「具体的にどうやって忍び込むんです?」


 それに対し、玉燕ユーイェンはまたにこやかな笑みを浮かべた。

「荷に紛れ込む。この前慶佳宮のところに五日張りついて分かったんだが、材木とかの大型の荷に紛れて棺とか壺っぽいのが運び込まれてるんだよな。おそらく中身は死体だ。だったら死体のふりで入り込めるだろ?」

 五日もどうやって張りついたのか気になったが、雪玉観の道士だからで済まされそうだと思い聞き流した。


「そんなの無理だろ。脈でも取られたら終わりだ」

 洛風ルオフォンの言葉に彼女は笑みを深めた。

「うん。でもお前は一人なら勝手に忍び込めるんじゃないか?」

「まあな。だけど道長を連れてくのは無理だ」

「ああ。だから夜静イェジン。首に針を打って一時的に脈を止める。尸解の術だ」


 夜静は眉をひそめて反論した。

「でもそれは針を抜く人間がいないと成立しません。貴女も仮死状態になったら針を抜く人がいませんよ」

「大丈夫、私は別の方法で死体のふりができるから。寺院の中に入れたらまず私が蘇生して、その後で夜静の針を抜く。洛風はこっちから合図が来たら忍び込んでくれ。小燕シャオイェンを寄越すから」

「簡単に言うな。たった三人で、あの中がどうなってるかも分からないのに」

「嫌ならいいけど、これは夜静の目的にも関係あるんじゃないか? 洛佑らくゆう周りの墓から死体が盗まれた事件があったって聞いたことは?」

「ありますが……」

「夜静は反魂の呪符を追ってるんだろ。なら呪符を試すために死体を集めるはずだ。墓から死体を盗んだやつと烏南から村人を消した犯人は同じかもしれない。いずれにしろ、墓から盗まれた死体がどこへ行ったのかも調べないと」

 かもしれない、と言いながら玉燕は確信に満ちた口調だった。


「まあ……死体を盗む人間がそうたくさんいるわけないですしね」

「そうだろ? あと、雪玉観には誰の死体が盗まれたのか書かれた文書が保管されてるんだ。死体を盗む化物の仕業だって言われて道士が調査に行ったからな。ちょっとそれを拝借して写したんだが、気にならないか?」

