十二

 文清の身体が震える。彼は顔を上げ、夜静に縋るようにその衣を引く。


「そ、んな。そんなわけ」

「本当です。食べた量に比例して完成度も変わる。いいですか、だから李益リーイーさんたちが蘇ることは絶対に無い」

 それは夜静も後で気づいた条件だった。一番最初に屍仙符を作った時、利用したのが花骨族の遺体だったから気づかなかったのだ。


 彼らは葬儀で故人の骨を食べる部族だ。そして、白吟之の私設兵の多くを占める部族でもある。だから白吟之の勢力拡大を警戒した皇帝から命じられ、疫病に見せかけて滅ぼした。その時に仕事を任せられた道士六人で屍仙符の大本は作られた。

 花骨族の遺体は碧華洞でも簡単に手に入れられた。彼らを蘇らせてみて、夜静は後悔した。

 彼らは自分が死んだという意識は希薄で一見普通に暮らせているように見える。しかし、一度術者が何かを命じればその通りに動いた。腕や足を断たれても痛がらず、首を刎ねるまで動き続ける。それは確かに死体の有効利用という目的には沿っていたが、やってはならないことだという恐怖も覚えた。


 あれは人間ではなく、木偶人形だ。操り手によっては恐ろしい武器になりうる。



 説明を聞いた文清の虚ろな目は棺を彷徨い、そして泣きそうに顔が歪む。

「でも――でも、困ります。困る……ならどうやって……私は……償えばいいんですか」

 ぐちゃぐちゃに髪を掻き回し、彼は呻いた。

「李益さんは、良い人でした。陛下から死を賜る覚悟で忠言したんです。なのにあれが最期では……どうして……娘の誕生日の宴で一族全員死ぬなんて」

 恐ろしげに呟き、ついで嘲るように笑う。

「でも宴の日を教えたのは私ですね……彼は私も招待しようと言ってくださった。貴方たちを殺すために近づいたのに……」

 ごめんなさいと床に額を叩きつける。何度も何度も。血が飛ぶのが見えて、夜静は慌てて叫ぶ。


「文清! やめなさい、やめてください、お願いだから」


 肩を抱いて押しとどめた。痩せた身体はひどく軽い。だらだらと温かい血が額から流れている。文清の暗い目は、なおも棺の方を彷徨っていた。

大哥にいさん、私を殺してください」

 文清は力の抜けた声でそう呟く。

「殺してください。お願いだから」

 殺せるでしょうと陰鬱に繰り返す。しばらく言葉を失い、夜静はひたすら首を横に振った。文清の顔が失望に歪む。


「なぜですか……これ以上は、もう無理です。どうして李益さんたちが死んだのに、私はまだ生きているのか……分からない」

 涙と血で濡れる頬を拭ってやり、夜静はゆっくり言い聞かせた。

「……文清、よく、聞いてください。私は昔、洞に一人だけ、友人がいました」

 文清には言ったことが無かった。どう思われるか不安だったからだ。


「その人は洞を抜けて……だから、私が殺しました。殺して、埋めた……彼の家族も、見られたので殺しました」

 自分に対する嫌悪で声が震えた。

「私は愚かで……そんなことをしても、君みたいに思えなかった。今も図々しく生きてる。なぜでしょうね」

 文清は茫洋とした目で夜静を見る。


「君よりひどいことをした私はのうのうと生きています。生きていけるんです。天罰なんて降ってこない。私だって……まだ、死にたくない、から」

 嗚咽のような言葉が漏れた。

「洞の外は広いんです。楽しいことも美しいものもきっとたくさんある。旅をするのは思ったよりも楽しくて……私はそういうものを諦められなかった」

 醜いと思う。潔く死ねばいいのに、まだ無様にしがみついている。

「君も、せっかく洞を抜けたならこんなところから出て好きなように生きればいいんです。どうせ寿命は短いんですから、そうすればいい。君は人を見殺しにしたというけど、君だって私に――洞に――国に、人生を潰されてる」


 もっと上手く言えればいいのに、思いつくのは自分勝手な言葉ばかりで嫌になった。それでも必死だった。


 文清は呆けたように口を開けた。

「――でも、李益さんたちは、私を許しません……」

 茫然と呟かれた言葉にかぶりを振る。

「死んだ人は何も言いません。死んだ後に残る恨みも祟りも、彼ら本人ではないんです。彼らは私たちが図々しく生きても、死んでも、何も言わない。だから殺しても構わないという話ではなく……ただ……結局、自分が生きるか死ぬかを決めるのは自分なんです。死人にそれは、決められない」

 文清の痩せた手を握る。

「許さないのは死人ではなく、君自身です。許せないならそれでいい。罪を引きずりながら生きることはできるんです。――とても無様ですが」


「……でもそれは、辛いです」

 項垂れた文清に向かって笑いかけた。

「何のために師兄がいるんですか。辛いなら頼ってください。私は何度も君の失敗の尻拭いをしたでしょう」

 ほとんど強がりだ。今も、文清の手を握ることで精一杯なのだから。

「……君がもし、愚かな師兄にもう一度機会をくれるのなら、そうします」


 文清はしばらく黙ったあとで問いかけた。

「もし、それでも無理だと言ったら、どうしますか」

 夜静は笑みを引いて彼を見つめた。

「その時は、望み通り殺します」



 沈黙が落ちた。文清の強張った目は夜静の肩あたりを彷徨っていたが、やがておずおずと視線を合わせる。


「……大哥にいさん

「はい」

「私は貴方みたいに強くないんです。だから、自信がありません……」

「君は洞を出てここまで来たのでしょう。なら十分ですよ」

「洞を出られたのは紫沁のおかげです。ここまで来られたのは景羽の助けがあったからです。私は何もしてない」

 相変わらず卑屈だ。癖で説教しそうになって言葉を飲み込む。何を言おうか迷っていると、それまで傍観していた洛風が口を挟んだ。


「ごたごた言うなよ。簡単な話だろ。お前死にたいのか?」

 文清は驚いたように瞠目し、洛風を見た。

「……いえ……でもきっと、許されないから……」

「だから、道長が言っただろうが。死人はお前の生き死にに文句言えないんだよ。死にたくないなら死ななくていい。それだけだ」

 文清は直截な言葉に絶句する。景羽が苦笑いで呟いた。

「なら人は殺し放題?」

「そんなこと言ってない。外で人を殺したら普通は捕まるんだ。でもこいつのやったことは誰も裁いてくれない。それが分かってるから苦しいんだろ」

 俺は捕まる前に逃げるけど、とあっさり言う。


「あの人は……本当に大哥にいさんの友達?」

 文清は狼狽えながら夜静に訊いた。夜静は額を押さえて答える。

「……君もあれくらい図太ければいいんですけど」

 でも彼の言う通りだと思う。

「文清、せっかく洞を抜けられたんです。どうせすぐ死ぬなら少しくらい自由に生きてみればいい。君が嫌じゃなければ、柳州に行きませんか。酒が美味しいらしいです」


 文清はゆっくり目を瞬いた。痛々しいほど歪んだ表情から力が抜ける。夜静の言葉を吟味するようにして、やがて口を開いた。

「……大哥にいさんは酒癖が悪いから、他のところがいいです」

 言って彼は控えめに笑う。

 その笑い方はどこか懐かしくて、なぜか泣きそうになった。


「どうせ俺が金出すんだな……」

 洛風の諦めたような言葉に、涙の代わりに笑みを零した。

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