八
人混みに紛れ、昼間に
大きな門扉には私設兵らしい男たちが大勢いた。確かに忍び込めそうにない。
「君でもさすがに無理ですよね」
「さすがにな。農夫とは違う」
「俺だけなら忍び込めないこともないけど、それじゃ意味無いもんな」
「意味以前に危険すぎますよ。やっぱり妾宅の方で手掛かりを探すしかありませんね」
見つけられたのは土地の権利書、注文書、それに
裏門が見える位置の道端で二人は顔を見合わせた。
「やっぱり妾宅にいる間に巫師だけ攫うのが一番現実的じゃねえの?」
「大騒ぎになりますよ、それは……」
「私を攫うんですか?」
抑えた笑い含みの声が聞こえた。
驚いて振り返る。洛風は剣を抜き放って背後に切っ先を突きつけた。
背後、いつの間にか薄い紗の布で顔を覆った男が立っていた。手袋をした指先がつと剣の先を逸らす。
「危ないな。初対面の人間に剣を突きつけてはいけない」
目元は紗布で覆われていない。灰色じみた瞳が夜静を捕えた。
「夜静さん、また会いましたね。この間はありがとう」
編み込まれた髪が浅黒い肌に打ち掛かっている。首元まで覆う長衣は美しい光沢のある布地で、ひどく見覚えがあった。
「
灰色の瞳が輝く。景羽は猫のように目を細めた。
「南慶の巫師、頼景羽です。私の目は千里眼、貴方たちの未来も見通しましょう」
おどけたように口上を述べ、彼は丁寧に一礼した。
***
彼は狼狽える夜静を強引に裏門から白家に入れた。景羽が客人だと言うと私設兵もあっさり通してくれる。戸惑いながら、後ろをついてくる洛風を振り返った。
「どういう状況ですか……」
「俺に訊かないでくれ」
考えたくないというように洛風は腕を組んで黙り込む。
白家は思った通り広かった。塀の内側には十六の建物があり、池や花園も設えてある。濃い青緑色の池の向こうには堂があり、巫師はそこに向かっていた。
「母屋に行かなければ、白家の御主人には会わない。大したもてなしはできないけれど、許してくださいね」
池の縁、竜頭を象った石から水が吐き出されている。美しい庭だが、閑散として人気が無い。池に漂う舟には折れた釣り竿だけが乗っていた。
蓮の咲き乱れる池を越え、朱色の柱に支えられた小規模な堂に着いた。
「私に用意された堂です。どうぞ」
招き入れられたものの、どうして彼がここまで二人を連れて来たのか理由が分からなかった。景羽に躊躇いなく手を引かれ、誘われるまま堂に入る。
彼はまったく警戒していないように紗布を取り、手袋も外した。堂内には南方系の調度が置かれ、隅に控えていた南慶人らしい男は夜静たちを一瞥してどこかへ去って行った。
「どうぞ座って。そっちの君は名前を教えてくれるかい。夜静さんの連れ?」
景羽の唇が弧を描き、ちらりと犬歯が覗く。人を惹きつけるような笑みだが、同時に軽薄さが混じっていた。
洛風は胡散臭そうに眉をひそめて彼を睨んだ。
「……洛風」
「そう。洛風、できれば剣を抜こうとするのはやめてくれないかな。私は二人が知りたいことを教えてあげようと思っているだけだ。害する気は無い」
「――知りたいこと?」
夜静が聞き返すと、景羽は肩をすくめて椅子を示した。
「立っていると話しづらい。それに客人が座ってくれないと私も座れないでしょう」
躊躇いながらも腰かけると、折よく茶が運ばれてきた。さっき隅にいた男だ。彼は再び壁に張りつくように下がった。
茶は不思議な香りがした。鼻を突く微かに刺激的な匂いと甘い花のような匂い。南慶の名産品ですと、景羽はにこやかに説明した。
「最近高梁にも仕入れていて、かなり好評なんですよ」
飲もうとしたら洛風に手首を掴まれて止められた。
「道長、馬鹿なのか?」
本気で訊いていると分かったから余計に腹が立った。夜静は小声で言い返す。
「私は大抵の毒は平気ですから」
「だからって飲まないに越したことないだろうが」
「失礼だな。毒なんて入れてませんよ」
景羽の言葉に洛風は鼻を鳴らす。渋々飲むことは諦め、夜静は改めて訊いた。
「それで、私たちが何を知りたいと思っているんです? そもそもなぜここに入れたんですか」
景羽は茶杯を置き、迷うように編み込まれた髪の先を弄ぶ。ややあって彼は口を開いた。
「うーん……千里眼で分かったと言えば信じてくれますか?」
夜静は首を横に振った。
「嘘でしょう。貴方は白吟之を騙している。本当に千里眼があるなら、白吟之の病の原因を祟りだとは言わない」
景羽は諦めたように息を吐き、肩をすくめた。
「妾宅の方に婢女らしくない子がいると思ったので調べさせたんです。夜静さんの指示でしょう? だから何か知りたいことがあるのかなと思っただけです。ここに入れたのは、邪魔をしてほしくないから」
「邪魔?」
「ええ。私は確かに白吟之を騙している。その邪魔をしてほしくないんですよ。夜静さんたちが本当のことを言ってしまうと私の準備が全部無駄になってしまう」
だから取引ですと、異国の男は笑う。
「夜静さんが知りたいことを教えてあげます。その代わり、私のやることに口を出さないでほしい」
洛風は苛々と卓を指で叩きながら口を挟んだ。
「そんなの、今ここで俺たちを殺せば済むだろ」
