第四章 赤釵
一
半信半疑だったものの、
彼女は河のそばで冷やされた瓜を齧って二人を待っていた。相変わらず少年のようで、長い髪は無造作に一つに結っている。だが、ぼんやりと水の流れを見つめる横顔は、一瞬ひどく老成して見えた。
二人に気づいた玉燕は、瓜の皮まで齧りながら屈託なく笑いかけてきた。
「一月ぶりくらいか? お前また痩せたな。治してやろうか」
玉燕の言葉に顔が引き攣る。
「気持ちだけで結構です。でも、なんで貴女がここに……」
「私が
「王子言を追っていたのでは?」
玉燕は珍しく顔を曇らせ、かぶりを振った。
「あの後岳州でまあ色々あって、面倒だったから部下に任せて先に柳州に行ったんだよ。それでその似非道士を探そうと思ったんだけどさ、それっぽい男は二月前に死んでたんだよな」
「死んだ?」
その言葉に夜静は驚き、
二月前なら、おそらく王子言が夜静たちと別れた後にすぐ死んだことになる。ふと疑わしいことに気づいて横目で洛風を睨んだが、彼はあらぬ方を見ていた。
「で、せめて墓くらい見ようかと思ったら、死体は誰かに引き取られたんだと。明らかに他殺だったのに金を掴ませて強引に引き取ったらしい。妙だと思って引き取ったやつの足取りを調べたら、
話の雲行きが怪しくなる。玉燕は切れ長の目を伏せ、考えるように顎を撫でた。
「それに加えて、岳州に寄越したやつから村が無いっていう馬鹿げた報告が来た。烏南のあたりから村人が綺麗に消えてるんだよ。役所っていうのは大体仕事が遅いから、まあ半月以内に村人がどっかに消えたことになる。あのあたりは住んでる人間もそもそも少ないから手掛かりも無くて、結局有耶無耶になって終わった。罪に問われるのが嫌だったからとか、税が重かったからとか、まあ理由ならいくらでもあるし」
「ですが、そんな大人数が消えたのに誰にも見られないなんて……」
「ああ、妙だ。でもさ、村から出た日の朝、なんでか人気が無かっただろ? あの時ひょっとしたら、もうどっかで死んでたんじゃないかと思って」
洛風は半笑いで首を傾げた。
「おかしいだろ。夜中に井戸まで来たやつらも朝には死んでたっていうのか? そんな短時間で俺たちに気づかれず大人数殺すなんて――」
「できますよ」
夜静は強張った顔でそう言った。
「呪殺すればいいんです。名前と生年月日、あるいは身体の一部があればできる。無くても方法はあります」
「でも死体はどうなるんだよ」
「もちろん、運んだんだろうな。生きた人間を目撃したやつはいなかったが、あの時期、大量の荷を持った商人が岳州からこのあたりまで来てる」
玉燕は嫌な笑みを浮かべた。
「生きた人間は難しいが、死人なら荷として運べる。それに秋市――深州のやつな、あれの準備は三月くらい前から始めるから、ちょうど今頃だ。だから商人のふりをすれば紛れられるだろ。この時期、洛佑あたりの街道は商隊と旅団でいっぱいだ」
「ですが、洛佑に入る時には荷の改めがあるでしょう」
「そうだけど商隊が多すぎてどれだか分からない。それに洛佑には入ってないんじゃないかと思うんだよ」
「入ってない? じゃあ荷はどこに……」
食い気味に訊ねる夜静に向かって、彼女は宥めるように手を振った。
「そう急くな。暑いだろ、瓜でも喰え」
玉燕は舟に銭を投げ、瓜を新たに三つ受け取る。渡されて初めて、自分が暑さと脱水でふらついていることに気がついた。
「……ありがとうございます」
瓜は河の水で冷やされ、瑞々しい果肉は甘みがあって美味しかった。
「気にしなくていい。倒れたらまずいしな」
妙に優しい笑みを浮かべる玉燕に微かな不信感を覚える。彼女は雑踏を眺めながらのんびりと呟いた。
「高梁はずいぶん栄えたな。こんな平地に都を作るなんて、昔ならありえなかったのに」
平地は守りにくい。戦いの拠点としては、洛佑はあまり向いていないだろう。
「繁栄には犠牲が必要だ。今の皇帝陛下は容赦のない方だと聞くが、実際のところどうなんだ?」
玉燕はちらりと夜静を見る。動かない左足に目を落とし、首を横に振った。
「さあ、どうでしょう」
玉燕はそれ以上追及せずに話を戻した。
「ここから先はあまり人に聞かれたくないんだ。良い場所があるからそっちへ行こう」
「また廃屋か?」
