八
「聞いたこと、ありませんか。今の陛下は道士を使って政敵を殺し、皇帝になったと。あれは事実です。碧華洞という洞府に道士がいて、そこで陛下に害をなす人間を殺します。最初は洞主一人でしたが、徐々に道士が集まって〈赤釵〉と呼ばれる集団になりました」
一瞬、思い出すように目を閉じる。
「……私も紫沁もそこで暮らしていました。呪殺を続けると代償が跳ね返ってくる。洞の中は陣があって安全ですが、外に出ると代償で身体がボロボロになるんです。だから長くそこにいた道士は洞から出られなくなって、洞で死ぬ。脱走すれば殺されます。そういう、場所でした」
険しい岩肌、広い洞府、長く一緒に暮らした道士たち。彼らを悪人と言う気は無い。誰もが少なからず、世の為だという気持ちは持っていた。楽しかったことも、あったような気がする。
「私には一人、
息が詰まる。
「
大仕事だった。十六人を一度に殺さなければならなくて、彼らが集まる時を調べなければならなかった。
だから
「私は他の仕事で忙しかったので、呪殺は別の師兄が行いました。無事に終わったのを聞いて、私は安心しました。いずれ呪殺も任せられるかもしれないと――思って」
今思うと、仕事の途中から文清は何か夜静に話したいことがありそうだった。でも忙しいからと無視した。
「でもある日――彼は私に、訊きました。どうすればいいのか分からないから助けてくれと。あの人たちは悪人じゃなかった――と」
文清はひどく憔悴していて、でも彼が訪れるまでそのことに全く気づかなかった。
「確かに彼らは悪いことをしたわけではありません。陛下に正しく意見しただけです。でも正しいことが全て肯定されるわけではない」
それは白吟之の不正を摘発するものだった。だが、皇帝の一番の後見人は白吟之だ。彼を切り捨てることはできないが、勘違いだと退けるには証拠が揃い過ぎていた。
「……それで、その師弟は自殺して、私も分からなくなったんです。何のために人殺しを続けるのかと言われて、分からなかった。だから――抜けようとしました。
身勝手な理由だった。
「でも抜け出そうとした晩に、屍仙符――死者を蘇らせる呪符です。あれが盗まれていることに気づいて、焦りました。あれは……死者を蘇らせて、兵士として使うためのものなんです。そうすれば無限に兵力が得られる。でも何人か蘇らせてみて後悔しました。――恐ろしくて」
完全に蘇ることができれば、生前の人格も持ったままだ。ただ術者の言うことには逆らえない。それは人間ではなくて、ただ言いなりになる人形だった。
「だから、盗んだ可能性のある仲間を二十七人殺して洞から逃げました。そのはず……なのに、王子言はあの呪符を持っていた」
ようやく真っ直ぐ洛風の顔を見た。彼は夜静を蔑みもせず、慰めもしなかった。
「あの呪符は、使わせたくないんです。始末しないといけない。洛風、――協力してくれませんか」
最後は声が震えた。俯きそうになったが、洛風の低い笑い声に顔を上げる。
「今さら断るわけないだろ。どこへでもついて行くよ」
あっさりとした答えに拍子抜けする。それだけですか、と間の抜けた声で呟いた。
「君……聞いてましたか? 私は……何も悪いことをしてない人たちも、殺して……」
「皇帝に利用されてたんだろ? 馬鹿だなとは思ったけど、だからって道長を嫌いになったりしない」
「利用――は――」
されて、いたのだろう。そういう組織だ。皇帝の為にある。
「人殺しだって罵られるべきなのは皇帝じゃないのか」
「不敬すぎますよ……」
「口が滑った。まあ、だから、道長は馬鹿だったけどそれが分かって抜けたんだろ? ならいいじゃないか」
「……でも、死んだ人たちはどうなるんです」
「死んだやつは何も言わねえよ」
洛風の表情が一瞬消える。
「道長は殺したことを全部後悔してるのか?」
「――分から……いえ……」
夜静は首を横に振った。