「そんな野蛮なことはしないよ。私はただの巫師だ。人を殺したことなんて無い」
「ただの? でも千里眼は嘘なんだろ?」
景羽は微笑んだまま洛風に目を向ける。
「人の未来というのは案外簡単に見えるものだから。君たちは妓楼に行っただろう。私が水難に遭うと占った彼女は、常連に舟遊びが好きな旦那がいるからそう言ったんだ。占う時は耳に痛いことも織り交ぜて、でも全体的には良い結果に思えるようなことを言うのが肝だよ」
「つまり騙してるんじゃねえか」
「違うよ。相手が当たったと思ったならそれは本物だ。きちんと事前に調べておけばよく当たる占いというのは誰でもできる」
洛風は首を傾げて黙った。彼の言っていることはなんとなく分かるが、夜静はふと気になって訊いた。
「では、私に言ったのは? あの時は偶然でしょう。事前に調べる暇なんて無かったはず」
景羽は気まずそうに目を伏せた。
「あれは……からかっただけです。面白そうな人だと思って」
「……」
気にしていたのに、結局嘘だったのだ。景羽は取り繕うように手を振った。
「申し訳ない。私はよく考え無しだと言われる……とにかく、気にしないでください。どうせ当たらないから」
咳払いし、彼は話を戻した。
「で、夜静さんたちは妾宅を探って何を知りたいんですか? 私に答えられることなら教えて差し上げます」
「貴方の目的を教えてください。白吟之に取り入ったのはなぜですか? 祟りというのは太歳星君ではないのでしょう」
「……うーん」
景羽は目を伏せ、指を組み合わせる。
「参考までに、なぜ太歳星君のせいではないと分かったんです?」
「時期がずれていますし、白吟之の病は祟りではなく呪いです。私が呪詛返しをしたので確かです」
「ああ、貴方が……なら確かに嘘だと分かりますね」
景羽は一瞬探るような目をした。
「……最初は、偶然です。あの頃、白吟之は病を治すために手あたり次第に色々なことを試していたんです。私は南慶の巫師という肩書があったので、紹介状を貰って彼に会いに行きました。上手くすれば報酬が貰えますからね」
「金目当て?」
「はっきり言えば。気の病ということもありますから、そういう場合は私の占いは結構効くんです。でも会ってみれば確かに重病人で、治せないだろうとすぐに分かりました。呪いっぽかったし……一応祈祷しようと思ってやったら、偶然治ってしまった」
彼は力なく笑って、灰色の瞳を揺らす。
「昔から運だけは良かった。白吟之は私のおかげだと思い込みました。それで欲が出たんです。病の原因を訊かれた時、白吟之が一人の妾を別宅に置いている――というより、気の触れた妾を隔離している話を聞いていたのでそれが原因だと答えました。彼女は可哀想な人で、白吟之が花街から身請けしたもののすぐに飽きられて、でも捨てるのは体裁が悪いからと別宅に放置されていた。そのうちに気が触れて、屋敷を一日中歩き回るようになったと……」
「なぜそれを知っていたのですか」
「言ったでしょう、事前に調べると。私の眼は優秀な部下が作っているんです」
壁に控えた男にちらりと視線を向ける。彼は動かなかったが、僅かに口角を上げた。
「彼女は間を置かずに亡くなってしまって、その後から妙なことが起きるようになりました。適当に答えたことが本当になってしまって、私も焦りましたよ。幽鬼を鎮魂する方法は一応学んでいますが、効果があるのかは分かりませんし。妾を放置して死なせた挙句に祟られたというのは外聞が悪いので、太歳星君の名を使いました。白吟之は私を妄信しているので今は誤魔化せていますが、いずれ彼は死ぬでしょうね」
淡々と言って、困ったように眉を下げる。景羽は白吟之が死ぬことに何の感慨も無いようだった。
「助けようとしているわけではないと?」
「まあ……元はといえば白吟之の行いが原因でしょう。私は彼に慶佳宮を修繕してもらえればそれでいいですから」
彼は屈託なく笑った。
「あの寺は私の先祖が建てたものです。だから修繕して南慶の人々が使えるようにしたいなと。南慶の人は国から出たがりませんが、この茶のように高梁に売れるものはたくさんある。それを無駄にするのは愚かでしょう」
「巫師というより商人みたいだな」
洛風の皮肉を、彼は笑って受け流した。
「故国の為です。私の目的はこれで終わり。もし貴方たちが白吟之を殺したいのならもう少しだけ待ってください。修繕が終わるまでは死なれたら困ります」
夜静はしばらく黙っていた。景羽の話は洛風の推測と大体合っている。白吟之を殺す理由も無いから彼の言う通りにしても良かったが、何か引っ掛かった。
「……私たちは白吟之の命はどうでもいいです。なので貴方の邪魔はしません。でも一つだけ、鶏は何に使っているんですか」
「鶏?」
微かに景羽は目を見張った。一瞬だけ、彼の軽薄な笑みが消える。
「……南慶の風習です。鎮魂には鶏を用いる。こちらでは珍しいようですが――」
言葉の途中で、不意に堂の外が騒がしくなった。
遠く、「旦那様が倒れた」という言葉が聞き取れた。
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