洛風は胡散臭そうに呟く。甘いものは好きなはずなのに、彼が渡された瓜を食べていないのを見て少し意外に思った。洛風は視線に気づくと、きまり悪そうに言う。
「瓜は苦手なんだよ。あげる」
「ああ……そうですか」
受け取ったものの、洛風の顔色が悪いように思えて一瞬足が止まる。夜静は躊躇いがちに訊いた。
「どこか具合でも悪いんですか?」
「……俺が? そんなことないけど」
「でも、顔色が悪い気がします」
「気のせいだろ」
言い切られるとそれ以上強く言えなかった。そうですかと呟き、夜静は洛風から目を逸らした。
玉燕の言う「良い場所」というのは、ある
参拝客すらいない寂れた廟だ。掃除はされていたが、線香の火は消えている。玉燕はまるで自分の家のように廟に入り、参拝する時に使う敷物を引きずってきてその上に遠慮なく座った。
「……いいんですか? 霊玉真人が怒りません?」
「神仙はこんなことで怒るほど心狭くない。座って。人は来ないから」
「なんで来ないんです?」
洛佑の中心である大街からは少し離れているが、それでも城内だ。参拝客が来ない方がおかしいが、玉燕はあっさり答えた。
「ここは小さな女の子の幽鬼が出るって噂になって人が来なくなったんだ。雪玉観の道士も祓えなくて、結局放置されてる」
玉燕の連れのことを思い出したが、おそらく訊いても正直に答えてくれないだろう。
「貴女は祓わないんですか?」
彼女はけたけた笑った。
「なんで祓わなきゃいけない? 参拝客は別の廟に行けばいいだろ。腐るほどあるんだから」
「やっぱりクソ道士だな、お前」
廟の奥にいた洛風がこちらに歩いてくる。彼は背後を指差した。
「霊玉真人って、爺さんなんだな」
「あ?」
「絵があった。白髪の老人」
「……」
玉燕はむっとしたように眉をひそめると、跳ねるように立ち上がってその肖像画を壁から引き剥がしてきた。
「なんだこれ、霊玉真人は年若い美少年だぞ!」
絵に文句をつける玉燕を呆れたように見やり、洛風は隣に座ってくる。玉燕は勝手に絵を描き直し始めた。
「年若い美少年?」
囁くように訊いてきた洛風に苦笑して答える。
「美しいかは知りませんが、確かに若い男だとされます。それだと威厳が出ないから最近では年寄りに描かれることも多いですね」
ようやく満足したのか、玉燕はその肖像画を眺めて掛け直しに行った。彼女は何事も無かったように戻って来ると、二人の前に胡坐を掻いて座り、口を開く。
「……で、何の話だっけ」
「荷がどこに行ったかです」
呆れて言うと、玉燕は咳払いした。
「最近ちょっと物忘れがな。年は取りたくない」
「まだ若いだろ」
「うるさいぞ。で、えー、荷か。そう、洛佑には入ってないんだよ、たぶんだけど」
「ではどこに?」
玉燕は軽く首を傾げた。
「怪しいところはいっぱいあるんだよな。秋市は税を払わずに済むように色々考える連中がいるからさ。でも仮に死体を運んでいるならかなりの広さが必要だし、荷も大きくなるはずだ。そう考えると怪しいのは慶佳宮」
洛風と顔を見合わせ、夜静は問い返した。
「白吟之の名義になっている寺院でしょう。なぜそこだと?」
「知ってるんだな」
玉燕は気に食わないというように目を細めたが、すぐにかぶりを振った。
「まあいい。慶佳宮に不審な荷が運ばれているんだ。品目は材木だけど、修繕用にしても多過ぎる。白吟之のところにいる南慶の巫師ってのも怪しいし。そういえば千里眼には会えたか?」
半分冗談で訊ねたようだったが、黙っている夜静を見て玉燕は目を見開いた。
「会えたのか? どうやったんだ?」
「……色々あって招かれたんです」
「白家にか?」
「まあ……」
「どう色々あればそうなるんだよ」
呆れたようにそう言う。その通りだと思った。
「知ってるなら話が早い。私は慶佳宮に行ってみようと思うんだけど、一緒に来ないか?」
玉燕は輝くような笑顔でそう言った。
「……入れる方法があるんですか?」
「もちろん忍び込むんだよ。人数がいた方がいいからな。できれば囮……じゃなく協力してくれる人が欲しいなって」
瓜買ってやっただろと彼女は言う。自分たちの命は瓜以下かと思い、夜静は苦笑いした。
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