないでください。貴方を害する気は無いんです」
それはひどく真摯な声だったが、彼の言葉のどれが本当なのか夜静には分からなかった。
景羽はちらりと帷幕の向こうへと視線を移す。彼は「そろそろかな」と呟いて懐から呪符を取り出した。
「文清、逃げなさい!」
自失している文清の肩を押すと、彼は我に返ったように夜静を見た。
「なぜ――私も、」
「君を庇う余裕は無いんです!」
墨と筆は持っていない。指を噛み切って、夜静は低く囁いた。
「頼景羽は呪殺します。彼の目的は金儲けじゃない」
血が床に垂れる。文清は茫然とそれを見ていた。
景羽は持っている呪符をひらひらと振る。彼はまるで本気で心配するように夜静に言う。
「夜静さん、できないことはしない方がいいですよ。その身体で呪殺するのは無茶だ」
それにほら、と彼は帷幕の向こうを示した。
足音が聞こえる。まろぶように飛び込んできた男は、
彼は獣のように呻きながら、目からだらだらと流れる血を右腕で押さえている。
高淵は血に染まった赤い目でこちらを睨んだ。彼の目の焦点が合っていないことに気づき、ふと嫌な予感を覚える。
「お前か!」
憎悪の籠った声だった。彼はふらつきながらこちらに向かって走る。なぜか分からないが、彼は確実に殺意を持っていた。
咄嗟に洛風を見たが、彼は従者を押さえ込んでいる。一応杖を構えたが、まったく自信は無かった。
「
腕を引かれたが、夜静は振り払った。
「私は無理です、速く走れない。一人で逃げてください」
「なっ――い、嫌ですよ!」
「何が嫌なんですか! さっさと逃げなさい、面倒ですから!」
突き飛ばしても逃げようとしない文清に舌打ちする。
「
何度棺にぶつかっても、高淵は決して倒れなかった。彼はもがくように走る。その沓に刃が仕込まれているのが見えた。
血まみれの顔はひどく凄惨だった。宙を彷徨う目はとっくに正気を失っていて、振り上げた足は夜静ではなく――文清を狙っていた。
「――文清!」
咄嗟に文清の手を引こうとした。だが、届かない。
文清は驚いた表情で高淵を見上げていた。そばへ駆け寄ろうとしたが、足が縺れて床に倒れる。強かに顎をぶつけて視界が揺れた。
起き上がろうとしても、ぐらぐらと床が揺れるようで呆気なくまた倒れる。夜静はただ見ていることしかできなかった。
高淵の足先が文清の肩を薙ぐ。血が噴き出すのが見え、驚愕した表情のまま文清は倒れた。
「文清‼」
悲鳴じみた声を上げる。どうやっても立ち上がれず、手を伸ばしても届かない。視界が揺れるせいでよく見えない。
従者を殴り倒した洛風が、一歩遅れて高淵の背から心臓を一突きした。声も無く倒れた高淵は、それでも微かに満足そうに笑っている。
「道長、おい――」
棺を支えにして歩く。文清のそばに膝をつくと、彼はどこか驚いたような顔のまま夜静を見た。
「――
「黙りなさい! 布、洛風、何か血を止められる、もの……」
夜静は必死に手で肩の傷を押さえた。太い血管を傷つけてしまったのか出血がひどい。血は温かいのに、文清の身体は冷えていく。
床に血だまりが広がる。銅鑼を鳴らすような耳鳴りに周りの音が聞こえなくなる。
視界がぼやけて、まさかこんな時に失明するのかと思えば、自分がただ泣いているだけだった。
文清は不意に力が抜けたように眉を下げ、淡く笑った。
「
掠れた声だった。文清は辛そうに何度かゆっくり目を瞬く。夜静はかぶりを振った。
「喋らないで。――雪玉観の道士がいるんです。きっと、治してくれる」
「ごめんなさい……もういい、です。疲れたから……」
喉が震えて言葉が出なかった。夜静はただ何度も首を横に振った。
「……馬鹿だから、何も、できなくて」
でももういいと、文清は安堵したように呟いた。
「
ごめんなさいと、文清は謝るばかりだった。目から光が消えて、夜静は茫然とする。
「……文清? 文清、君は……何、を」
何度も何度も名を呼んで、それでも返事は無かった。
どうして息をしていないのだろうとぼんやり考える。どうして彼は謝るのだろう。どうして動かなくなったのだろう。どうして自分は泣いているのだろう。
自失したまま振り返る。洛風は血に濡れた剣を下げて俯く。
「……ごめん」
彼の足元に倒れている高淵を見る。彼はとっくに息絶えていた。
視界が揺れる。頭が痛む。腹の底から冷えるような恐怖で身体が動かなかった。
混乱したまま、大量の血を流す文清をずっと見つめていた。
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