「後悔、していないことの方が多いです。今になっても洞で教わったことは抜けないし、私は自分で選んであそこに入った」
ここで後悔できるようなら、もっと早く洞を抜けていただろう。
「見ず知らずの人が死ぬのも殺すのも、怖くはない。私が何より恐ろしかったのは、よく見知った師弟の死です。……身勝手ですね」
「そういうもんだろ」
短く答え、洛風は突然夜静の頭を撫でる。ぐしゃぐしゃに髪を掻き乱されて狼狽え、洛風の腕を杖で打った。
「なっ――んですか! 何度も言ったけど私は君より年上です!」
「いや……道長の方が背低いし」
「君がでかいだけでしょうが」
笑いながら洛風は手を離す。彼がいつも通りだとようやく飲み込んだ。
普通の人ならきっと、夜静を忌避する。そうしない洛風は異常なのだろうし、それはよく分かっていた。でも何か救われたような気がして、情けないほど安堵した。
まだ問題は何も解決していないが、洛風がいれば何とかなるだろうという気がする。彼につられて小さく笑い、何気なく話を変えた。
「そういえば気になっていたんですけど、廃寺の話、最後はどうなるんですか?」
不意を突かれたように洛風は目を見張った。その反応に戸惑う。
「あの……洛風?」
何かまずいのだろうかと思ったが、洛風は表情を緩めてかぶりを振った。
「違う、驚いただけ。聞きたいのか?」
なぜか居心地の悪そうな顔だった。何となく訊いただけだったが、それで逆に興味が湧いた。
「まさかあのまま終わるんですか?」
「いや……」
少しの沈黙のあと、彼は首を傾げながら語る。
「夜になって突然、寺院の裏手から物音がした。母親が帰ったのかと思って子どもが行くと、そこには仙人がいた。その仙人は子どもから事情を聞くと、すぐさま鬼を捕まえて母親を子どもに返してやった」
洛風は早口で続きを言う。
「鬼は仙人に退治された。その人は地上を流浪している
謫仙とは罪を犯して仙界を追放された仙人のことだ。よくある勧善懲悪の昔話で、夜静は不満げに眉を寄せる。
「なんか都合が良いですね」
「昔話はそういうもんだろ。最後は幸せに終わらないと意味が無い」
「意味?」
洛風は微かに笑って頷いた。
「悲惨な話ならそこらへんに腐るほどあるだろ。なら物語くらい幸せな結末の方が良い」
「なら本当はどういう結末なんですか?」
「え?」
洛風は戸惑ったように目を揺らし、苦笑いを浮かべた。
「言っただろ、ただの物語だって」
本当も嘘も無いよと言う。夜静はしばらく黙った末に呟いた。
「その子、幸せになれたんでしょうか」
「そりゃ幸せだろ。変なこと気にするな」
洛風は今度は屈託なく笑った。
「とりあえず早く宿に戻ろう。――あ、そうだ」
彼は思い出したように言う。
「そういうわけだから、借金返そうとかもう考えなくていいよ。元から俺の金じゃないし」
罪悪感の欠片も無くそう言う洛風に呆れたが、使ったのはほとんど夜静だ。そう考えたのを察したように彼は続ける。
「悪党から奪った金だし、むしろどんどん使った方が良いだろ」
「君は少し反省した方が良いんじゃないですか……でもそれだと、私は全部終わったあと暇になりますね」
「うん?」
怪訝な顔をした洛風を見上げた。
「君と旅をするのも楽しいのかもしれないと……そう思っただけです」
洛風は呆気に取られ、次いで吹き出した。
「ふっ……はは、うん、楽しいだろうな。どこ行きたいんだ?」
「名酒がある場所ならどこでも」
「……よし、薬酒が有名な場所に行くか」
どこだろうなと勝手な計画を立てている洛風の声を聞く。本当に行くことができればいいが、左腕は動かすたびに痺れて、動かなくなるのももうすぐだろうと思う。いずれ右半身も動かなくなっていくはずだ。
でも考えることはできる。想像すると確かにとても楽しそうで、夜静は小さく笑った。
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