 玉燕は懐から出した巻物を押しつけてくる。見ろと無言で促され、夜静は紐を解いて目を通した。

 死体の身分はばらばらだが、比較的若い男が多かった。そんな中で唯一、一族まるごと盗まれた墓があった。



 家長は李益リーイー、そして李一族の没年月日はほとんど同じだ。ある日突然幼い子どもまでも死に、一族は絶えた。



 全身から血の気が引く。玉燕を見ると、彼女は表情の無い顔で言う。

「なにか気になるか?」

「――貴女は」


 言葉が出てこない。彼女は一体何を知っているのだろう。

 洛風が怪訝な顔でこちらを見るのが分かる。取り繕う余裕も無く、手の中から巻物が滑り落ちた。


 玉燕は僅かに笑うと、夜静の胸ぐらを掴んで耳元で囁いた。


「お前んとこの洞主とは顔見知りだ。――相変わらずだな、碧華洞は」


 息を飲む。喉は痙攣するように震えるばかりで何も言えなかった。彼女の目は、穿つように夜静を見つめる。



「何やってんだ」

 一瞬遅れて、洛風が突き飛ばすように玉燕を引き剥がした。彼はそのまま剣を抜いて玉燕の喉元に切っ先を当てる。

「道長、殺した方がいいか?」

 平坦な声が耳朶を打つ。夜静はしばらく茫然として答えられなかった。ただまじまじと玉燕を見る。

 彼女は剣を突き付けられながら笑っていた。


 少し経って、ようやく夜静はゆっくり首を横に振った。

「……いえ、大丈夫……」

「大丈夫だそうだぞ。おい剣をどかせ」

「いいのか?」

 洛風は納得いかないように首を傾げる。玉燕は切っ先を指で逸らした。

「物騒だな。私は手掛かりをやっただけなのに。夜静、そうだろ?」

「……」

 どういうことか訊きたかったが、洛風がいることを思い出して訊けなくなる。彼女は巻物を拾い上げた。


「協力するならまたこの廟に来い。というか、私は王子言の死体を追ってきただけでほぼ無関係だ。協力してやるから来いって言う方が正しいかな」

「……なぜ協力するんです?」

「なぜって――死体を集めてるなんてどう考えても良いことではないだろ。夜静の追ってる呪符に関係ありそうだし……そんな呪符を使われると困る知り合いがいるんだよ」

 最後だけ玉燕は気まずそうな顔をした。

「なんだよその知り合いって」

「たくさん迷惑を掛けた相手だから、一度くらい助けないといけないかなって」

「は?」

「私のことはいい。夜静、お前もう、誰が自分の呪符を盗んだか分かったんじゃないか?」

「……」


 項垂れて自分の動かない左足を睨む。洛風は何も言わなかったが、「自分の呪符」という言葉に眉をひそめた。

「貴女は……どこまで知っているんですか」

 掠れた声で問う。彼女は軽く笑って答えた。

「言っただろ、と顔見知りだって。あいつが知っていることなら知ってる」

 その声には意外にも親しみが籠っていた。洞主とどういう関係だろうと考えたが、遮るように玉燕は続けた。

「お前たち、もう帰れ。この話はじっくり考えて決めればいい」


 洛風はわけが分からないという風に二人を見比べ、それから諦めたようにため息をついた。彼はまだ座り込んでいる夜静に手を差し伸べる。

「道長、立てるか?」

「……大丈夫です」

 差し伸べられた手を無視して立ち上がると、いつも通りに笑う洛風の顔が見えた。



 ***



「道長、なんか食う? ちゃんと粥以外で買って来てやるから」

 返事をせずに寝台に倒れ込んだ。何も考えたくないのに玉燕の言葉は頭の中で繰り返され、そして気づきたくないことに気づきそうになる。

「具合悪いのか?」

 うつ伏せで身体を投げ出していた夜静は、顔だけ横に向ける。洛風は寝台のそばにしゃがみ込んでこちらを覗き込んでいた。

「……君は……」


 息が苦しかった。向き合いたくない事実から目を背けたかった。やるべきことは分かっているのに動けなくなることは、初めてだと思う。


「……どうすればいいのか、分かりません。君は、どうすればいいと思いますか」


 滑稽な言葉なのに、洛風は笑わなかった。


「よく分からねえけど、嫌なことならやるなよ。ひどい顔だぞ」

「ひどいって?」

「死にそうだ」

「私はいつも死にかけてますよ」

「そうじゃない」

 洛風は躊躇いながら首を横に振る。意味が分からないと呟き、夜静は疲れたように目を閉じた。


「……行かないといけないんです。あの人の言う通り、慶佳宮のことは私に関係があるはずなんです。だから、行かないと」

 言い聞かせるように繰り返す。洛風は眉を寄せて言った。

「俺は反対。あの女が信用できるか分かんないし」

「でも彼女は大事な情報を持っているんです」

「嘘かもしれない。あいつが道長のこと騙してないってなんで分かるんだ? ひょっとしたら道長が追ってる相手ってあいつかもしれないんだぞ」


 夜静は再び目を開けた。洛風と目が合う。

「……君だって私のことを騙しているかもしれないのに」

 彼は肩をすくめて頷いた。

「そうだったな。余計なこと言って悪かった」

 嫌なことを言ったと思う。洛風が自嘲するように小さく笑ったのを見て、後悔した。


「いえ……ごめんなさい。嫌なことばかり、考えてしまって」

 もう何も考えたくないと思ってしまった。ひどく無責任だが、このまま慶佳宮のことも無視してしまいたかった。でも逃げ場がない。

 いっそ、死んでしまえば楽だと思う。痛みも消え、何も考えずに終われる。見たくないことは見ないままで、ずっと目を閉じていられる。


「道長が落ち込んでるの珍しいな」

 洛風の言葉に少し驚いた。自分は落ち込んでいるのだろうか。

「頭がごちゃごちゃして疲れた時は、寝るか、違うことを考えればいい――って爺さんが言ってた」

「違うこと? たとえば何ですか」

 洛風は困ったように首をひねる。

「うーん……明日の飯とか」

「どうせ粥じゃないですか」

「じゃあ趣味とか? 道長って何が好きなんだ?」

「……酒」

「それだけ?」

 黙った夜静を見て彼は呆れたように笑った。


「道長ってやらなきゃいけないもののことしか考えてないんだな」

「じゃあ君が何か話してください」

「俺?」

 洛風は驚いたように目を見張り、頭を掻いた。

「俺だって話すようなこと無いぞ」

「大丈夫です。つまらなかったら寝るので」

「そう言われるとちょっとむかつくな」


 少しの沈黙のあと、洛風は再び口を開いた。

「……じゃあ俺の知ってる鬼の昔話。道長、そういうの好きだろ?」

 何か誤解があるような気がしたが、気を紛らわせることができるならなんでもいいと思い、夜静は小さく頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る