九
一夜明け、まだ怠い身体を引きずって玉燕と合流し慶佳宮へと向かった。
慶佳宮の大門に向かう商隊を見繕い、
慣れた手際に
「道士やめても盗賊になれるな」
「誰が盗賊だ」
荷には、粘土や
「当たりだな」
玉燕は死体を引きずりだし、二つだけ空にする。後で供養しようと、死体は土をかけて目立たない場所へと置いた。
「今から私と
「助けに行かなくていいのか」
「逃げたい時に全員中に入ったらまずいだろ。不安だろうけど私も夜静も別に弱くないから大丈夫」
玉燕は拘りなくそう言って、棺に入るよう夜静に促した。
彼女の手には細長い銀の針がある。首筋に刺す直前、玉燕は確認するように言った。
「夜静、腹は括ったか」
「ええ」
冷たい金属が触れる。ちくりと微かな痛みが走った。
「入ってすぐにできるかは分からないが、絶対に針は抜くから」
この術は針を抜かずに半日経つと本物の死体になってしまう。本来ならよほど信頼している者同士でないとできない術だが、夜静は薄く笑った。
「大丈夫です。貴女のことは信じていますから」
「そりゃ光栄だよ。ならいいな」
一瞬複雑な表情になったが、玉燕はその返事に頷いた。
針を打ち込み、脈を確認する。徐々に弱まっていくのが分かり、玉燕は自分も空いた棺に滑り込んだ。
「商人たちはもうすぐ目を覚ます。襲われたことは忘れてるだろうから、さっさと隠れてくれ」
残された洛風は、玉燕の入った棺の蓋を閉じながら最後に訊いた。
「お前はどうやって死ぬんだよ?」
「心配するな。私は好きなように死ねるんだ」
冗談だと思ったのか、洛風は肩をすくめて蓋を完全に閉じた。
***
慶佳宮の大門を二つ通り抜け、商隊は沖楼に辿り着いた。そこでは大量の荷が降ろされている。忙しく立ち働いているのは浅黒い肌の南慶系の僧侶だ。
修繕用のものと壺や棺は運んでいく場所が違うが、商人たちは中身を知らなかった。知りたいと思わなくもないが、訊いてしまったら法外な賃金を貰えなくなると分かっていたから口を噤んでいた。
呪符で封じられた棺を運んでいた雑用の男は、ふと首を傾げる。呪符の端が少し
「ああ、そこの人。その棺、こちらに持って来てください」
声を掛けられてそちらを見ると、黒い紗布で顔を覆った男が見えた。覗いた灰色の目が笑むように細まる。
言われるままに男の元に棺を置く。雑用の男は少し不安になって訊いた。
「この呪符、一度剥がれたみたいなんですが……」
「大丈夫ですよ。貴方は気にしなくていい」
噛んで含めるようにそう言われ、雑用の男は緩慢に頷いて立ち去っていく。
「……まったく。もう少し後だと思ったのにな。時間稼ぎもしたのに」
独りごとを呟き、彼は近くの僧侶を呼んで足元の棺を軽く蹴った。
「この棺、灼王殿に運んでください。丁重にね」
「灼王殿? そこは使わないんじゃ……」
「特別です。とりあえず扉に鍵を掛けるのは忘れないように」
従順に棺を運んでいくのを見送り、彼はため息をついた。その背後、いつの間にか目つきの鋭い男が立っている。
「ツ……
無愛想な声に振り返り、景羽は僅かに首を傾けた。
「お前には教えない。説明しても理解させるのが面倒だ」
「ぶん殴るぞ」
「お前の父親が生きてたら不敬罪で鞭打ちだよ」
「墓の下で鞭振り回そうが怖くない」
鼻で笑うが、少し寂しそうな顔をする。男は訊いた。
「ただの死体じゃないのか」
「いや、生きてたよ」
「じゃあ俺が殺せばいいだろ」
「……幼馴染が年々暴力的になって嫌になる」
「クソ陰険野郎に言われたくない」
呆れたようにかぶりを振って、景羽は呟くように言った。
「殺したら駄目だよ。あれは夜静さんだ。誰か知らないけど、協力してる道士がいたみたいだね」
静かに目を見張り、男は首をひねった。
「お前の眼、曇ったんじゃねえの」
「うるさいな。とにかくしばらくは灼王殿から出したくない。見張っておいて。あ、それから針も抜いてあげて」
投げやりに言って景羽は灼王殿とは反対方向へ歩き出す。その背に向かって、男は訊いた。
「どこ行くんだよ」
「本殿。私が離れてると一人で泣くんだ。面倒見ないと」
「餓鬼のお守か」
嘲笑うような言葉に肩をすくめ、景羽は足を進めた。
***
目覚めると、自分が蝋燭に囲まれているのが見えた。そして傍らには血に濡れた男が佇んでいる。
身体が強張って上手く動けない。玉燕の姿は無いが、首筋に刺された針は抜かれている。
「……貴方、は」
言いかけて、途端に咳き込む。血まみれの男は夜静に顔を向けた。
「起きたのか」
静かな声音だった。黒い目は夜静とは微妙にずれた場所を見つめている。訝しく思ったが、呪いで視覚を封じられているのだと分かった。
「余計なことかもしれないが、針を抜いた。貴方は慶佳宮に閉じ込められたのか、それとも忍び込んだのか?」
棺から身を起こし、男を見つめる。赤い火に照らされた彼には、左腕が無かった。
「……よく見えないが、貴方は道士では?」
「ええ。ここには忍び込みました。貴方は――」
警戒の滲んだ夜静の声に男は俯いた。
「俺は……白吟之の私兵だ。だがこんな身体になってしまった。今はここに閉じ込められて、よく分からないが生かされている」
自嘲するように言って、彼は手袋を嵌めた右手を掲げる。口を使って手袋を外すと、全ての指を失った手が現れた。
「信用できないかもしれないが、ここから抜け出すのを手伝ってくれないか」
淡々と告げられ、夜静は眉をひそめた。
改めて自分のいる場所を眺める。窓も無く、二人を取り囲むように蝋燭が置かれている。扉には鍵が掛かっていると男が説明した。
どうやら玉燕とは離れてしまったようだ。まだ殺されていない以上露見したわけではないと思いたいが、外に出ないと彼女と合流できない。
ついで、部屋の隅に置かれた器が目に入った。粥のようだが、手をつけられていない。
「あの粥は運ばれてくるんですか」
「一日に一度は。でも食べない方が良い。中の肉は人肉だから」
まさか、と血の気が引いた。茫洋と宙を見つめる男は薄っすら笑う。
「俺は歩くこともできないが、二人いれば粥が運ばれてきた時に抜け出せると思う。どうだろう」
信用できないが、ここから抜け出さなくてはいけないことは確かだった。
「……分かりました。私は道士の夜静です」
「俺は
深々と頭を下げる。だらりと垂れさがる左袖が痛ましかった。
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